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人のために、生きなさい

「俺も場所は覚えてないなぁ。ただの町墓(まちばか)だよ。」
「大村市にあることは間違いないんだよ」
「朝長鷹一(タカイチ)って名前が側面に彫ってある、これは覚えてる」


爺ちゃんに、ひい爺ちゃんの墓の場所を聞いた時の返答。
こんな情報だけで墓を探すのなんて無理ゲーやん。笑

墓探しの旅


2020年10月17日〜18日に長崎県大村市を訪れたのでここに備忘録的に残しておこうと思う。
目的は大きく2つ。

・ひい爺ちゃんの墓参りがしたい
・ひい爺ちゃんの生涯を知りたい


長崎県大村市で爺ちゃんは育ったが、大学生になる時に出てきて以来、ずっと東京に住んでいるので、父さんも俺もこっちで育った。爺ちゃん曰く「朝長海浜病院」という病院を開院したそれなりにすごい人だったみたいだ。どうしてもひい爺ちゃんのことが知りたくなり、すぐに長崎に行くことを決めた。

とはいえ、情報がなさすぎる。墓参りはしたいけど、墓自体の場所がわからないし、病院の跡地に行こうにもその場所もわからない。そこで、少しでもヒントがあれば…と思ってツイートをした。

たくさんの人が見てくれて、大村市の方が情報提供をしてくれたり、応援のコメントをくれて、なんだか壮大な冒険が始まったような気がしていた。笑

そして、当日

僕は大寝坊していた。いきなりの大ピンチ。

大村市歴史資料館

なんとか飛行機に間に合って、長崎県に降り立った。最初に向かったのは大村市歴史資料館。実はツイッターで大村市在住のゆきこさんという方からDMで教えてもらったのだが、大村市の歴史に関する調べ物を事前に依頼ができるらしかった。

問い合わせフォームに今回の旅の目的や調査してほしいことを記入した。とはいえ、依頼したのはたかが一般市民の調査。あまり期待はせずに歴史資料館に到着した。

受付に到着し、「あの〜、ひい爺ちゃんの調査依頼を出した者なんですが〜…」とお姉さんに伝えると「お待ちしておりました!どうぞこちらへ!」と。スタッフルームに連れて行かれ、既に机の上にはたくさんの本が並べられていた。全ての本に丁寧に紙が挟まれていて、よく見ると「朝長鷹一」の名前が登場する文献を見事に探し出してくれていた。

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問い合わせをしてから2日ほどしか時間がなかったのに、お姉さんが参考になりそうな文献をひたすら調べ尽くしてくれたと言う。文献から読み解けるひい爺ちゃんの生涯について、そこで聞かせてもらうことができた。

ひい爺ちゃんの生涯

俺のひい爺ちゃんは、長崎に落とされた原爆の被害者たちを心血を注いで治療に当たっていたらしい。

当時、原爆とは一体なんなのかすら分からなかった日本人たちの中で医療に携わる人のみが、原爆の恐ろしさを身をもって体感した。

朝長鷹一が別の病院の院長と共に全身全霊で治療に当たりつつ、被害者の方々の身体の変化や被害を事細かにまとめた資料を作成していた、という記述を大村市の資料館で見ることができた。

「二度とこの地球上に原爆が落ちてはならない」と声を上げるためにデータをかき集めていた。そしてその資料は無事に日本赤十字に提出されたと言う。

数日後に終戦するとは知らずに、次にいつ原爆が投下されるかもわからない恐怖と戦いながら、患者の治療と、声を上げるためのデータ収集に奔走していたらしい。

ひい爺ちゃんは、偉大だった。かっこいい大人だった。

病院の跡地には

歴史館でもう一つ大きな収穫があった。海浜病院の当時の正確な地図をもらうことができたのだ。それを元に歩いてみると、海浜病院が在ったその場所に小綺麗なアウトドアショップができていた。店長の晋裕さんに話を聞いてみたが病院跡地だったことは一切知らなかったらしい。

「この地形は絶対ここだよ!すごい!」と昔の地図と見比べて、驚いていた。お墓探しの話をしても、「絶対見つけられると思う!頑張れよ〜」と背中を押してくれた。

なんだかすごく居心地の良い空間でついつい長く入り浸りそうになってしまったが、時間もなかったのでトレーナーを購入し、そこを後にした。良い出会いだった。

さぁ、肝心の墓は?

