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人生という旅を楽しむ/日野健人さんインタビュー

東京都目黒区でサッカースクールのレッスンを見学した。校庭で子どもたちとボールを蹴っているのは、長年モンテネグロやオーストリアでサッカー選手として活動していた日野健人だ。彼に初めて会ったのは2016年の夏だったと思う。東欧の片隅で多くの時間と空間を共有し、何度もインタビューを重ねた(当時のインタビューは近日発売の書籍に収録予定)。現在は「中根サッカーアカデミー」と「GROWTS Kids Academy」でコーチとしても活動している。彼が考える人間教育とは何か、今後はどこへ向かっていくのか、話を聞いた。

恩返しのために、もう一度サッカーの世界へ

——前回のインタビューは、モンテネグロから帰国した直後の2019年冬でした。2年半所属していたクラブと話し合って契約を解除してもらい、サッカー選手として現役を続けるかどうかも含めて、今後のことを考えているという段階でしたね。

「そうでしたね。モンテネグロからは怪我もあって帰国して、コンディションもモチベーションもあまり上がらないままJFLのクラブに練習参加していたんですが、そんな状態なのであまりいいパフォーマンスも残せなくて。それに、自分が戦ってきたヨーロッパのサッカーと、日本のサッカーが違いすぎて、なにか少し冷めてしまった部分もありました。でもそれを実際に経験できたというのは自分の中での収穫でもありましたし、一度、区切りは付けようと思って、あの後すぐに、サッカーから離れるという決断をしました。」

——あの頃は、これから何をするのか、日野さん自身も全く決めていない状態だったと思いますが、それでも最終的には、何らかの形でサッカーに恩返ししたいと言ってましたよね。でもそれは今すぐにできるというものでもないから、少しサッカーから離れてゆっくり考えたい、というようなことも。

「そうですね。大学を卒業してからずっと突っ走ってきたような感じだったので、少し自分に時間を与えてみようと思いました。もともと旅が好きだったので、好きなことをしようと、宮崎でのんびりしたり、四国を歩いたり、大阪に行ったり、特に何も考えずに旅をしてましたね。サッカーのことも一旦忘れて、トレーニングもしていなかったんですが、1か月もしないうちに、東京都2部リーグのHBO東京というクラブの代表から、選手兼スタッフとして力を貸してほしいという話をいただいて。HBO東京は僕が2014年に初めて海外挑戦をする前に所属していたクラブでもあるし、恩返しのために、もう一回やろうかなという気持ちになりました。それは自分の競技スポーツとしてのサッカーというよりは、お世話になったチームへの恩返しでプレーしようと決めました。」

2017年撮影(モンテネグロ)

ギラギラした日本人を育てたい

——恩返しは今すぐは難しいと思う、と話していましたが、わりとすぐにその機会がめぐってきたわけですね。今はHBO東京での活動に加えて、「中根サッカーアカデミー」と「GROWTS Kids Academy」で、サッカースクールのコーチとしての活動にも力を入れているそうですが、子どもたちのスクールに携わるようになった経緯を聞かせていただけますか?

「HBO東京で活動することが決まって、会社員としての仕事も決めて、2019年の春頃から平日はサラリーマンとして働きながら週末はサッカーをするという生活を始めました。そんな中、7月頃だったかな、僕が海外に行く前にHBO東京で一緒にプレーしていた元チームメイトから、突然連絡があって。5年ぶりぐらいに再会して、お互いの近況報告をしました。その5年の間に彼は指導者の道に進み、自分の地元でサッカースクールを立ち上げて、今では100人規模のスクールになっていて。僕は海外で5年間サッカーをやってきて帰国したタイミングで、僕が今後やりたいこと、具体的にいうと人間教育のようなことをしてみたいと思ってるということを話したら、それが彼がいま実際にやっていることと一致する部分がとても多かったんです。それで、一緒にやるか、みたいな流れでここにやってきました。」

——海外でプロサッカー選手として活動していた頃も含めて5年ぐらいお話を聞いてきましたが、これまでも一度も指導者になりたいと言っていたことはありませんでしたよね。ですから、帰国してサッカースクールでコーチを始めたと聞いたときは、少し驚きました。

「中根サッカーアカデミーには「心を育てる」という理念があって、それはまさに僕がやりたかったことだったんですよね。僕はサッカースクールのコーチになりたかったというよりは、サッカーを通して、子どもたちの人間的な成長を促すような教育をしたいと思っていました。だから今も、教えているという感覚はあまりないんです。指導者というよりは、人間教育をサッカーを通してやっているだけであって、それはサッカーを通してじゃなくてもいいのかもしれないとすら思います。たまたま僕は海外でサッカーを5年間やってきたという経験があって、その自分の得意分野で人間教育をしている、という感じですね。」

——具体的に人間教育ということについて、どんな子どもたちを育てていきたいという思いがあるのでしょうか?

