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言語哲学的なフィールドワーカーがセルビアでサッカーを観て感じたこと

セルビアのベオグラードに滞在している。レッドスター・ベオグラードのCL予選2回戦2ndレグ、カイラト・アルマトイ戦をプレスとして観戦した。試合内容について述べることは、元々はサッカーと無縁の世界にいた私の本職ではないので控えることにして、ここではサッカーと文化とコミュニケーションについてフィールド調査を続けてきた人間が、セルビアでサッカーを観て何を感じたか、記しておきたいと思う。

この試合、レッドスターは、昨シーズン2月のEL決勝トーナメントでACミランとの対戦時、サポーターによるイブラヒモビッチへの侮辱行為に対する制裁で、無観客試合になっていた。その代わり、14歳以下の子どもたちをスタジアムに招待するというプロジェクトが行われることになり、セルビアだけでなく周辺国からもレッドスターサポーターの子どもたちがマラカナ(レッドスタースタジアムの愛称)に集まっていた。この日の観客は基本的に14歳以下の子どもたちのみ、約2万人である。

子どもたちのこの大声援、素晴らしい盛り上がりっぷりである。レッドスター関係者の端くれとしては大変誇らしい。しかし、私は名古屋グランパスのサポーターの一員でもあり、日本人である。コロナ禍の前は、名古屋グランパスでも夏休みに子どもたちを豊田スタジアムに招待する企画があり(今年ももうすぐ予定されているが)、その際のスタジアムも経験した。日本サッカー界を知る人間としての立場から率直な感想を述べるならば、マラカナのこの光景に、正直なところ何か敗北感のようなものを感じざるを得ない。名古屋グランパスのみならず、いまのJリーグで、スタジアムに招待した子どもたちだけでこの雰囲気を作り出せるクラブがあるだろうか。これがヨーロッパのサッカー文化、日本サッカー界の現実なのだ。

あの日、マラカナで大声援を送っていた子どもたちは、将来レッドスターの選手として自分もこの場所でプレーすることにますます憧れを抱いたはずだ。そしてまた、この中から次世代のスター選手が育ち、セルビア代表として国を背負って戦うのだろう。もちろん日本の多くのサッカー関係者たちが、日本サッカー界のレベル向上のために日々あらゆる努力し続けているはずなのに、やはりこの世界には敵わない。日本とヨーロッパのサッカー文化の間には、如何ともしがたい壁がある。

そんな現実を目の当たりにした。

今夜、レッドスターはCL予選3回戦1stレグ、モルドバのFCシェリフと対戦する。子どもたちだけでなく、レッドスターが誇る熱狂的なサポーター集団の大声援の中で、堂々たる戦いを見せてくれるだろう。

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ちなみに、私がなぜか無観客試合でもプレスでスタジアムに入れてしまうのは、いつものことながら、レッドスターのレジェンドのひとりで名古屋グランパスと京都サンガでも監督を務めたボスコ・ジュロヴスキー氏のおかげである。次にベオグラードに来るときも、大好物の草大福を必ずお持ちしなければ。

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