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来たる「N枚目の名刺」時代、自分らしく生きるためにリベラルアーツは教養からスキルへ変わる

「人類は『あそび』によって叡智を手に入れてきた」

こう語るのは、GOBの社内事業として「PAPAMO SCHOOL(パパモスクール:以下、PAPAMO)」を立ち上げた橋本咲子(はしもと・さきこ)です。

PAPAMOは、未就学児童向けの習い事教室で、日本橋、国分寺、茗荷谷の3教室を都内で展開しています。一般的な習い事が水泳やピアノなど、単一の分野、競技に特化しているのに対して、PAPAMOでは一つの教室でスポーツやアート、サイエンスなど年間10種類以上の習い事を月ごとに変えながら取り組むことができます。

あそびを通して叡智を手に入れるとはどういうことか。PAPAMOの事業を切り口に、橋本とGOB共同代表の山口高弘が考察します。


リベラルアーツが「教養」から生きるための「スキル」に変わってきている

PAPAMO SCHOOL事業責任者の橋本咲子

橋本咲子(以下、橋本) PAPAMOを運営していると、「未就学児がラグビーやフェンシングなんてできるの?」と聞かれることも多いのですが、PAPAMOでは、ラグビーやフェンシングの細かな技術を教えるわけではありません。

それらの競技のエッセンス(大事なところ、生きる上で役に立つところ)を抜き出し、それを子どもが楽しく学べるようなプログラムに変換して届けている点に特徴があります。

ラグビーのクラスで、タックルをする子どもたち

 山口 例えば具体的にラグビーのエッセンスってどんなものですか?

橋本 ラグビーでは目の前の相手に思いっきりタックルしますよね。日常生活はもちろん、他のスポーツでもほとんど見られないラグビー特有の行為です。これは相手を心から信頼するからこそ可能になります。ここにラグビー特有のエッセンスがあるんです。PAPAMOではこのエッセンスを、目の前の人物を信頼し委ねる心を磨くことを目的としたプログラムに落とし込み、子どもたちに届けています。

またフェンシングで言えば、相手の動き以前にある気配をつかみ、自分の動きに反映することなどがエッセンスとして挙げられます。

このように、その分野で磨かれてきた──しかしその分野に閉じない──大切なこと、役立つこと、応用できることをエッセンスと呼んでいます。

山口高弘(以下、山口) なるほど。細かな技術やスキルを積み上げ式で順番に子どもたちに教えるのではなく、こういったエッセンスや叡智を吸収してもらうということは、今の社会でどんな意味を持つのでしょうか?

橋本 世の中で大切とされていることが、「どのようにやるか」という方法論から、「なぜやるのか」という目的論に移ってきているからです。「どのようにやるか」は、科学技術の進歩で、従来とは比較にならないほど習得に必要な時間が短くなっています。しかし、「なぜやるか」は技術では解決されません。自分で何が大切なのかを考えるしかありません。

どのようにではなく、「なぜ」や「何が大切なのか」。これこそが、PAPAMOがエッセンスや叡智と呼んでいるものです。

別の観点で言えば、インターネットによってあらゆる情報の流通コストが下がっていることも背景にあります。YouTubeを見れば、サッカー選手がサッカー選手の動きのみならず、バスケ選手の動きを参考にすることもできます。ビジネスパーソンが哲学者の言説を参考にすることも可能です。この時にカギとなるのは動きそのもの、言説そのものではなく、「それが何を意味しているのか」「それがなぜ大切なのか」というメタ化された知です。メタ化された知であればあるほど分野を超えて応用が利きます。せっかく応用できる素材が多く手に入る時代にあっても、それをメタ化して受け取れなければ応用することはできません。繰り返しますが、このメタ化された知をエッセンスと呼んでいるのです。

私たちはあらゆるメタ化された知を多くの人が使いこなすことによって、自分の成し遂げたいことをよりよく成し遂げることを支援したいと考えています。

山口 なるほど。凝縮された知を効率よく身につけ、自分が成し遂げたいことに活かそうという試みということですね。この点を踏まえると、PAPAMOがやっていることは「リベラルアーツのスキル化」と言い換えられると思います。

