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かわいい子に旅をさせる前に親が旅をしたほうがいい。

旅というと今は娯楽と認識をしたほうがよくて
趣味とかになったりする。
温泉旅行、海外旅行、推し活のための密航等
自分が好きなことをするために旅をするというのがほとんど。
ただ、今は交通機関が発達していることもあり
気軽に世界に、日本全国いたるところに簡単に行けたりする。
色んな世界とかを見て自分の経験に落とし込んで
自分の人生に活かしてほしいと含まれているのが
かわいい子には旅をさせろにはなるが
元々はこの言葉ができる頃ってそもそも交通機関も発達してなくて
というかそういったものが全くと言っていいほど存在してなくて
スマホ等の情報端末も全くなくて
知恵と体力で何日も歩いて、方向もこっちかな?あっちかな?
天候悪くなったら雨宿りする場所探してとか
病気なったりしたらどうしましょ的な感じで
旅って結構苦行やったりする。
むしろあっちの国ってどんなんだろうって思いを馳せながら
いけることを夢見てそのままなくなっている人なんて
山ほどいるかもしれない。
それくらい旅というのは過酷ということを前提として
本題に入ろうかと思う。

かわいい子には旅をさせろ

世の中に出して、辛さを経験させる。
それを旅って比喩して言ったんでしょうかね。
人生も長い旅であるなんて言いますしね。
人生って楽しいことばかりじゃなくて
乗り越えないといけないことっていっぱいある中で
それを自分であるいは周りの力を借りて乗り越えるということを
経験して対応できるようになるのが大事ということ。

これを経験させるとなると親の子離れが必要になってくる。
子供の自立、自律とか言う前に親ができていないことも多いのでは?
よりいい成績、よりいい高校、よりいい大学、よりいい一流企業、よりいい○○
自分がうまくいかなかったことを子供に投影させて
まるで自分の生き写しかのように自分がなりたかった未来を
わが子に当てはめようとしているのではないか?
それによってどれだけの子供たちが苦しんでいるのだろうか?
もうすでに生まれながらにして生きた心地のしない旅をしているのでは?
しかもレールを引かれた自由なんて存在しない苦行という名の旅。
親は自分が腹を痛めて産んだ子ではあるけれども他人である。
家族だけど、血はつながってるけれども他人ではある。
だって自分じゃない肉体とたましいを持っている人なのだから。
それを変えようとするのはできないってわかっているはず。
自分の言う事は正解で、常識で、当たり前で、正義であると。

子供を変えたいならば自分が変わらないと変わらない。
しかも即効性を求めてもだめ。長い目で見ないといけない。
子供への接し方、自分が日ごろから行っている取り組み、言動
一挙手一投足を子供たちは見てる。
大人になったから終わりとかではない。むしろ大人になってからの方が
日々成長していかないと子供に見向きもされなくなる。
反抗期って子供の身体と心が急激に成長して
すごく繊細になっているから何でもない一言とか行動が
一気に傷つけるものになり、モチベーションを下げるものになって
親に反発するのではないだろうか。もちろん親からの愛情を貰ってないというのもあるが。(いい点数を取ったときだけ褒めてもらえるとかの条件付きの愛も含まれる。)
親が親になったことないからそりゃ家族という組織を扱うのは
難しいけど、家族だからという理由でいろいろやっていいものでもない。
まずは親が変わること。そこから、日々仕事頑張ってますを偉そうにしないこと。そのうえでプラスアルファ何かへの取り組みがないと成長はない。

人のことごちゃごちゃ言う前に自分が何をするか?
背中で見え続けていく、超えれない壁は親であれ。
親が子供からの自立をすることが子供の自立につながるのではないだろうか。

あらためてあけましておめでとうございます。
今年もこんな僕ですがよろしくお願いします。
新年早々、石川、能登の方で地震が発生して
大変かと思います。ご無事でいてください。
僕もたまたま旅先で震度5強の強い揺れを受けました。
それ以上の揺れでそのあとも幾度となく続く余震ですごく不安な夜だったと思います。
でも、捉え方一つでこの先の未来は自分たちで作れると思います。
あのときがあったからと思える出来事に解釈できるのは自分次第。
もちろん苦しいことが今はあるとおもいますし
お前に何がわかるといわれそうですが、正直わかりません。
でも、受け取ることはできます。
ここからが人が人である本領発揮ところやと思います。
どうか、ご無事で。
じゃあ、また。

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