見出し画像

監督を中心に、クラブの誰もが同じ目標に向かって闘ったシーズンだった/後藤京介選手(ラインメール青森FC)

チームの中で求められている役割を果たし、信頼する監督とともに悲願のJリーグ昇格へ。今シーズンからラインメール青森FCでプレーする後藤京介に、監督を中心として選手もスタッフもクラブ全員がひとつになって闘った1年を振り返って話を聞いた。

安達監督のもと、Jリーグ昇格を目指す闘いを

後藤京介は、専修大学を卒業する2015年、海外に活躍の場を求めて東ヨーロッパのモンテネグロへ渡った。モンテネグロ1部で1年半ほどプレーした後、怪我もあり日本へ帰国。2017年、J3のY.S.C.C.横浜でJリーグデビューを果たす。2年目の2018シーズンには、リーグ戦全32試合出場を記録。順調なJリーグキャリアだった。2019シーズン、J2ヴァンフォーレ甲府へ移籍が決まる。しかし出場機会には恵まれず、夏に当時J3のザスパクサツ群馬にレンタル移籍。2020シーズンもレンタルでJ3いわてグルージャ盛岡に所属し、これまでJリーグ4年間でリーグ91試合、天皇杯5試合に出場。

2021年2月、JFLのラインメール青森FCに移籍が決まった。クラブはヴィッセル神戸やカターレ富山でも指揮を執った安達亮監督を迎え、Jリーグ昇格を目指して体制を整えていた。

「このオフは移籍先がなかなか決まらず、本当に行くところがなくなってしまったような状況でしたが、亮さん(安達亮監督)が僕のためにクラブに無理を言ってくれて、加入させてもらうことになりました。時期的にはチームはもう始動していて、編成上、難しい部分も多かったと思いますから、本当に感謝しています。このチームでJリーグを目指すにあたって、お前が中心になってやってくれと言ってもらい、僕自身ももちろん、もう一度Jリーグでプレーしたいという思いは強かったので、ここで昇格に向けて全力を尽くそうと心に決めました。」

「亮さんは、僕がY.S.C.C.横浜でプレーしていたときからずっと注目してくれていたんです。監督をしていたカターレ富山がとても良いサッカーをしているのもよく知っていましたから、亮さんのもとでサッカーしてみたいとずっと思っていたことが、こういう形で現実になって、とても楽しみでしたね。」

画像1

チームの司令塔としての自覚と覚悟

今シーズンはJFL32節終了時点で27試合に出場。ラインメール青森は「Jリーグ百年構想クラブ」の認定を受けているため、4位以内でシーズンを終えればJリーグ昇格の最低条件は満たされる。一時はリーグ5位まで順位を上げたが、夏以降は勝ちきれない試合も多く、第31節のホーム最終戦で今シーズンの昇格可能性は消滅。それでも、後藤にとっては、チームの司令塔としての自覚と覚悟を持って、モチベーション高く挑み続けたシーズンとなったはずだ。

「開幕戦から4試合は、思ったような結果が出なくてスタートで躓いてしまったような状況でしたが、4月後半から新型コロナの影響で試合日程が1か月近くあいていた間に、チーム戦術の落とし込みが進んだこともあって、自分たちのサッカーができるようになったと思います。実際、5月に試合が再開してから7月末に中断に入るまで、負けたのはアウェイのヴィアティン三重戦だけでしたから。特にアウェイの松江シティ戦は、開始早々の失点を取り戻しての逆転勝ちで、あのあたりから、先制されても粘り強く闘うことで逆転勝ちができるチームになりました。ですが、8月末に後期シーズンが始まってからは、思うように勝てなくなって。自分たちの目指すサッカーができなくなっていると感じることもありました。相手に研究されて、弱点を突かれているという部分もあったと思います。そこで弱点を修正しながら試合に挑んでいたのですが、それもまたちょっと歯車が合わなくなってしまったり、自分の中でもリズムが崩れてしまった原因のひとつかなと思っています。」

画像2

後藤京介の持ち味は、左足から繰り出される正確なパスとしなやかなキック、それを生かした前への推進力であり、そのプレースタイルから、ゲームメーカーとしてハイレベルな役割が求められる。ここ数年、チーム戦術的に彼のプレースタイルと高い技術力が生かされない場面も多く、結果として昨シーズンはゴールから遠ざかっていた。しかし今シーズンはここまで3得点、全て持ち味が生きた美しいゴールが決まっている。JFL初ゴールとなった4月のいわきFC戦では、ゴール後まっすぐベンチへ走り、控えのメンバーを含めた全員で喜びを分かち合った。ここにもまた、彼の自覚と覚悟が表れている。

「今シーズン2点目のときもそうでしたが、3点目のF.C.大阪戦のときも、前日ぐらいでしょうかね、なんとなく点を決められそうな雰囲気があったんですよ。ここのところ点は取れてないけど、そろそろ取れそうだなって後輩に言ってました(笑)。なんでしょうね、ゴールの匂いというか、感覚的な部分ですよね。力が抜けて自然体のときのほうが、シュートの精度が上がるというのもあると思いますし。モンテネグロでサッカーをしていた頃はなかった感覚ですが、キャリアも長くなってきましたし、いろいろと経験を積んで自信も付いてきて、そういう感覚的なことにも敏感になってきたのかもしれません。」