これまで、リベラルアーツは教養や余白として語られてきましたが、これが生きていくスキルに変わってきています。最近ではリベラルアーツ=分野横断的な学び、として捉えられることが多いですが、それは一面でしかありません。リベラルアーツとは生きやすい社会を作っていくためのツールで、橋本さんの言葉を借りるなら一つひとつの叡智の集合体です。

PAPAMOの取り組みは、叡智を誰もが身に付けることができる汎用的で実用可能な知に変換するという点でリベラルアーツをスキル化して言えると思います。

橋本 そうですね。リベラルアーツを血肉として自分の内に取り入れることができれば、変化を先取りし適応して生きていくことができるはずです。

それに、最近の時代の変化を見ると、得た学びの分野と使う先の分野が1対1対応ではなくなっているように感じます。アートで育んだ感性は必ずしもアーティストになる道でしか活きないわけではなく、ビジネスで役立つこともあるでしょう。ビジネスとスポーツとのかけ算で自分の強みを発揮することもできます。幅広いエッセンスを吸収することで新しい自分らしさを生み出すことが可能になり、「生きる力」が高まっていくのではないかと思っています。

山口 自分らしさという話がありましたが、機械やAIによる人の代替もリベラルアーツのスキル化を引き起こしている要因の一つかもしれませんね。つまりこれまで人がやっていた「How(どうやるか)」の大半は機械やAIに置き換えられてきたからこそ「How」の上位にある、「What(何をするか)」や「Why(なぜするか)」の重要性が高まっており、そこを専門に扱ってきたリベラルアーツがスキル化してきていると。

橋本 そうですね。定型化された仕事の多くが代替されるとなれば「人間がすべき仕事とは何か」の重要性が高まります。だからこそ、自分が何をしたいか、何を大事にするのかを考えることが大切です。それさえあれば、補助してくれるツールはたくさんある時代ですから。

山口 これまでの学びは「How」に異常に時間を掛けてきたんですよね。習い事でも、どうやったら上手になるか、大会で勝てるかに主眼を置いてきて、その一方で、なぜやるのか(=Why)や何が大切なのか(=What)は置き去りにされてきた。

でも、今はHowに必要な時間がどんどん減ってきていて、例えばかつてはウェブサイトを作るためにHTMLなどの言語から習得する必要があったけれど、現在は必ずしもそうした知識を必要がなくとも作ることができるようになっている。

そういう時代において、吸収すべきはHowではなく、WhyやWhatであるというのがPAPAMOの考えですね。

橋本 今は中学生でも高校生でも、やりたいと思えばその思いを形にできる時代です。だからこそ、小さい頃からWillを育てることが大切、もしくは大切という次元を超えてもはや合理的になっているような気がします。

山口 「Willの民主化」ですね。これまで、Willはかなり限られた一部の人たちだけが持ちえたもので、「Willを大事にできるなんて素敵だよね」っていう世界だったけど、もはやWillを持つことが合理的になっていて、Willを中心とした組み立て方が求められているのでしょうね。

「N枚目の名刺」時代到来

山口 これまで、人生は職業と直結して考えられてきたと思います。例えば会計士として働きたいなら、そこにつながるようなキャリアを逆算して、子どもの頃からそれに特化したことをやればうまくいったかもしれません。しかし、同時に複数の職に就いたり、ビジネスワークかライフワークかの境界線もあいまいになっているような時代がすでに来ています。私は、そういった時代の変化とともに価値観も変わってきているような印象を受けます。

これまで、いろいろなことを知っていると「もの知り」と呼ばれました。でもその裏には「専門特化できてないんだね」っていうちょっと小馬鹿にするようなニュアンスが見え隠れしていた気がするんです。

