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たどり着いたその先で、失うものは何もない/後藤京介選手(東京武蔵野ユナイテッドFC)

2022年11月。ロングインタビューを終えた後藤京介は、自転車に乗って颯爽と去って行った。モンテネグロで初めて会ってからちょうど7年、これまで日本での所属クラブにもいくつか取材に行ったが、自転車に乗っているイメージは全くなかったため、こちらとしては軽い驚きを隠せない。しかしこれもまた、彼が歩み始めた新しい道を象徴しているのかもしれない。東京武蔵野ユナイテッドFCに移籍して1年目、シーズンを振り返って話を聞いた。

サッカーが大好きな仲間たちと

前回のロングインタビューはラインメール青森に所属していた2021シーズン終盤、1年前のことである。実はこの当時、公の情報にはなっていなかったが、足に違和感を抱えたまま騙し騙しプレーを続けていた。そのこともあってホーム最終戦でJ3昇格の可能性が消滅してからは、アウェイ遠征をするチームには帯同せず、シーズン終了後そのまま退団。年が明けて2022年2月、同じJFLの東京武蔵野ユナイテッドに移籍が決まる。

「僕は亮さん(当時ラインメール青森の安達亮監督)に拾ってもらった身でしたから、シーズンが終わって監督が辞めることになったのに僕が青森にいるのは違うなという思いもあって、自然に退団という流れになりました。Jリーグ100試合出場まで残り9試合で、もちろんJリーグにまた戻りたいという気持ちはあったので、いろいろと探してはいましたが、ボランチというポジションと自分の年齢も考えたら、次のチームは簡単には決まらないということも理解していました。30歳になる歳だし、良い意味でもう一歩違う道の進み方もアリだなと。以前から、いつかは地元の東京のクラブで両親にプレーしているところを見せたいと思っていたので、いいタイミングで踏ん切りがついて次へ進めたというのはありますね。このクラブは(現時点ではJリーグ参入資格のない)社会人クラブですし、去年の成績(17チーム中15位)のイメージもありましたが、いろいろな縁でここでプレーさせてもらえることになり、決まったときは素直に嬉しかったです。」

「今シーズンはJリーグに昇格できないことが決まっている以上、純粋にサッカーを楽しもうと思っていました。チームに合流しての第一印象としては、みんなきちんとした社会人として働きながらサッカーをやっていて、本当にすごいなと。平日の昼間は普通に働いて週末は試合、それも2週間に一度は全国各地に遠征で、試合の次の日の月曜はまた朝9時から会議、というような生活を普通にしているチームメイトを見て、純粋にリスペクトしています。これは本当にサッカーが好きじゃないとできない。若い選手が多くて、ピッチでは僕がほぼ最年長なので、まずは僕が楽しんでプレーすることで、みんなも好きなサッカーをのびのびやってくれるんじゃないかなと思っています。」

「生活スタイル的にいちばん大きく変わったことは、毎日の練習時間が夜になったことですね。大学に入ってからずっと、海外にいたときもJリーグにいたときも練習時間は昼間で、夜の練習というのは本当にユース時代以来の環境だったので、サイクルが変わって、少し不思議な感覚です。これまでは午前中にトレーニングして、それから身体のケアをしていましたが、今は身体のケアをした後にトレーニングをすることになるので、これは大変だなと思いながらやっています。スイッチの入れ方というようなものが難しくて、正直いまだに夜練には慣れていないんですけどね(笑)。」

純粋に楽しんでサッカーをしよう

2022シーズン、JFLでは毎試合順位がめまぐるしく上下し、相手がどこであっても簡単な試合はひとつもないという近年稀にみる大混戦であった。その中で東京武蔵野ユナイテッドは開幕から好調を維持し、6月11日の第11節でついに首位に立つ。最終的には6位でシーズンを終えたが、後藤が加入する前の2021シーズンは残留争いをしていたことを思えば、満足はできないまでも納得の1年になったのではないだろうか。

「今シーズンから監督も替わって、こういうサッカーをしようという明確な方針が僕のやりたいスタイルと合っていたということもあって、僕から意見を発信することも多かったんですが、若いチームメイトたちがそれを純粋に受け止めてくれています。今年1年、Jリーグへの昇格もないですし、失うものは何もないと言い続けてきましたが、でもその中で僕たちが目指しているスタイルがあるので、それを毎試合できるようなチーム作りをしていかないといけないなと思いながらやっています。」