ひい爺ちゃんの人生を知ることができたとき、資料館で話を聴きながら思わず涙が出た。ひい爺ちゃんは紛れもなくかっこいい大人だったし、たくさんの人の命を救った英雄だったに違いない。
歴史資料館を満足気に飛び出したのも束の間、すぐに気は重くなった。

「そう言えば、肝心の墓のことは何も分からなかったなあ…。」

もちろん歴史資料館では墓のことも尋ねたが、あまりにも情報がなかったせいで、なんのヒントも得られなかった。

町墓と伝えると、大村市の町中にある墓の場所は教えてもらうことはできたが、とてもじゃないけど1日2日で回れるような量ではなかった。

「ひい爺ちゃんの名前とか病院がどうとか、そんな情報がどれだけあっても墓の場所のヒントには全くならないということ」だけが分かった。

吉田さん

たまたまツイッターで声をかけてくれた方が大村市の資料のコピーをとってきたから届けてあげる!とのことで駅前で待ち合わせをすることになった。

吉田さんと言う方で、僕より僕の母との方が歳が近いであろう大人の女性。僕のツイートを見て応援したくなった、と連絡をくれた。

お会いして受け取った資料は実は歴史資料館で見たものばかりで目新しい情報はなかった。(せっかく持ってきてくれたのに申し訳ない…。)

お墓については正直諦めムードだった。僕自身見つかるわけがないと落ち込んでいるタイミングだった。その時吉田さんが「私の親族もずっと大村に住んでいるから、聞いてみようか?」と電話を目の前で掛けてくれた。94歳のおばあちゃんに掛けるとのことだったので、もしかしたら鷹一さんにも会ったことがあるかも!少しの期待を胸に吉田さんの電話を見守った。

「もしもし、おばあちゃん?朝長鷹一さんっていう方知ってる?」と聞いてすぐ、吉田さんの顔が曇ったのがわかった。駄目元で聞いてみてはいるが普通に考えて、知ってる可能性なんて微々たるものだよな、うん。

「その方の親族の方が今いらしてて、お墓を探してるの。霊園とかではなくて町墓らしいから、なかなか見つかりそうもなくて…!」と、おばあさんに話してもらうと、途端に吉田さんの顔がパッと晴れやかになった。

「わかったかもしれないです!!!!」

とのこと。正直、意味がわからなかった。

町の墓ではなく、町墓(まちばか)

よくよく話を聞いてみると、爺ちゃんが言ってた町墓と言うのは、町にある墓と言う意味ではなく、大村市に昔から住む人からはある一つの墓場のことを指す言葉らしい。

吉田さんも俺よりずっと歳上の方だけど、知らなかったみたいだからきっとご老人かつ相当限られた方しか知らない呼び方なのだろう。町墓の場所がついに特定された。「こうなったらすぐに向かいましょう!乗って!」と吉田さんの車に飛び乗り、情報通り裁判所の裏の墓場にたどり着く。

あまりにも広いお墓で、あたりは真っ暗。墓石の文字を読むのも一苦労だった。吉田さんと1時間くらい一緒に捜索をしたがついに見つからなかった。翌日明るい時間に再開することにし、この日は捜索を諦めて宿に向かうことにした。

