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NVC x IFS x人智学@北海道いずみの学校で「魂の内面に闘いの舞台を築く」2daysワークショップに挑んだ想いと顛末の記録🙏



はじめに

 2024年7月19日-20日2daysに渡って、北海道にあるシュタイナー教育を実践している「いずみの学校」に呼ばれて、NVC(非暴力コミュニケーション) x IFS(内的家族システム) x人智学(ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィ)「魂の内面に闘いの舞台を築く」ワークショップを開催しました。

 私にとってある意味マイルストーンになるワークショップだったので、その根底(魂底?)にあった意図と背景を書き留めておきたいと思います。教師と保護者が一緒になって学ぶコミュニティが既にあったこともこの場が実現した要因として、とても大きいです。改めて、呼んでくれたくにちゃん(佐藤邦宏先生)に感謝です🙏

※ くにちゃんのFacebookでの投稿は、こちら✨

 さて、「魂の内面に闘いの舞台を築く」というタイトルは、実はシュタイナーが100年前、第1次世界大戦の終わりに分かち合った以下の見解から来ています❣️

平和の育成は、一つの内的な活動です。この内的活動があって初めて、平和は発生するのです。私たちはアントロポゾーフとして、アントロポゾフィー協会として、この時代的課題をクリスマス会議で受けとったのです。ルドルフ・シュタイナーは、すでに第1次世界大戦の終わりにそのことを示唆していました。「私たちは時代の終わりにいるのではなく、闘いの時代のただなかに立っているのです。この時代には、人類進化におけるさまざまな混沌とした出来事が起こります。すでにたびたび申し上げているように、そうした出来事において、人々は学ぶべきなのです。」そして、ルドルフ・シュタイナーは私たちに、闘いの舞台を魂のなかに探究するように促します。自分自身の魂のなかこそが、闘いが実際に行われるにふさわしい場所なのです。もし私たちがこの内的な闘いを認めようとしないのであれば、その闘いを自分の魂のなかから世界へ投影し、外なる闘いをあおり立てる危険が生じます。ルドルフ・シュタイナーは次のように語っています。

「しかし、人々がこの内的な闘いに打ち勝とうとしていないこと、まだこの闘いから逃げていて、この内的な闘いをまだ欲していないこと、それが時代の現れなのです。そして、人々がこの闘いを内面に持つことを欲していないために、今日、それが外に投影されているのです。」心理学で「投影」として知られている現象に、シュタイナーはこの当時すでに言及していました。彼はさらにこのように続けます。「それが、必然的に訪れることなのです。つまり、人々は、今日、外で闘わなければならないと思っていることを、内面に受けとめなければならないのです。人間の魂の内面における舞台、それが、今日、人々の間でこれほどまでに崩壊をもたらしていることへの治療薬なのです。この内なる闘いの舞台が人間の魂の中に入り込むまでは、外面において、人々の間にもたらされた大惨事が消え去ることはないでしょう。」

『アントロポゾフィー協会の進化について』by パウル・マッカイ(入間カイ訳)p68-9より

 シュタイナーは、地球の歳差運動の周期2160年毎に文化期を捉える歴史観で、西暦1413年に始まった「現代」を含む文化期を「後アトランティス第5文化期」とし「意識魂の時代」と理解します。ものすごく単純にざっくり言うと、人は、この2160年周期に男性としてと女性としての2回輪廻転生し「文化期」を体験するのです。セルフジャーニーを理解する一つの法則性であり、「文化期」を通して、私たちは全く異なる質の「新しい」世界を体験するのだと言えます。
 つまり、この文化期に生を受けるセルフジャーニーの体験は「意識魂の時代」の体験の特徴を帯びると言えるということです。
  「後アトランティス第3文化期:エジプト・カルデア文化期」(B.C.2800年頃~B.C.747)では「感覚魂の時代」を体験し、「後アトランティス第4文化期:ギリシャ・ラテン文化期」(B.C.747年~A.C.1413)では、「悟性魂(心情魂)の時代」を体験して、現代に至って、こうして私は文章を書きそれをあなたが読む「今」まさに「意識魂の時代」を通過中なのです。
 ここに私は、人間の魂の内容に生き生きと鼓舞されていた時代から、「意識魂の時代」に至って「人間の魂の内面における舞台」を意識できるようになったことの意味・意義を共有したいと思うのです
 そして、NVC(非暴力コミュニケーション)やIFS(内的家族システム)といったモダリティ(心理手法)が「意識魂の時代」が約1/3程過ぎたタイミングで登場した事実の意味・意義を捉えたいと思うのです
 
 実はこの構想は、今年の3/30〜シュタイナーの命日に、「東京で、日本のアントロポゾフィ(人智学)協会が、分断の時代を乗り越えて普遍的な協会となる集いがあるということで、日帰りで参加することにし※」た際に、新幹線の中で、まさに上記の『アントロポゾフィー協会の進化について』by パウル・マッカイ(入間カイ訳)該当部分を読んでいた時に着想し、総会中に私は協会員が「人間の魂の内面における舞台」を互いに目撃し合う「合宿」ができたらどんなに素敵だろうと発言した際には、IFSコンステレーションのカタチに至るインスピレーションとして既に浮かんでいたのです。
 ですから今回、北海道の「いずみの学校」で、このカタチを実際に具体的な感覚界で共有できるものとして表現できたことは、私にとってとても大切なタイミングと機会であると共に、どこかしら霊界と共同作業をしているようなそんな出来事でもあったのです🙏

