怒りはエネルギー
ことの良しあしは置いといて『怒り』にはとてつもないエネルギーがある。
そりゃそうだ。人の感情が怒りに傾いて爆発するにはそれ相応の時間が必要だ。瞬時に怒りひっくり返って喚き散らすのは乳幼児期に限られる。成人の怒りは何年にもわたって熟成されている。だから溜まりにたまったマグマが放出されるとき、様々な意味で状況をひっくり返すような出来事が起こる。周囲も己自身をも破壊する場合もあるし、閉塞した状況をぶち壊すきっかけにもなる。
私は長い間『怒り=悪』と認識してきた。(というより思い込まされてきたのかもしれない)穏やかに、穏やかに、ただ静かに微笑んでいる…(賢治さん、すみません…)を目指すべきと思い込んできた。ただ、悲しいかなそれでは世の理不尽に飲み込まれてしまう。ついでに言えば『なんで抵抗しなかったの?』のおまけ付きだ。
四十路を目前として、ようやく怒りは膨大なエネルギーである、と思えるようになってきた。問題はそのエネルギーの使いどころだ。強大なエネルギーですべてを破壊するか、人生を切り拓く糧とするか、の違いでしかない。
鬱屈した感情のはけ口を上手に利用すれば、身を滅ぼさずにいられ、がんじがらめになるような状況から抜け出すきっかけになるのではないか、と感じている。小説や歌、絵、踊り等の表現する分野はその一助になるはずだ。立身出世や社会改革等、現実的な分野にベクトルを向けると悲劇が起こりそうではある
『太陽の塔』を作った岡本太郎も腹の底にマグマのような怒りを抱えていたに違いない。彼の母(岡本かの子)は小説家として身を立てようと養育を放棄したため、幼少時の岡本太郎はひもで柱につながれて遊んでももらえず執筆に没頭する母の背中を見るだけだったという。父(岡本一平)も結婚当初はヒモ夫で、ようやく職を得たとしても家庭を顧みないクズだ。そのうえ母は浮気相手を家に引き入れて同棲し始める始末。最終的には浮気相手(しかも二人も!!!)ともども一家全員で欧州へ行き、太郎をパリへ残したまま母は男たちと帰国。状況がカオスすぎて真面目にポルナレフ状態である。両親含め周囲の大人がゴミすぎる。この状況なら犯罪者になったとしても仕方がない。しかし、太郎は犯罪者どころか芸術家として大成する。すごすぎやろ…太郎…
すべての人間が岡本太郎になれるわけではない。むしろ彼は稀有な存在だ。けれどもマグマのようなエネルギーは、方向性を間違えなければあなたの人生を確実に変えるはずだ。私も太郎ほどではないが両親に対する怒りを抱えて生きてきた。溜まった莫大なエネルギーを己を含めた誰かを傷つけるためではなく、面白い方向性に使っていけたら、と願っている。私たちが受けてきた苦しみには必ず意味があったはずだから
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