見出し画像

要るのか急ぐのか

その人にとっては必要なことで、誰かにとっては急ぐことではない。

不要か不急か決めるのは自分。

でも、ルールがあれば守ろうとするし、守らない人に対して反応する人もいる。

ルールが絶対!では無いような気もする。

多くの人がルールを守れば、守らない人は少数派になる。

ただ、守らない人が少しずつ増え、それを目にすることで、それでもいいんだ感が増す。

守るべきルールであるのか、分からなくなる。

守るべきものが、何なのか分からなくなる。

制御もできなくなる。



人間だからなのか、人の欲からなのか。

病気や死という不安から、逃げたいという欲。

楽しい所へ飛び出したい欲。

仲間と集いたい欲。

我慢には限度があるし、その限度の違いは人それぞれ。

ルールを守れ!と強くは言えなかったり。

ルールを破っている!と厳しく言えなかったり。

社会に対しても、会社の人に対しても、私はルールを押し付けることが、出来ないかもしれない。

どこにも責任逃れのルールや、責任押し付けのためのルールがあるような気がするからだ。



家族や親戚に会わないという選択。

一方から見れば必要だし、反対から見れば不要なのかもしれない。

今、会わなければ、会えなくなる可能性だって、否定はできない。

時間や空間の共有は、きっと、人間にとって必要だ。

そこに便乗し拡大している、身体にはダメージ、精神的には不安やストレスを与える病。

ルールでやっつけることなんて出来るのだろうか。


家族で過ごす。

仲間と楽しむ。

そんな当たり前のことが、ルールで制限されるなんて、やっぱり無理なんじゃないかな。

県外にいる家族が体調を崩し、放っておけるのかといえば、私にはできない。

帰省したいと言われれば、来るなと言うよりも、帰っておいでと言うだろう。

たとえ帰省中に体調を崩しても、自分のそばにいる方が安心だ。

そんなのは、親である私のワガママや欲であって、本当は不要不急のルールを守るべきなのかもしれない。


自分を守りつつ。

感染さないように。

拡大させないように。

人とのつながりも大切に。

思いつきで出かけられる日常が、早く戻ってくるといいなぁ。

仲間と楽しく、大声で盛り上がりたいなぁ。

家のテーブルにはパーテーションもないし、実は、感染対策されているお店の方が、安全なのでは?

そんなことを思いながら、お盆休みの初日を過ごしています。


私の記事を読んでいただき、ありがとうございます!サポートは、40代の挑戦に使わせていただきます!