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仕事とサッカーは同じと気付いたとき、全てが上手くまわり始めた/上星脩大さんインタビュー

海外でプロサッカー選手として活動している日本人プレーヤーにインタビューを始めたのは6年近く前のことだ。かつて話を聞いた選手の多くがすでに現役を引退し、セカンドキャリアを歩み始めている。サッカー選手が第一線で活動できる時間は短い。もちろんサッカー選手に限らず、アスリートのセカンドキャリア問題は、日本のプロスポーツ界の大きな課題の一つとも言えるだろう。彼らはいま、現役時代をどのように振り返り、何を思うのか。

上星脩大は、U15からU16にかけて世代別日本代表にも選ばれていた実績の持ち主でもある。高校卒業後はプロサッカー選手にという道もあったが、母の勧めもあり大学へ進学。しかし、同世代が海外やJリーグで活躍している姿に焦りを感じ、「地道にステップアップするよりも博打のように大きなチャンスを掴みたい」と、大学卒業後は海外でのチャレンジを決意した。ドイツ5部リーグを経て、モンテネグロ1部でプロサッカー選手として活躍後、24歳で現役引退。現在は都内の一般企業に勤務している。

モンテネグロで当時23歳の彼にインタビューをしてから5年半、海外での選手時代を振り返り、現在のキャリアでその経験がどのように生きているのか、再び話を聞いた。

引退は自分らしい終わり方だった​

——まずは、サッカー選手として海外でプレーしていた頃のことを改めて聞かせてください。

「大学4年の1月からドイツに行って、当時4部リーグのチームでトライアウトを受けていたのですが、うまく行かなくて、5部リーグのゴンセンハイム(SV Gonsenheim)と契約しました。あの当時の感覚は今でも鮮明に覚えていますね。全てにおいて変化に対応するために、自分の中にあった常識が常識ではなくなっていき、新しい常識が出来上がり、またその常識も更新されていく毎日で、変化にすごく柔軟に対応できるようになったと思います。でも、サッカーの面では、自分が思い描いていた程の活躍ができず、苦労した思い出しかないですね(笑)。」
「その後、当時オーストリア2部のホルン(SV Horn)の練習に参加していたのですが、練習の帰り道に交通事故にあってしまい、それがきっかけで、もともとの古傷でもあった足首の完治を目指して手術をするために日本に戻りました。なぜかスッキリしていて、自分の人生はこんなもんだなとも思いましたし、もう一度だけチャレンジはしてみよう、そこで大きなチャンスを掴めなかったら引退しようと心に決めていました。」

——それからモンテネグロでチャレンジすることになったわけですね。

「そうです。日本でリハビリ生活をして、23歳の夏にモンテネグロ1部のペトロヴァツ(OFK Petrovac)と契約することになりました。高校生以降は怪我が多くて、1シーズン通してプレーできた事がほとんどなかったのですが、ペトロヴァツにいたシーズンは肩の脱臼で1ヶ月くらい戦線離脱した以外は、コンスタントに試合に出場して、活躍もある程度できたのかなと思っています。当時コンディションもとても良かったですし、この活躍なら大きなチャンスも掴めるかもという感覚もありました。でも、シーズン終わりまでラスト3試合という時に、試合中に膝を怪我してしまって。その瞬間、ああこれはもう終わりだなと思って、引退を決意しました。」
「怪我が引退のきっかけにはなりましたが、もともと博打並みの大きなチャンスを掴みたいと思っていましたし、今までのサッカー人生の中で、ほぼ怪我をしないで1シーズン過ごせたことはなくて、コンディションも最高という矢先の事だったので、これも自分らしいなと思ってきっぱり引退することにしました。」

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どうせだったら上場というものを経験したい

——引退を決意して就職活動をすることになるわけですが、サッカー選手として長くプレーしてきた上星さんにとっては初めての経験も多く、苦労したのではありませんか?

「実は就職活動はそんなに大変ではなかったんですよ。自分でもびっくりしたんですが、2週間くらいで決まりました。というのも、当時は社会のことなんてなんにもわからなかったので、とりあえず一番最初に採用をもらえたところに入社しよう、これも自分の人生だ!と軽い気持ちで面接を受け、予定通り最初に採用をもらえた会社に入社したんです。医療介護のサービスを運営している株式会社エス・エム・エスでした。今まで自分が生きてきた世界とは全く違う世界でチャレンジしたいと思っていたことを覚えています。」

——実際の社会人生活はどうでしたか?

