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ウクライナの友達に聞いた戦禍から逃げた話

1つ前の冬(2022年~2023年にかけて)、フランス政府が無料で提供する語学講座に通っていた(当時のことは以下の投稿へ)。

移民向けの語学講座が始まった
移民向けの語学講座修了!

ウクライナ人だらけのクラスを受講していたのだけど、そこのリーダー格というか一番熱心に質問して手を挙げて先生と会話して、、、という元気な女性がいた。保育園に通う小さな子どもがいるってことは話から分かったのだけど、それ以外のことはよく知らなかった。

そしたらこないだの年明け、我が家の馴染みのカフェで再会した。彼女の家族とともに。ウクライナ人の旦那さん、7歳と2歳の娘さん。何度かカフェで会ううちに夫ともども仲良くなったので先日週末に一緒に遊びに出かけた。

語学講座で知り合ったウクライナ人たち以外にも、ウクライナ人の知り合いはいる。でも当たり前のように、こちらから生活の詳しいこととかどういう経緯でフランスに来たのかとか、聞いたことはなかった。話したいか分からなかったし、触れて欲しくないことかもしれない、と思っていたから。もちろん語学クラスの授業のやりとりの中で自ら色々話してくれることはあった。

そのウクライナ一家と遊びに出かけた日、ひょんなことからロシア侵攻の話になった。そして自ら、戦争勃発の直前のことや、どうやって逃げてきたかといったことを話してくれた。2年「も」なのか2年「しか」なのか分からないけど、2年経った今、オチとかジョークとか混ぜて話してくれた。

前置きが長くなったけど、彼らに聞いた話をここに残してみる。

「勝ち組」という言葉は嫌いだけど、日本のメディアとかで取り上げられたら間違いなく「勝ち組」というタグをつけられそうな夫婦。キエフに住んでいて、旦那さんはテック系。職場はGoogleとまではいかなくてもGoogleのような環境、自由で従業員を尊重してくれる社風の会社で働いていた。奥さんは建築・デザイン系。

ここでは、旦那さんをアンドリー、奥さんをミラという仮名で呼ぶことにします(日本でも有名な二人のウクライナ人のファーストネームを使わせてもらう。。。アンドリー・シェフチェンコとミラ・ジョヴォヴィッチ笑)

そんな環境にいて生活には満足していた彼らだけど、数年前からロシアの動きを懸念して、子どものためにもヨーロッパのどこかの国で仕事を見つけて移住しようか、と検討していた。情報集めを始めてみたり、、、といった矢先コロナ勃発で身動きが取れなくなった。

2022年2月24日のロシア侵攻の数週間前から、アンドリーはスーパーに行っては缶詰を買いあさったという。そんな様子を見てミラは「縁起でもないからやめてくれ」と言っていたらしい。なんせ、まだ生まれて1ヶ月半の赤ちゃんがいたから、戦争なんて起こってもらったら困る、と。想像もしたくない。

アンドリーはキャンプ用のガスボンベもいくつか揃えた。そんな姿を見て、ミラは「マジほんと、いらんてそんなもん」と。

2月23日に撮ったという写真を見せてくれた。避難キットが詰め込まれて準備万端のリュックサックの写真だった。

侵攻開始の前日。アンドリーは職場に着いて「ヤバくなってきたな」って話を同僚にしたら、彼らの多くは「いや~来ない来ない」と。緊張感はほんと人によってまちまちだったそう。

24日侵攻開始。朝4時半ごろって言ってたかな、外でミサイルの音みたいなのがして飛び起きてとりあえずアンドリーは子どもを連れて浴室に避難。ミラはとりあえず、避難に必要と思われるものを家中からかき集めた。

そして車2台に乗ってキエフを脱出。数日前にガソリンを満タンに入れていたことは相当ラッキーだった、と言っていた。逃げる道中、どこもガソリンスタンドは長蛇の列だったそう。

キエフから出るには3つある橋のどれかを渡らなくちゃいけないらしく、街の中は大渋滞。一旦、実家や祖父母宅に寄ったと言っていた。それからポルトガルの友人宅を目指してまずは国外脱出、ポーランドを目指す。もう何時間も車を走らせ続けた。アドレナリンが出過ぎていて、お腹空いたとも思わなかった、食べたいとも思わなかった。でも人間不思議なもので「食べないと後からヤバいよ」ともう一人の自分が言うのでたまに食べた、と言っていた。

ひたすら運転し続けた。24時間ぶっ続けで運転した、と。産後2ヶ月のミラは授乳中だったが授乳している暇なんてない。そうしてるうちに母乳が枯れた。

そしたらアンドリーが持っていたガスボンベを使ってお湯を沸かしミルクを作り始めた。「じゃじゃーん!ほら言ったこっちゃない!ガスボンベ役に立ったやろ!」って言ってやったんだ、とアンドリー。

めちゃくちゃ面白可笑しく話してくれたので聞いていた私も夫も爆笑してしまった。

高速道路も渋滞。戦車がどんどんキエフの街の向かっていくのを目撃したという。

国境前は10時間の渋滞。全然進まない、と。そして国境付近はジプシーがすごかった、と。色々な所有物を狙われる。

アンドリーはウクライナに残ることに(どの時点でアンドリーとミラ&子どもたちが分かれたのか詳しい話は聞かなかった)。ミラは生後2ヶ月の赤ちゃんと当時4歳の娘を連れて、知人のいるポルトガルへ向かう。