「鮮明にイメージに残ってるのはアウェイのマルヤス岡崎戦ですね。後半アディショナルタイムのラストワンプレーで決められてしまって負けた試合ですが、あの試合は良い意味で充実感のある負けでした。もちろん負けていい試合はないんですけどね。今シーズンのマルヤス岡崎は、メンバー的にもJFLの良い選手を補強して、ぜったい強いだろうと思っていましたし、事前に見ていた映像でもめちゃくちゃ良いサッカーをしていました。で、いざ試合をしてみたら、やっぱり上手かったですけど、僕らの方が主導権を握って試合を運べていましたし、自信がついた試合でした。最後で負けましたけど、それでもうちのサッカーをやりきった感はありましたね。ただ、常にあの試合ができないというのが今のうちなんですよ。それがどうしてなのか、メンタル的なことなのか、純粋に相手との力差なのか、僕もまだ分かっていないんですけど。」

今シーズンの個人成績は27試合出場1ゴール。しかし1年間の取材を通して、その成績の良し悪し以上に印象的だったのは、これまで抱えていたある種の葛藤から解放されたかのように楽しそうにプレーする様子である。これまでも述べてきたように後藤京介の持ち味は、左足から繰り出される正確なパスとしなやかなキック、それを生かした前への推進力だが、そのプレースタイルとチーム戦術の微妙なズレをどうすり合わせるかが課題のひとつでもあった。この世界で試合に出続けるために、チーム戦術に合わせる努力はもちろん惜しむべきではない。ただ、今シーズンの彼のプレーは良い意味でシンプルでもあり、全く違う次元でサッカーを楽しめているように見える。

「そうですね、今までだったら、もっと自分の結果に貪欲だったんでしょうけど、今年に関しては引き立て役でもいいのかなと思っています。もちろんゴールやアシストというような目に見える結果があった方がいいんですけど、その中で、なんだろうな、欲が少し落ち着いてきたのかな。試合中も、今までだったらブチ切れているようなシーンでも全然キレなくなったんですよ(笑)。Jリーグにいた頃は、自分さえ良ければいいっていう考えもあったような気がしますが、今はチームメイトに対して一歩引いて見ている自分がいて、みんなもっと上手くなれるのになと思いながらやってます。みんな若いなって思いながら、試合中も相手と喧嘩したりとかしてるのを笑って見ていたり。熱くなるなよとか言って、それが茶化しているように聞こえるかもしれないですけど、そういう意味で言ってるわけではないんですよ(笑)。」

これまでの経験を還元するということ

今年で30歳になった。若いチームの中で、ピッチ内では最年長になる場面も多い。今シーズンまで15年間このクラブに在籍し、チーム最年長であった金守貴紀選手も引退することになった。これまでの経験をチームメイトに還元するという意味でも、今後はますます後藤に求められる役割は大きくなっていくだろう。

「なもさん(金守選手)は僕が大学生の時にはもう武蔵野にいて、僕、大学1年の時の天皇杯準決勝(東京都予選)で武蔵野とやったんですけど、その時にも出てました。去年初めて僕がJFLの試合に出たときも開幕戦が武蔵野で、金守ってなんか聞いたことある名前だなと思って。今年チームメイトになってから、なもさんとは結構飲むんですけど、あの人、人見知りなんで普段は全然しゃべらないんですよ(笑)。でも飲むとよくしゃべってくれて。4月頃だったかな、二人で飲んでたときに、俺も本当はおまえみたいにサッカーだけで食っていきたかったんだよ、俺らは本当はお前みたいなやつを目指してやってたけど、できなかったからこのチームに入ったんだ、というような話をしてもらって。普段そんなこと言うタイプの人でもないし、ガチで急に言われて、ありがたい言葉だなと思いましたね。それまでもチーム内でずいぶん自由にやらせてもらっていましたけど、なもさんに、お前はお前のやり方でいいんじゃない、みたいな感じで言ってもらったので、その一言でより一層、楽になれたという気がしました。JFL349試合出場という記録は、Jリーグで349試合出るのとまた価値が全然違うなと思います。仕事しながら349試合出るなんて、シンプルに本当にすごいなと、その一言に尽きますね。」

