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診断まで


息子にADHDの不注意、不器用の診断がついたのは3年前の夏だった。

当時住んでいた地域はまず地域のソーシャルワーカーさんに相談して、ドクターとの面談、それを経てドクターが必要と判断した場合や親が希望した場合に発達検査を受ける流れになっている。
息子のむーちゃんも例に漏れずこの手順をふんだ。
ドクターは優しく穏やかな方だった。

30分の面談ではむーちゃんとドクターが話をしたり、いくつかのゲームをし、その後お話を聞いてドクターの質問に答えるという事をした。その間私は一切口を挟まず、横で見守るだけだ。
面談は大変スムーズに進んだ。むーちゃんはとても落ち着いていて、ドクターの質問にしっかりと元気よく答えたりゲームを集中し楽しんでいた。面談を終えるとドクターは私に、
「息子さんは全然問題無いと思います。幼稚園で言われた事も個性の範囲で、知的にも問題無いと思います。」と告げた。そして、「発達検査はどうしますか?恐らく検査しても結果は問題ないと出ると思いますが…。まぁ引っ越しされるし、就学前なのでお守りとしてやってみても良いですよ。」と、言った。
私は、こういった検査に辿り着くまで住む地域の行政によってものすごく時間がかかることは聞いていたので、「お守りに…」と言ってくれたドクターの言葉に食いついて、「あ、一応念の為やらせて下さい。」とお願いした。ドクターは、
「分かりました。じゃあ手続きしておきますね。ですが、恐らく大丈夫でしょう。」そうもう一度大丈夫を強調した。
発達検査の予約をして、医療センターを後にした帰り道に息子と手をつないで私は 「良かったね!むーちゃんやっぱ全然問題なかったって!」と話した。息子は、問題ないってどういう事?けどお母ちゃんが嬉しそうだからま、いっか!というような顔をして「うん!良かったね!」と、笑顔を返した。
私はそんな息子を見て安堵しながらも、ドクターの言った言葉に少し引っかかっていた。
「知的にも問題無いと思いますよ。」

知的にも問題ないって… どういう事なんだろう?

まぁでもドクターが大丈夫って言ってるんだから良く分かんないけど大丈夫なんだよ。今追いついてない事も私の思いすごしでその内待ってれば自然に出来るようになるんだ。と、思い直し帰路に着いた。

そして2週間後、私達は発達検査を受ける為にまた同じ場所に向かった。
受けたのは田中ビネー知能検査Vというもの。ここでも検査中親は横でひたすら見守るというスタイルだった。
発達検査を受けるむーちゃん。最初は調子良く答える。 うんうん、その調子、頑張れむーちゃん!私は心の中で応援した。検査は進む。うんうん…あれ?
え? そこわからないの? え?ここも?あれ?あれ…? 検査は進む。自信がなくなり答えがあってるか、やり方が合ってるかを確認しようと私の顔を見始めるむーちゃん。予想以上に答えられないむーちゃんを見て表情が険しくなる私…。だめだ、むーちゃんは人一倍私の感情の動きに敏感なのだ。ここで私がイライラしたり、負の感情を出してしまうと瞬時にそれを読み取って、間違える事が怖くなり更に答えが分からなくなってしまう。案の定むーちゃんは集中力がそこに向かなくなり最後までやり遂げれない問題も出て来てしまった。

でも、私は抑えられなかった。

むーちゃんは私が予想してたよりずっとずっと「正しい答え」を回答する事が出来なかった。これは出来るでしょ?と、いうやつも出来なかった。その事実をいきなりバーンっと目の当たりにして私はかなり大きいショックを受けてしまい、そして情けない事にそれをその場で消化する事が出来なかったのだ。

検査は30~40分位だったかも知れないが 私には一時間以上の事に感じた。

検査結果は約1ヶ月後と言われまた予約をして私達は建物の外に出た。

駐車場までの道のり、私はずっと暗い顔をしていた。そしてむーちゃんに、どうしてあれくらいの問題が分からなかったの?等嫌な事を聞いてしまっていた。
私は、「頑張ったね!」「出来なくても大丈夫だよ。」「お疲れ様だったね。」という、40分近くもじっと座って頑張ってたむーちゃんを労る言葉をかける事が出来なかったのだ。
むーちゃんは、「むーちゃん、難しくてちょっと良く出来なかったよ。」と悲しそうだった。私は今度は黙って歩き続けた。 私の中で不安がどんどんどんどん大きくなっていく。心配事の波が次々と押し寄せてくる。早く家に帰りたかった。
そして、これまでの事を色々思い出していた。

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