しかし、ただ知っているだけではなく、それを使いこなせるレベルで血肉になっている、いわば「体感的もの知り」の重要性が高まってくるはずです。彼らはもはや希少人種ではなく、Willを持つこと同様、合理的に語られる時代が来ています。

橋本 一つの会社に所属するのではなく、複数のプロジェクトに横断的に関わったり、2枚目、3枚目の名刺を持つことの重要性が叫ばれているのもそうした変化の一端ですね。

山口 そういう意味では、もはや2枚目の名刺ではなく、「N枚目の名刺」といった方が適切かもしれませんね。すでに、何枚という世界ではなく、N枚の世界に入っていると思います。

橋本 そうですね。PAPAMOも「年間10種類の習い事」と打ち出していますが、本来的にはN種類を理想としています。

山口 PAPAMOは「体感的物知り」とか「Will型社会」への適用度を高めていく場として機能しているのでしょうね。

「『あそび』は文化に先立つ」

山口 改めて、PAPAMOのミッションを教えてください。

橋本 「学びの再構築」です。この点で他の習い事教室とは大きく位置付けが異なります。

学びの再構築を一言で表すと、「つまらないから楽しいへ」「教養から実用へ」。

これまでの学びは、知識を一方的に教え込まれることが中心で、心の底から楽しいと思える体験とは決して言えませんでした。しかしこれからは、いかに楽しく、重要なことを自ら学びとれるか、そしてそれを応用する学び方ができるかが大切だと考えています。

山口 冒頭で、「ラグビーやフェンシングからエッセンスを抜き出す」とのお話をしていましたね。この「エッセンス」について改めて具体的に解説してもらえますか?

橋本 PAPAMOでは「人類があそびを通して手に入れてきた“叡智”を習い事の形で、子どもたちに楽しく吸収してもらうこと」を大切にしています。この叡智という概念をアウトプットに落とし込んだものがエッセンスです。

多くの人は勘違いしていて、文化からあそびが生まれたと考えています。でも実はそれは順番が逆で、あそびによって発見したことの積み重ねが現代に至るまでの文化を形作っています。あそびは文化に先立つものなんです。

例えば、最初に火を発見した人は、きっと石と石をぶつけて遊んでいた時に火花が発生することに気づいたはずです。このように、「あそび」という非目的的な行為によって人はたくさんのことを発見してきました。私たちは、それら重要な発見を人類の叡智≒エッセンスと捉え、スポーツやアート、サイエンス.......さまざまな分野の叡智を子どもたちが楽しく吸収できるようにプログラムを開発しています。

「ホモ・ルーデンス」としての人間

山口 PAPAMOの存在意義である「人類があそびを通して手に入れてきた叡智(エッセンス)を習い事の形で、子どもたちに楽しく吸収してもらうこと」──。

改めて「あそび」とは何でしょうか?

橋本 あそびについて話をするには、あそびと切り離せない人間の本能について考える必要があります。

人間の本能は「発見すること」なんです。より具体的には、環境に働きかけて、その反応から人類にとって有益なことを発見していくこと。冒頭でも触れたように、石と石をぶつけるあそびから火を発見したように、非目的的なあそびによって、人類は今日までの文化を発展させてきました。

歴史学者のホイジンガは、人間を「ホモ・サピエンス=理性の人」ではなく、「ホモ・ルーデンス=あそぶ人」と定義しています。人間が理性を得たのはたかだか数千年から1万年前のことであり、その手前には膨大なあそびの歴史があるのです。

遊びという非目的的な行為が環境に作用した結果を、後からの解釈で知恵にしてきたというのが人間の歴史だと思います。

山口 この点は、マルクスが提示した自然哲学にも通じます。

マルクスは、身体は人間の身体だけを指すのではなく、外界=自然も人間の身体の一部であると捉えました(専門用語では、個体としての身体を「有機的身体」、外界を「非有機的身体」と定義した)。