ー1日目、終了。


2日目

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原爆の歴史

ひい爺ちゃんが被爆者の治療に当たっていたこともわかり、捜索の前に当時の状況を見に行くことに。原爆の落下地点と奇跡の大クスを見に行くことにした。

原爆による被災で一時は枯れ木同然になりながら、奇跡的に再び新芽を芽吹き、樹勢を盛り返していった大楠。現在では枝葉が豊かに茂り、その生命力を漲らせています。

あまりにも壮大な出で立ちに感動して声が出なかった。

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福山雅治がこの木をテーマにした歌を歌っていて、それを聞いてから臨むとより立派な木に見えた。

クスノキ
作詞:福山雅治 作曲:福山雅治
我が魂は この土に根差し
決して朽ちずに 決して倒れずに
我はこの丘 この丘で生きる
幾百年越え 時代の風に吹かれ
片足鳥居と共に
人々の営みを
歓びを かなしみを
ただ見届けて
我が魂は 奪われはしない
この身折られど この身焼かれども
涼風も 爆風も
五月雨も 黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて
ただ空を目指し
我が魂は この土に根差し
葉音で歌う 生命の叫びを

そして再びの、大村市へ。

宿泊していた茂木から大村市へ戻ってきて、早速墓探しを再開する。

衝撃と絶望。あまりにも広すぎる。

明るくなってから訪れて、わかったことがある。敷地がとにかく広すぎるのだ。

想像の15倍くらいはありそうな広大な敷地。無数に立っている大小さまざまな墓石。しかも、一番辛いのがひい爺ちゃんの墓がここにある確証はない。

有るか無いか分からない墓を探し続けるのは想像以上に辛かった。

墓の中の道は思った以上に入り組んでいるし、幾何学的に並んでいるわけではないからひたすら歩き回ってローラーもできない。きちんと正面に回り込まないと文字も読めないし、かなり薄れているから近くまでいかないと名前の確認もできない。

蜘蛛の巣はかかるわ、草をかき分けて指から出血するわ、足首はひねるわでずっと半泣き状態w

何やってんだろう俺ってずっと思ってた。

3時間以上墓場をさまよい続けて、心が折れ掛けた。何度か「朝長墓」は見つけるものの、別人のもの。
いくら何でも無理だ、と諦めかけた時に、

たまたま墓参りしているお婆さんに遭遇した。

駄目元で尋ねてみるも、朝長の墓の場所は知らないと言う。

ただ、お墓の管理している方のことは知っていると言う。電話番号を教えてもらった。
これが最後の望みだ。と、電話したところ、電話に出たのは墓の管理者ではなくお墓の水道屋さんだった。お墓の場所など全く知らなかった。
今の事情を伝え、逆に誰か知ってそうな人知りませんかねー?と伝えたが、一切思いつかないとのこと。ここは諦め、電話を切った。

また別の方法を考えるか…と墓場のど真ん中に座り込んで半泣きになっていると、さっきの番号から折り返しがかかってきた。

「ちなみに探しているお名前はなんて言うんですか?」

と聞かれ、朝長と答える。

「もしかして「朝」に「長」ですか????」
「たまたまウチのお墓の隣が朝長さんなんですよね〜。」

とのこと。

正直驚いたが、急いで行き方を教わった。
教えられたルートは信じられない道のりだった。え、ここ道だったの!?という衝撃。

こんなところ、ただふらふら歩いてたら辿り着けるわけがない。

ついに発見、朝長墓

教えられた通りに歩いた先に確かにいくつか墓石が並んでいた。その中で明らかに一つだけ、変わった方向を向いているお墓があった。あまりの疲れで一度スルーしてしまったが、思わず二度見をした。

