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35-自己肯定感について考えてみようじゃないか。

こんばんは。


今日の雑談と導入。

僕は自分の気持ちが行動に影響しやすいタイプだ。

例えばnoteで文章を書くとなった際、気分が乗っていれば1日に5記事ぐらい書ける日もあれば、全く気分が乗らずに1記事も書けない日もある。パワプロでいうと調子極端なタイプの選手なのだ。

調子極端なタイプの僕だが仕事中は調子安定になる。多分だけどスイッチを1回オンにしたら、その状態が長続きするタイプなんだと思う。休みの日の気合いを入れたお出かけなんかの時には朝からスイッチを入れて動けるものの、近場への買い物や家でnote執筆となると、どうにもスイッチが入らずに後日に回してしまうこともある。実際、僕は買い物に行こうと思っていたが気持ちが乗らずに行かなかった結果、冷蔵庫の中に何も食べ物や飲み物がない状態にまでなってしまったこともある。

どうしてこんな性格なのかは分からないけど、今後もこの性格には付き合っていかなければならない。上手くやっていくしかないのは分かっているんだけど、この性格でどこかで損をしているんだろうなという気持ちもある。
うーむ。難しい。
まあ、何とかなるか。
頑張ろう。

閑話休題。

今日の毎日日記から、新シリーズ「考えてみようじゃないか」がスタートします。僕が日頃思っている抽象的なこと、明確な正解がないものについて考えてみるというテーマです。
記念すべき1発目は「自己肯定感」について。さあ始まります。

自己肯定感。

そもそも自己肯定感とは何ぞや。
Wikiさん曰く、

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉である。

wiki-自己肯定感

とのこと。
まあ抽象的な内容だし、明確な定義はないらしい。

とはいえ、多くの学者さんや組織が自己肯定感についての定義を提唱している。

現在の自分を自分であると認める感覚。

樋口善之・松浦賢長

自己に対して肯定的で、好ましく思うような態度や感情。

田中道弘

自己肯定感とは「自分は大切な人間だ」、「自分は生きている価値がある」、「自分は必要な人間だ」という気持ち。

明橋大二

いわゆる「自分のことを肯定的に捉えられる感情」といったところか。
嫌なことがあっても「これは自分が悪いせいで」と自らを卑下せずに「自分にはこんないいところがある」と気持ちを切り替えたり、何かを失敗したときでも悲観的にならずに「失敗は失敗として反省して次どうしようか」と前向きになれたりするみたいな感じかな。
今までの研究者さんが明確に定義づけられていない感情なので、僕もフワッとした感じで進めてみる。

自己肯定感と自己評価との違い。

よくごっちゃにされる2つ。
どちらも自分のことを考えたり評価したりということなので、似ていると思われるが、僕はこの2つは全く違うと考えている。自己肯定感は自分のことを肯定的に捉えられるか否かなので、自分の中だけで完結するもの。自己評価は自分を他者と比べた時の評価なので他者との関係性が介在するということが違い。

なので、自己肯定感が高くても自己評価が低い「周りからイジられる愛され人間」もいれば、自己肯定感が低いけど自己評価が高い「周りにはクールを気取るけど愛されたがり」もいる。僕は後者なのでひねくれ人間かな。
僕なりに書いてみたけど、この方のnoteに分かりやすく書いてあるのでぜひ読んでみてほしい。

自己肯定感を高めると何がいいの?

自己肯定感を高めるといいことはあるはず。ちょっとのことで落ち込まないとか、他人のことで一喜一憂しなくなるとか、精神的に安定するとか。

僕としては、自己肯定感を高めることで得られるメリットは、セーフティネットができることだと思っている。精神的な安定にも似ているのだが、何か自分にとってキツイことや大変なことが起きた際は、気持ちがブルーに、そしてネガティブになる。そうなった際に、自己肯定感が高ければ自分を前向きにさせたりしかるべき相談相手に連絡をすることができる。だけど自己肯定感が低ければ、大変なのは自分だけじゃないと思い込んでしまって、より自分の中に気持ちを押し込めてしまったり、相談相手に負担をかけさせまいと連絡をしなかったり、最悪の場合、精神的に参ってしまい、自死を選んでしまったりなんてことも起きる可能性がある。

自己肯定感は高めるべき?

僕個人としては、自己肯定感は高めておくべきだとの考えている。色々なストレスが多い現代日本だからこそ自衛手段の一つとして有効だと思うから。

ただ、無理に高めていく必要もないと思っている。無理に高めていこうとすればそれ相応のストレスが生まれるし、どこか生き方がぎこちなくなると思う。自分に無理のない範囲で自分のことを愛せるようにしていけばいいんじゃないかなと考えている。

自己肯定感の高め方。

いざ自己肯定感を高めていこうとすると、やっぱり意識的に行動をしていく必要がある。今回は大人編と子供編に分けて書いていこうと思う。

【大人編】
大人になってから自己肯定感を上げるのは結構大変だと思う。最初から厳しい話をしてしまった。なぜかというと大人は色々と知っているから。自分のことを愛そうと思ってもどうしても他人のことが気になってしまうし、自分が変わることに対して斜に見てしまうというのもあるあるだと思う。

だけど、そんなこと言っていたらどうしようもないので、自己肯定感が低い僕がやっていることを書いてみる。やっていることは2つ。「まあいいか」や「なんかイケてんじゃん」と思うことと、自分の考え・思いを面白おかしく書いてみること。

自己肯定感が低い人は自分を振り返るときに、バッドに入ることが多い。そんな時に「まあいいか」や「なんかイケてんじゃん」と思ってみると、過去の自分を愛せるようになってくるのだ。これを今の仕事や生活、人との関わりでもやってみると、案外自分ってイケてるかも?と誤認することができるので、徐々にではあるが自分のことを認められるようになる。

自分の考えや思いを面白おかしく書いてみるのもオススメ。自己肯定感が低い人は内省力が高いという強みがある。そこで強みを生かして、思っていることやモヤモヤしていることについて深く考えてみる。そしてそれを外に吐き出してみる。ただ吐き出すだけだとネガティブな思考に入ってしまうこともあるので、それを自分なりに面白おかしく書いてみる。そうすることで、自分ってこんな面を外に出せるんだなという新たな一面に気づいて、自分を認めることに繋がるかもしれない。

【子供編】
子供の自己肯定感を高めるにはたった一つ。親からの愛情を適度に与えること。これをすればいいと思う。

塾で指導をしていたとき、自己肯定感の高い子にも会ったし、低い子にも会った。僕の印象論にはなるが、親の関わり方が大きな影響を及ぼしていると感じることが多かった。

子供はすごく繊細。全く愛情を注がなくてもダメだし、過度に期待しすぎてもダメ。甘やかすのではなく褒める。怒鳴るのではなく叱る。親子で会話をしながら子供に主体性を持たせる。僕は子供がいるわけでも家庭を持っている訳でもない。だけどもし子供ができたら、多くの親子の一面を見てきた経験を生かして、自己肯定感を高められるように接していくと思う。

今日の最後。

自己肯定感について考えてみました。
人としての最後のセーフティーネットになる自己肯定感。人を愛すためにもまずは自分を大事に、そして、自分を愛せるようにして、このストレスフルな現代社会を生き延びていきたいと思う。

最後に。

考えてみようじゃないかシリーズ1発目、これで終わりです。
ちょっと哲学っぽかったかな。言い過ぎか。
今後のメインストリームにしようかと考え中なので、何か考えてみてほしいテーマがあればコメントいただけると、僕なりに考えて日記にしてみようと思っています。コメントお待ちしております!

今日は終わり。

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