「入社してからも、やっぱり何もわかっていないので(笑)、パソコンの使い方、名刺の渡し方、電話の取り方など本当にゼロから教えてもらってやりはじめました。ただ、入社して1年くらい経ったタイミングで、当時は言葉にはうまく表せなかったんですが、なにかぬるま湯に浸かっているような感覚に違和感を覚えるようになりました。これまでサッカーをやってきたときの世界観では、まわりはみんな成果に貪欲でしたが、ここでは、たとえ成果が出なくても、悔しいと思ったり、この先どうすればいいのか必死に考えたりする意識が薄くなっていくような気がしたんです。これでは良くないと思うようになりました。」

——それで転職を決意したわけですね。

「そうです。社会人になって何か大きな事を成し遂げたいと思っていた中で、当時の直属の上司が起業する事になり、上場を目指すよ!という話をしていたんです。相変わらず何もわかっていない僕は、上場ってなんだろうっていうレベルだったんですけど(笑)、なんとなく、それはすごいだろう、どうせだったらその上場っていうものを経験したい、自分もステップアップできそうだと、そこだけに惹かれて自分から頼み込んで現職の株式会社TYLに入社しました。実は、サッカーを辞めて社会人になるタイミングで、一番最初に採用もらえたところに入社しよう、と軽い気持ちで考えていた僕を採用してくれたのが前職の上司で、現職の代表でもありますから、ありがたいことに縁があったんだと思います。」

——現在のお仕事の内容を教えてください。

「株式会社TYLはペットの家族化推進をミッションにサービスを運営している会社です。僕は設立半年後に入社したんですが、最初はオフィスも本当に狭くて、社員も5、6人でした。2021年8月時点では社員110名くらいの規模になり、僕自身はマネージャーとして、幅広い業務を任せてもらっています。」

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僕の感覚で言うならば、仕事はほぼサッカー

——海外でのプロサッカー選手経験者として、どのような点が現在のキャリアに生かされていると思いますか?

「そうですね、セカンドキャリアで悩んでいる話はたくさん聞きますが、個人的にはそんなに悩 まなくても良いと思います。確かに社会人になった当初は、何も分からず常にもやもやしていました。でも、あるとき気付いたんです。仕事をするということは、フィールドは違ったとしてもサッカーをやっていた時の感覚と全く同じです。例えば、自分のコンディションを整えて最高のパフォーマンスを出せるように日々思考しながらアクションしたり、うまく行かなかった時は何が問題だったのかしっかり分析してアクションに移したり。マネジメント面でも、チームとして成果を上げるために、勝ち筋を見つけて愚直にやり続けたりとか。これはもう、僕の感覚で言うならば、仕事はほぼサッカーです(笑)。何か困ったときは、サッカーだったらどうするだろうかと変換して考えています。」

——今は採用にも関わっているということですから、人を見る目というのも必要になってきますよね。

「そうなんです。サッカーをしていた時の感覚で言うなら、例えば監督が何を求めているのか理解すること、監督の求めることに対して応えることって大事ですよね。その感覚が今とても生きていると思います。会社が必要としているのはどのような人材かを理解して、そこにマッチする人材の特徴としてはどのようなポイントがあげられるのか、自分の中で整理していく事で、判断もしやすくなっていきました。海外でサッカーをしていて学んだことですけれど、とにかく言葉があんまり通じないので、相手の特徴だったり仕草だったり、なにもかも、よくよく見て判断をしに行くじゃないですか。そういうのは今も生きていますし、結果としても出ていると思います。」

目標に中途半端にならずに向き合える人とチャレンジを

——この先の目標を聞かせてください。

「まずは、ここで「上場」を経験したいです。それを目標にこの会社に来ましたから。将来的には、そうですね、何かを自分でやりたいという気持ちは常に持っていて、そこにはチャレンジしたいです。」

——何か、という部分を具体的に言うと、やはりサッカー関係で、ということでしょうか?

「はい、やりたい気持ちはめちゃくちゃあります。どうせやるんだったら、がっつりサッカーに関わりたいなと。ただ、社会人になってみて、仕事とサッカーは同じ、おもしろさも同じだと気付いたので、サッカーにこだわらなくてもいいのかもしれないとも思います。どちらにせよ、自分の目標のために中途半端にならずに向き合える人と、例えばスポーツチームを作って、そこにアスリートが携われるような形にしていければ、もう最高ですね。」

上星脩大(じょうぼししゅうた)氏
1992年3月2日生まれ。群馬県伊勢崎市出身。
2014-2015 SV Gonsenheim(ドイツ5部)
2015-2016 OFK Petrovac(モンテネグロ1部)
2016年、現役引退。現在は株式会社TYL勤務。


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