コロナ禍で閉店中のどこだかの国のIKEAの駐車場で休憩していた時のこと。ちょっと外に出て戻ってきたら車がうんともすんとも言わない。真っ暗闇の雨降る寒い夜、小さい子二人抱えてだだっ広い駐車場で立ち往生。車に詳しいウクライナの友達に連絡したら、バッテリーが上がっていると思うから、こうしてああして、という指示をもらい、何も知識のないミラは雨の中素手でバッテリーを操作し、車のバッテリーは無事戻った。本人は「あれヤバかったわー、なんも知らなかったからさー、子ども二人おいて感電死してたかもしれん!」と笑っていた。そう、今だから笑えるんだろうけど。

ポルトガルへ車を進めるミラ、フランスのガソリンスタンドで給油していたら地元の人に声をかけられたという。「なんか助けは必要?」と聞かれたので「大丈夫、ポルトガルの友人のところに向かっている」といったら「フランスにしなよ」みたいなことを言われ、そこからあれよあれよとフランスで難民申請することに決まったらしい。

見ず知らずのフランス人じじばばの家に滞在させてもらうことになった日。4歳の娘さんが高熱を出し喘息も発症。薬は手元にない。異国で焦ったミラは真夜中にじじばばをたたき起こし、じじばばに全く通じない英語で「ホスピタル!ホスピタル!」とまくしたてた。ミラの運転する車で救急へ。

その病院で6時間待たされた、と。フランスの医療事情を知っていれば、高熱喘息で救急行ったら、優先順位激低で6時間は当然だろう、と分かる。でもフランスについてなんも知らんミラは「はぁ~~~ァ?」案件だったらしい。だよな。

旦那さんは8ヶ月キエフで暮らし、その後フランスのミラたちと合流。なぜ8か月だったのか、などは聞いていない。8ヶ月でのキエフでの生活中、常にホイッスルを肌身離さず首からぶら下げてたという。シャワー浴びるときもすぐ近くにかけておいて、身体拭いたらすぐ首にかける、と。

砲撃を浴びて建物の下敷きになったときに助けてもらうため。避難リュックの下りと言い、ホイッスルと言い、なんか地震を連想してしまった。そういう意味では日本人は「逃げる準備」は意外とできている国民なのかもしれない。でも国の外に逃げるのはウクライナほど簡単ではないが。

2月の終わりから8か月というと、10月。私が語学学校でミラに出会ったのが1月だから、アンドリーが合流して少し落ち着いたころだったのかな、と想像する。

うちの街にもウクライナ人はたくさんいる。でも彼ら曰く、ウクライナ人同士であまり群れないようにしている、と。ウクライナのどのエリアから来たか、家族がどんな状況かなどで温度差があり、共感しあえない場合もあるから、ウクライナ人だからといって誰とでも付き合うわけではない、と。

2年経ってある程度落ち着き、フランスで根を張って生きていこう、と決めた今だからこそ極限状態の経験をユーモア交えて話してくれたんだと思うけど、私たちには想像もできないものを乗り越え、そして今でも抱えているんだよなと思った。

私はNGOの寄付集めに関わっているのだけど(特定のNGOではなく幅広く)、ロシア侵攻勃発の時はもちろんウクライナ支援をするNGOの寄付集めの発信を手伝った。現地で活動する人たちからの報告もたくさん目にした。そこで読んだのとまさに同じストーリーを目の前の友達から生で聞くのはなんか不思議な感覚だった。聞いていて何度も鳥肌が立った(そして何度も爆笑した)。どんな感想?と聞かれると言語化できないんだけど、なんか「しっかり生きよう。いい人間になろう」となんとなく思った。なにかに触れてこう思うときってあるよね?

そんな面白おかしく物事を話してくれるアンドリーの話でもう一つ私がツボったのが大統領の話。

ゼレンスキー大統領がコメディアンだったことは有名な話。アンドリー曰く、大統領は就任したとたん自分の「お友達」(要はメディアとか芸能関係者とかのことだと思う)を次々と政界に引き入れ、いろいろなポジションに就かせた、と。それを「ストリートバスケのメンツ集めるみたいに気軽な感じでぽんぽん友達ポジションに就かせてさぁ」と例えていて思わず吹いた。

もっと二人に聞いてみたいことはあるけど、こないだは時間切れだったのでまたそのうち聞かせてもらえたらな、と。会うたびにロシアxウクライナ情勢の話ばかりしたくないので、まあぼちぼちと。

そういえば、ウクライナ人にとっても「フランスの子どもはバカンス多すぎ!」らしい。私と同じように文句言っている。

が!ウクライナの夏休みはなんと3ヶ月らしい。アンドリーもミラも、自分が子どもの頃どう過ごしていたのか全然記憶にない、と。今自分たちがウクライナに住んでたらどうしてたんだろ、ゼェハァ言ってたわきっと、と。んでもって10歳までは学校が8時登校、11時下校なんだって!

フランスのバカンスの多さと同じくらい厄介やんけ!

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