その上でマルクスは、人間の本能は「自然を活用して自分の身体を拡張すること(第二の身体を作ること)」であるということを言っています。

例えば、ハサミは手という有機的身体を拡張するために、自然(非有機的身体)を活用して作ったものであり、眼鏡は目の拡張、車は足の拡張です。実は、こうした有機的身体の拡張の多くはあそびに近い行為を起源としています。この点からも、あそびが人間の本能的な行為であり、あそびを介して人間は有機的身体を拡張してきたと言うことができます。

橋本 あそびが人類の営みの起源であるとの立場に立てば、極端な話、PAPAMOは人類の営みすべてをテーマとしていることになります。ある特定の分野に特化して何かを伝えるのではなく、人類が培ってきた知恵全てを対象としているんです。

山口 その中でもPAPAMOでは現在、アートやスポーツを中心にプログラムを提供していると思いますが、これらは、どのようにして人間の身体を拡張させますか?

橋本 「人間」という有機的身体は頭、心、身体の3つで構成されていますが、この3つを拡張させてきたと言えます。例えば音楽は音を介した心(感受性)の拡張であり、アートは心の外部化という点で、同様に心を拡張しています。また、インターネットは記憶を拡張しているという意味で、頭の機能を拡張していると言えますし、コミュニケーションや対話という観点では、心の拡張という側面も持っています。

山口 なるほど。拡張のあり方に目を向けると、さらに、身体に接地したところで拡張するものと、身体を離れて拡張するものの二つに分けることができます。

 前者を属身体、後者を超身体と呼ぶとすれば、ハサミは手に接地したところで用いる属身体的な拡張のあり方ですね。一方で、例えばテレビは、目で見える範囲を大きく超えて視覚を拡張する超身体的な拡張です。VRやドローンなどもそうですね。

ちなみに話は逸れますが、スマホは手先で操作するという点では属身体であり、iphoneを通してデジタルの世界につながるという点では超身体と言える。属身体と超身体をブリッジしている優れたプロダクトと言えます。

このように、時代は属身体的なものから超身体的なものへと移行しているわけですが、PAPAMOが人類の叡智を扱っているのであれば、今後の展開として必然的に超身体的なものも扱っていこうと考えているのでしょうか?

橋本 はい。今後は超身体領域のプログラムも組み込んでいく予定です。幼児期は、自分の体を通して世の中に何ができるのかを強烈に刺激を受けて育つ時期なので、その時に超身体的な、自分の身体を超えて領域を拡張していくということを体感することは非常に重要です。インターネットやYoutubeなど記憶やコミュニケーションの拡張領域、eスポーツのようなスポーツ×デジタル領域もありえます。

ただし、超身体に先立つのはやはり属身体領域での手触り感だと思っています。ですから、例えばYouTubeをコンテンツに組み込むのであれば、まず他者に対してコンテンツを表現すること、つまり目の前の人にどう対峙するのかを入り口にして、その延長上にデジタル配信という超身体領域に入ってもらうという設計です。

山口 自分の手足を使って感じられるものがあって、その次にそこを超えていくというステップを踏んでいる段階なんですね。

あそびから学ぶことは、体系的な学びよりも効率が良い?

山口 橋本さんは冒頭から「楽しく」学ぶ、というのを繰り返し強調していますよね。それはつまり、あそびを通して生まれた叡智を届けるならば、その手法にもあそびを取り入れることが重要だ、ということでしょうか?

橋本 その通りです。叡智を身に付けるだけではなく、その「身に付け方」も大切で、PAPAMOでは、あそびを通して学ぶこと=「プレイラーニング」をコンセプトにしています。

山口 プレイラーニング、あそびを通して学ぶこと。とても面白い考え方だと思います。学ぶとは苦しいもの、時間がかかるものという固定概念がどうしてもつきまといますが、本来学びはあそびを土台としており、楽しく自然に身につけていけるはずのものです。私はビジネスシーンで「哲学」について教えていますが、多くの場合「哲学という難解に見えるが役立ちそうな気がするものを分かりやすく実用的に教えて欲しい」というオーダーを受けることがあります。PAPAMOは、人類が蓄積してきた叡智という、それぞれの分野の専門家がそのまま教えてしまうと難しくなってしまう内容を「誰にでも楽しく身につけられるものに変わる」ものへ変換する役割を担えると良いですね。

