セカイから世界へ
2000年ごろ(いわゆるゼロ年代)、アニオタ界隈ではセカイ系が流行っていた。詳しくはピクシブ百科事典(https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB)を参照していただきたいが、乱暴にまとめると
という思春期にありがちな「俺の一大事が世界の一大事」なる自意識過剰な物語群である。
ネタ的には以下の感性に近い
1997年、エヴァは社会現象だった。ついでに言うと私は中学生だった。多感な時期の子どもがセカイ系と出会ったのだ。お察しのとおり、最悪の化学反応が起きた。その結果、世界を斜に構える繊細(ぶってる)な量産型冷笑系オタクが爆誕したのだ(うわぁ、なんか胸の奥がキュウっってなる!!!もうヤダ!!!!だずげて!!!!!。゚(゚´Д`゚)゚。)
でも、ロクに友だちもおらず、家では母と兄の壮絶な暴力が繰り広げられており(包丁vs拳の異種格闘技戦だよ✨)家族にとって役に立たなければセカイ(家庭)が崩壊する、という恐怖をヒシヒシと感じていたあの頃、エヴァは自分にとって確実に心の支えであり、救いだった。
第一話の「エヴァに乗れ、乗らなければ帰れ」は毒家庭育ちだったら既視感がありすぎるセリフだろう。機能不全家庭の根底にある「親のために役に立て、さもなければ消えろ」という教えそのものだからだ。
次々と襲いかかってくる謎の存在(使徒)と訳も分からず戦わされ、望む成果をクリアできなければ容赦なく「役立たず」と切り捨てられる。この理不尽な世界観は毒家庭で起こる様々なもめごとと親から課せられる高望み(高学歴、高収入、良妻賢母は当たり前✨男女交際は認めないけど孫は2人ね✨こんなん楽勝でしょ?)で頭を抱えまくっていたあの苦しさと確かにシンクロしていた。
あの当時、エヴァが社会現象になったのは強権的な親の支配に苦しむ若者が多く存在していたからかもしれない。庵野監督がどこまで意図していたかは不明だが、家庭内で親兄弟から精神的(もしかしたら肉体的にも)サンドバッグ状態の人間には突き刺さる作品だったのだ。
最近ようやく親離れをし始め、「うちの親は異常だった」と胸を張って言えるようになったせいか、「自分がどうにかしないと崩壊してしまうセカイ」から「自分がどうであろうと関係なくずっと存在していたし、今後も続く世界」へと世の中へのとらえ方が変化して思わずぷっと吹き出している。
「私がなんにもしなくても世界は回っていたんだなぁ」と平々凡々な考えに紆余曲折の末にたどり着き、今はとても晴れやかな気持ちだ。ずっと勝手にセカイをしょい込んできたが、これからは世界の構成要素の一つとして精一杯生き抜くだけだなぁ、と思っている。
世界は初めから何の存在理由を求めてなかったんだよ。ただいま、世界。