「ギラギラした日本人を育てたいっていうのが僕のテーマなんですよ(笑)。自分が海外に出て、そこで出会った人たちの良いところも悪いところも、逆に日本人の良いところも悪いところも、いろいろなことを感じて、もっと強い日本人を作りたいなと思ったんです。日本人はもっと世界と闘えるぞと。それこそこれからサッカーで海外に出て行く若者や、サッカー以外でも何かしらのチャレンジをしている人の後押しができたらと思います。だから僕は、スクールの子どもたちの人生を応援しています。サッカーじゃなくて良いんです。広い世界を見せてあげて、選択肢を広げてあげる。その上で選ぶのは彼ら自身ですから。サッカーを選んだらめちゃめちゃ教えますけど(笑)。」

——今日は実際に子どもたちのスクールを見学しましたが、みんなキラキラと楽しそうでしたね。

「僕はサッカーって楽しいものだと、それがサッカーの本質だと思ってるんですよ。だからスクールでも、基本的に褒めることしかしないんです。楽しいことをやってるはずなのに、叱るのはおかしいから。そういうサッカーの本質を伝えるということは、指導するときに気を付けているポイントのひとつです。例えば、サッカーって当たり前ですけどゴールを獲るスポーツですよね。でも、日本の指導はパスをつなぐことに集中してしまっていたり、目的が何かというのが見えなかったりする。僕はサッカーを通して、本質的な考えを学んでほしいと思っています。この練習の目的は何か、なんでそれをやるのかっていうのをサッカーを通して学んでいくことで、人生においてそういう場面に出会ったときに、ああこれはサッカーのあれと同じじゃないか、とかいうように、自然とそういう思考回路になっていってくれたらいいなと。だから、僕がスクールで子どもたちを褒めるポイントは、言われたことを言われた通りにできることじゃないんです。言われたことの中から自分で考えて行動ができたとか、違うアクションができたとか。今日の練習でも、それいいね、って僕が言ったところは、たぶん普通の指導者とは違うところを褒めてると思うんですけど、子どもって他の人が褒められてると、なんで褒められてるんだろうって見てるんですよね。それを考えさせるというのは、大事なことかなと思っています。」

誰とでもフラットに接する目線を

——オーストリアとモンテネグロで合わせて5年間、サッカー選手として活動してきたわけですが、いま振り返ってみて、海外で過ごした時間で何を得たと考えていますか?

「うーん、いろいろありますけど、ひとつあげるとすれば、誰とでもフラットに接する目線を持てたということですね。子どもだろうが大人だろうが、偉い人だろうが誰だろうが、対等に接する。そのことで、誰からでも学べると思っています。もちろん年齢によって経験の差はあって、そのことで子どもたちに伝えられることはあると思うんですけど、それで自分がすごいとか偉いとかは思ったことないんです。そういう考え方は、確実に海外で戦っていたときに身についたと思う。広い世界を見たことによって、価値観がぶっ壊されて、いま日本にいてもその感覚は当たり前のことになっています。」

——これまでも、周りが想像もできなかったような人生を歩んできた日野さんですが、今後はどこへ向かっていくのでしょう?

「想像できないほうが面白くないですか(笑)? 海外にいた時もそうなんですが、僕はずっと同じ場所にはいないと思うんですよ。そういう心持ちのほうが今を大切にできるんです。今いる場所で自分のベストを尽くすことが大事で、それが先に繋がると思います。自分が成長してステージが上がれば初めて見えてくる世界がある。その考え方やメンタルは海外でプレーしていた頃と変わりません。今は東京編ですね。自分が磨いていきたいことを、今はここがいちばん磨ける場所だと思うので。一緒にやりたいことができる仲間も周りにいるし、チャンスも感じるし、今がとても楽しいです。まだしばらくは東京編が続くと思いますが、でもやっぱり僕は、常にどこにでも行けるという状態でありたいとは思っています。全てのことには意味があって、出会いや御縁や、誰かが運んできてくれたチャンスだとか、そういった流れに身を委ねられるかどうかというのは大事だなと。それは決して流されるという意味ではなくて、自信を持ってそこに行けるかどうかというのを、自分自身でも楽しみにしています。それで、東京はもちろん、今後どこへ行った先でも人と関わって、その関わってくれた人たちの何かが少しでも良くなってくれたら幸せで。これまで周りの人たちにそうしてもらって生きてきたから、僕もそう在りたい。これからもまだまだチャレンジしていきます。」

日野健人(ひのけんと)氏
1990年8月9日生まれ。神奈川県藤沢市出身。
2014 USV Wies(オーストリア8部)
2014-2015 FK Arsenal Tivat(モンテネグロ2部)
2015-2016 SV Gleinstätten(オーストリア5部)
2016-2017 FK Kom(モンテネグロ2部)
2017-2018 FK Kom(モンテネグロ1部)
2018 FK Kom(モンテネグロ2部)
現在は都内の一般企業に勤務しつつ、週末には東京都リーグで選手としてプレーし、サッカースクールで子どもたちの指導にもあたっている。


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