橋本 人類が蓄積してきた叡智はそれぞれの分野に凝縮されていますが、どうしても難解だったり習得に膨大な時間がかかってしまうことも多いので、叡智を身につけてきた人と、それを求める人の架け橋になれたらと思っています。

山口 改めて、PAPAMOでは、人類が気の遠くなるような長い時間をかけて積み上げてきた叡智を凝縮して、短期間で伝達するということをやっていることになりますよね。

であれば、学びの生産性や単位時間当たりの吸収度を、限界まで高めないといけないはずです。PAPAMOでは、伝達方法自体もあそび化しているとのことでしたが、つまり、あそびの方が吸収の効率が高いということでしょうか?

橋本 そう考えています。

山口 それは大人の認識からすると真逆ですよね。体系的に理路整然と学びを積み上げていくやり方こそが効率的で、非目的的なあそびは効率性が悪いものだという理解が一般的ですから。

橋本 そうですね。ただ、一口に遊びと言っても、ただ遊ばせておけばいいというわけではないんです。ただ遊ぶことと、PAPAMOのように、世の中に残っているもののエッセンスを背景に据えながら遊ぶというのは全く違います。

もちろん子どもたちは遊びの天才ですけど、自分が知っている範囲でしか遊べないので、そこに対して、例えばラグビーという遊びの種を私たちが用意しておくことで、子どもたちの学びの幅を広げることができます。

山口 あそびを通して学んでいくための種を置いておいてあげることで、あそびの幅出しの効率性を高めているわけですね。

PAPAMOが持つ3つの力「エッセンス抽出(メタ化)力」「コンテンツ編集力」「あそび変換力」

山口 PAPAMOの強みは人類が積み上げてきた何千年ものエッセンスを凝縮するメソッドにあると思います。そのカギは何でしょうか。

橋本 まずは、アートやスポーツそれぞれの分野に分化して洗練されてきたエッセンスをそれぞれの分野から抜き取る「エッセンス抽出力」です。言い換えると、その分野が築いてきた大切なことをその分野を超えた知恵に汎用化する「メタ化力」とも言えます。そしてその抜き取ったエッセンスをプログラムという形にする「コンテンツ編集力」。そして子どもたちが楽しく掴み取れるようにする「あそび変換力」。この3つのスキルが重要です。

山口 一つ目の「エッセンス抽出(メタ化)力」について、どうやってエッセンスを抜き取ったり、メタ化したりするのでしょうか?

橋本 私たちの場合は、まずその分野の起源からこれまで辿ってきた系譜を調べあげ、そこで大切にされていること、現在に至るまで失われずに残っているものの中からエッセンスを抽出します。これがエッセンスの仮説になります。その仮説をもとに、その道のプロとして活躍されてきた方々へヒアリングを行い、検証するわけです。

プロというのは短期間でエッセンスを高度に体感、吸収してこられたからこそプロとして活躍できるわけですから、その目線で意見をもらうことは非常に大切にしています。

山口 エッセンスを短期間で凝縮して身につけてきた人に仮説をぶつけて、そのリアクションで仮説を検証していくということ?

橋本 その通りです。

さらに言えば、プロの中でも、例えば野球で言えば落合元監督のような方ですね。感覚的に優れた結果を残す一部の天才は素晴らしいですが、私たちの場合は、エッセンスを言語化できるプロからのフィードバックをもとにプログラムを組み立てます。


PAPAMO SCHOOLでは今年度、既存のスポーツや芸術のクラスに加えて、哲学やテクノロジーといった分野へも範囲を拡大するなど、クラス(プログラム)数を3倍にすることを目標としています。また、今後は教室数の拡大や対象年齢の引き上げなども順次行っていく予定ですので、興味のある方は下記ウェブサイトをご覧ください。

「PAPAMO SCHOOL」のウェブサイトはこちら