大学を卒業して8年、サッカー選手として社会に貢献する活動についても自覚的である。これまでいろいろなクラブに所属し、その先々で地域貢献活動に携わってきたが、2020年以降はチームとしての活動が思うようにできなくなったことをきっかけに、個人的にも本格的に取り組み始めている。

「<PARK SSC>という企画で、去年は所属していたラインメール青森が試合に勝つと、ラインメールがボールを買って、聴覚障害者施設にボールを寄付するという活動をしていました。今年になってからは個人的にやりたいなと思って、今はチームが勝った時と僕が点を決めた時に、僕がお金を出して<PARK SSC>のボールを買って、そのボールを寄付しに行ったり、僕が1球ボールを買うことで貧困国にも1球ボールがプレゼントされたり、という企画に参加しています。」

「ヴァンフォーレ甲府にいたときもザスパクサツ群馬にいたときも、イベントで子どもたちと触れ合う機会があったんですけど、それがいわてグルージャ盛岡にいた2020年はなくなってしまって、その頃から何かやりたいなとずっと思っていたんです。ボールを寄付しに行くと、子どもたちも本当に喜んでくれて嬉しいですね。こうした社会貢献活動をすることによって、自分にとっても新しい出会いがあったり、知らなかった世界を見せてもらえたりということもあるので、この活動を仲間の選手たちにももっと広めていけたらいいなと思っています。」

ここで失うものは何もない

「僕はこのクラブに拾ってもらったと思っていますから、そのぶん僕ができることは惜しみなく貢献して、チームを良くしていきたいと思っています。今年は若いチームメイトたちが、自分が言ったことを素直に吸収してくれて、プレーも考え方も変わっていく、という場面に何度も遭遇しました。そういった選手が中心となってチームがより良くなっていくということに、純粋におもしろさを感じています。ここにきて、JFAのC級コーチライセンスぐらいは取得しておいた方がいいのかなと思い始めましたね(笑)。」

これまで7年ほどの間、何度もインタビューを重ねてきたが、将来的には指導者にという話は一度たりとも出たことがなかった。後藤本人も、このクラブに来るまで全く考えていなかったはずだ。もちろん今も、本格的に指導者を目指すという気持ちにはまだまだ遠いのだろう。それでも、これまでの自分の経験を還元することで、サッカーが大好きな若い選手たちが成長する様子を目の当たりにし、彼の中で何かが動き始めたのは事実だと思う。

当時J3のいわてグルージャ盛岡に所属していた2年ほど前、Y.S.C.C.横浜時代に指導を受けていた樋口靖洋監督(現在はヴィアティン三重監督)に、サッカー選手は35歳までは現役でがんばらなければ、と諭されたというエピソードを聞いたことがある。1年前のインタビューでは現役引退ということについて少し弱気なことも話していた後藤だったが、このクラブにたどり着き、新しい生活を始めたことによって、新しい次元でサッカーを楽しめるようになった。ここで失うものは何もない。あるのは、可能性ばかりである。

「そうですね、今年は今までとはずいぶん環境が変わりましたが、1年やってみて、これならまだまだ続けられそうだなとは思っています。今は年齢にこだわりはなくて、引退するか続けるかは熱量で決めようと。試合に負けて悔しくなくなったり、メンバー外になってもなんとも思わなくなったら、それは辞めた方がいい。それが何歳のときになるかは、今の目標は35歳ですが、もしかしたら伸びるかもしれないし、やれるまでやるのも面白いなと思っています。この年齢になると、同級生だけでなく後輩も契約満了になっていくのを多く見ますが、サッカー選手にとってチームがなくなるというのは、僕もそうでしたけど、いちばん不安なことです。僕はいま、こうしてプレーできるチームがあるわけですから、この環境を整えてくれた周りの方々に感謝しながら、楽しんでプレーし続けたいと思っています。」

後藤京介(ごとうきょうすけ)選手
1992年7月29日生まれ。東京都出身。178cm、73kg。
2015 FK Mogren(モンテネグロ1部)
2015-2016 FK Iskra(モンテネグロ1部)
2017-2018 Y.S.C.C.横浜(J3)
2019 ヴァンフォーレ甲府(J2)
2019 ザスパクサツ群馬(J3)
2020 いわてグルージャ盛岡(J3)
2021 ラインメール青森(JFL)
2022- 東京武蔵野ユナイテッド(JFL)


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