画像3

写真という静止画には、プレーの技術や身体のしなやかさはもちろん、選手が日頃からどれだけ自覚的にコンディション作りに時間をかけてきたかということも如実に表れる。モンテネグロで初めて後藤を撮影してから、ちょうど6年になるが、彼のプロサッカー選手としてのキャリアの中で、今年は最も「後藤京介らしい身体」に仕上がっていると言えるかもしれない。

「そうですね、自分の身体とコンディショニングを見つめ直したときに、特に昨シーズンは練習量も多い中でちょっと筋トレをしすぎていて、無駄な筋肉がついてしまい、それが自分に合っていなかったのは間違いないです。今年は、試合に向けてのコンディション作りを2年前のシーズンのリズムに戻しました。ここまで大怪我もせずにできていますし、今はこれが合っているのかなと思っています。」

画像4

Jリーグ100試合出場は達成したい

これまで後藤京介を6年あまり取材してきた中で、セカンドキャリアについては幾度となく話題になったが、そう言ってはいても彼の現役生活がまだまだ続くであろうことを、全く疑っていなかった。後藤の口から「あと何年続けられるか」という言葉を聞いたのは、今年が初めてである。取材者として、その発言に少なからず動揺を覚えたが、これもまた彼の自覚と覚悟の表れなのであろう。

「今日のバンさん(取材日のホーム最終戦でアディショナルタイムに劇的逆転ゴールを決め、試合後に引退セレモニーが行われた萬代宏樹選手)を見ていても思いますけど、18年間現役を続けるのってただごとではないですよね。僕も年齢的に、あと何年続けられるかというのは、いろいろと考えるようになりました。特に今シーズンは、JFLというカテゴリーで自分の力が出せなかったらこの先はない、という自分の中での物差しのような位置づけの1年だったかもしれません。そういう意味では、Jリーグを目指しているこのチームで、いま自分に求められている役割が果たせているかと考えると、良いプレーが毎試合できているわけではない。身体のコンディションも含め、今まで自分ができていたことができなくなっていることもあったりもします。それでももちろん、このチームと一緒に僕もJリーグに戻りたい。Jリーグではこれまで91試合に出場しているので、リーグ出場100試合は達成したいですね。そのために、まだまだ足りていないことはたくさんあると思いながら、日々過ごしています。」

画像5

選手もスタッフも、クラブのみんなが監督を中心に同じ目標に向かって

後藤京介のこれまでのキャリアは、自らのプレースタイルとチーム戦術の乖離にどう向き合うか、という歴史だったようにも思う。もちろん、ほんの一握りのトップ選手を除いて、おそらく大半のプロサッカー選手が、チームのために多かれ少なかれ得意分野ではないプレーを求められるものであろう。それがこの世界で「続けていくための努力」であり、それができなければ先はない。後藤もこれまで「プロサッカー選手として契約している以上、チームのため求められていることに応える努力はするべきだ」と話していた。実際、彼はここまで常にチームに合わせる努力を怠らなかったが、そこでまた自分の色を完全に消してしまうのも違う、そのギリギリのバランスを突き詰めるがあまり、オーバートレーニング症候群のような症状に悩まされるということも過去にはあった。

今シーズンの後藤京介は、チーム戦術的にも信頼し得る監督のもとでプレーでき、これまでの「続けていくための努力」が報われる形になったのではないだろうか。Jリーグ昇格は逃しはしたが、クラブ全員で同じ目標に向かって闘った1年は、かけがえのない経験になったはずだ。そして、既にその目は来シーズンに向けられている。努力の道はまだまだ続く。

「亮さんは要所要所をきっちり締めてくれる監督で、僕たちも、監督が発する言葉に責任や重みを感じています。そういう監督のもとでやれているというのは、とても幸せなことですし、その中で自分に与えられた役割はしっかりやらなければいけないという思いは常にありますね。求められているレベルが高いということもわかっているので、そこはブレずにやっていかなければいけません。Jリーグでも相当な実績のある監督ですが、だからこそ、このカテゴリーでチャレンジできることもありますし、そういう部分も再認識させられています。今シーズンはここまで、選手もスタッフも、クラブのみんなが監督を中心に同じ目標に向かってやってきました。間違いなくそれがチームを強くしたいちばんの理由だと思います。」

「来年のことはまだこれからですが、クラブとしてはもちろんJリーグを目指してやっていくわけですから、最低ラインとして今のベースは保たなければなりません。JFLの戦い方は今シーズン通して理解できましたが、もう少し自分たちの特徴を生かしたサッカーをしていかないとJリーグ昇格は難しいと感じました。僕たちが相手に合わせるのではなくて、相手が僕たちのサッカーに合わせてくるぐらいのレベルが必要ですね。今年は相手に合わせて自分たちのサッカーがブレてしまうといった部分もあったので、そこは修正していかなければと思います。残りの試合、自分たちが主導するサッカーができるように、来シーズンを見据えて、もっともっと上積みしていきたいです。」

後藤京介(ごとうきょうすけ)選手
1992年7月29日生まれ。東京都出身。178cm、73kg。
2015 FK Mogren(モンテネグロ1部)
2015-2016 FK Iskra(モンテネグロ1部)
2017-2018 Y.S.C.C.横浜(J3)
2019 ヴァンフォーレ甲府(J2)
2019 ザスパクサツ群馬(J3)
2020 いわてグルージャ盛岡(J3)
2021- ラインメール青森(JFL)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?