墓石には大きく「朝長家之墓」の文字が。

すぐに駆け寄って墓石を入念に確認する。そしてよく見ると、石の側面に微かに鷹一の文字が。

間違いない。ひい爺ちゃんの墓だ。
見つけた途端にボロ泣きだった。そしてその場で崩れるように体育座りのような姿勢になり、しばらく動くことができなかった。


どうしても、墓参りがしたかった理由


一人旅に行く1週間くらい前の話。爺ちゃんと話してて、ひい爺ちゃんってどんな人だったの?とふとした拍子に聞いてみた。
爺ちゃんから聞けたのは以下。

「朝長海浜病院」という病院を開院した。

小さな病院だったが、町の人には人気だった。

80を過ぎてからのある日、夜中に市内で急患が出た。ひい爺ちゃんが急いでオートバイを飛ばして、応急処置に向かった。その方はなんとか一命を保ったと言う。

そして、ひい爺ちゃんはその帰りの道中に
事故に遭って死んだ。

ひい爺ちゃんの生前の口癖が「人のために生きなさい」だったらしい。最後まで自分の信念を貫いて、人のために死んでいったひい爺ちゃんは爺ちゃんにとって、誇りだった。

衝撃だった。なぜなら、僕自身もずっと父親から「人のために生きろ」と言われて育ったから。そのことを爺ちゃんに話すと、「当たり前だろ、俺が高志(父)にずっとそう言ってきたんだから。」僕が父さんから言われてきた言葉は、父さんが爺ちゃんから、爺ちゃんはひい爺ちゃんから言われてきた言葉だった。
それを聞いた途端、どうしてもひい爺ちゃんに会いたくなった。会話はできなくてもいい、せめて墓参りだけでも。直接自分の言葉で話をしたかった。
その場で感極まって、「今度の連休で墓参りしてくる!場所教えて!!」と爺ちゃんに言うと

ー「俺も場所は覚えてないなぁ。ただの町墓(まちばか)だよ。」
ー「大村市にあることは間違いないんだよ」
ー「朝長鷹一って名前が側面に彫ってある、これは覚えてる」

よくこんなヒントだけで見つけた

墓石を見つけた瞬間、アホみたいに涙が止まらなかった。
やっとひい爺ちゃんに会えた喜びと、終わりのない墓探しからの解放の安堵と、色んな気持ちが入り混じって、ボロボロ涙が溢れた。
しばらく、墓石の前でへたっと座って時間が過ぎた。嬉しかったけど、頭の中は空っぽ、というかただただ泣いてた。多分何も考えてなかった。ひい爺ちゃんの墓石見ながらぼーーっとして、泣いていた。
しばらく経ってからお世話になった吉田さんに電話した。「ついに見つけました!!!見つけた瞬間涙が溢れ出てきて…」と話してたらまた何故かボロボロ涙が出てきた。
吉田さんも電話の向こうで「良かったですね〜!鷹一さんも喜んでますよ絶対!」とめっちゃ泣いてた。良い人すぎる。俺より泣いていたかも。笑

お墓を見つけた時の視点の再現を、撮影しておいた。笑

爺ちゃんと父さんにも電話

2人とも「よくやったなぁ〜!偉いなぁ〜!」ってずっと褒めてくれた。2人の中では俺は多分いつまでもガキンチョ。笑

電話を終えて

電話を切って、改めて落ち着いた気持ちでひい爺ちゃんの墓に正対する。

想像以上に立派なお墓だ。

小高い丘のようなところにぽつんと立っていて、大村の町が一望できる。他のお墓と違って横並びになっておらず、ひとつだけぽつん、と。

そういえばまだ墓参りしてなかったな。笑
合掌して心の中で話しかける。
と思ったら、心の中で話しかけるのって、意外と難しくて色んな言葉がぽんぽん浮かんでくる。から、思い切って声に出して墓石に話しかけた。

「ずいぶん探したよ。最初は全く見つかる気配もなかったし、諦めて帰ろうかとも思ってた。この数日でひい爺ちゃんのことをたくさん知れて、ひい爺ちゃんが言ってた「人のために生きなさい」という言葉にどれだけ重みがあったか、痛感した。本当は直接話してみたかったけど、こうやって面と向かって話しかけられるだけで嬉しいよ。」

「今回の旅で決意したから、ここで宣言しておく。」

「僕もひい爺ちゃんのように、人のために生きていきます。」

これは俺の覚悟だ。

朝長家の名に恥じない生き方をしてみせるとひい爺ちゃんに、誓った。


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