※ 参考までに、私のその日のFacebookの投稿はこちら✨

1日目夜〜NVCイントロ〜

ニーズカードとインナーパーツカードのサークル1日目

 1日目は、いずみの学校の夏休み前最後の授業の日。私も午前中は12年生の社会の授業と11年生の美術の授業に参加させてもらい、午後は全校で大掃除の時間でした。それらを終えた後、夕方5時から保護者の方や先生が25名近く集まってくれて、「NVCイントロ」の2時間をオイリュトミー教室を借りて行いました。
 写真のようにゴザを真ん中に敷き、そこにNVCのニーズカードを2セットとIFSのインナーパーツカードを円状に並べて準備し、このゴザの周りに参加者の方には座ってもらいました。このゴザが2日目にテーマに通じる意味を持つのですが、その時は私も知りませんでした。ニーズカードが2セットあるのは後半の「ハートフルダイアローグ」で10人を越える聴き手にニーズを選んでもらう為です。

1日目の黒板

 流れとしては、まず冒頭で「はじめに」で引用した『アントロポゾフィー協会の進化について』by パウル・マッカイさんを読み「魂の内面に闘いの舞台を築く」というテーマの拠り所を述べた後、席に着いた時に選んでもらっていたニーズカードを集めて「ニーズサークル」をくにちゃんに手伝ってもらい黒板に描きました。私の「NVCイントロ」はこの「ニーズサークル」からフィーリング(感情+身体感覚)と方法・手段(ストラテジー)の関係について一緒に吟味していくことが多いです。
 このやり方によると興味深い事実が幾つか全体で確かめることができるからです。その一つは、特定のニーズからそれが満たされた時/満たされない時のフィーリング(感情+身体感覚)を想像することは容易なのに、フィーリング(感情+身体感覚)からその背後にあるニーズを推測することは難しいという事実です。ここに実は、NVCで言われる「共感」が、頭ではなくシュタイナーも述べていた「ハート器官」に拠るものであることが示唆されていると思うのです。

ニーズと感情を人智学的に捉える試み

 ちょうど隣の「高校教職員室」に、プラトンとアリストテレスの絵が飾られていたのを借りてきて、ニーズと感情について人智学の文脈において、おそらく他ではあまり触れない側面をお話ししました。

 ニーズと方法・手段(ストラテジー)を識別するのに、ギリシャの哲学者プラトンの英語の頭文字PLATOを使うやり方があります。それぞれPerson(人)、Location(場所)、Action(行為)、Time(時間)、そしてObject(物)を意味します。もしこのどれかに結びついているとしたら、それはニーズではなく方法・手段(ストラテジー)として識別するのです。
 そうです… まさにNVCで言うところの「ニーズ」は、感覚界に紐付いているのではなく、プラトンの「イデア」を指し示しており、つまり人はニーズにつながることにより、理念界に触れるのです。

 そう捉えるなら、シュタイナーが「感情の本質は意志の本質から理解できる」として、次のように述べていることがNVCの実践を通じて具体的に腑に落ちるでしょう。

「感情は意志と類縁で、意志とは実践された感情であり、感情は遂行されない意志なのです。感情とは、意志が現実化せず心に留まっているものであり、意志が弱められたものなのです。ですから、意志の本質を捉えれば、感情の本質も理解できます。」

『教育の基礎としての一般人間学』(森章吾訳)第4講

 つまり、人が理念界にあるニーズを感覚界において具体的なカタチを与えて現実化しようとする意志において、「感情は遂行されない意志」であり、「意志が現実化せずに心に留まっているもの」として感情を経験しているということなのです。

 シュタイナーは、思考・感情・意志という3つの要素を一緒に話しますが、次の図もNVCの実践から具体的に見えて来ることが幾つかあります✨

『教育の基礎としての一般人間学』(森章吾訳)第4講にある図式

 例えば(このことはワークショップでは話しませんでしたが)、思考と感情が混ざる下の部分は、NVCの観察と解釈を識別することや、解釈による感情を理解する新たな基盤となるでしょう。

 通常の意識において、思考(認識)が目覚めていて、感情が夢見ていて、意志が眠っているとシュタイナーが述べていることも、そう言われば確かにそうだと思えるのではないでしょうか?
 理念界に在るものを感覚界において具体的なカタチを与えようとする意志は「眠っていて」、言わば無意識に働き、だからこそニーズを意識化することが難しいのです。
 私にとって、フィーリング(感情+身体感覚)からその背後にあるニーズを推測するのが「ハート器官」の働きであることが体験的に明確になっており、言わば「眠れる意志」を「ハート器官」によって意識化することがNVCの共感だと、人智学の智慧を基盤に新たに「共感」を定義できると思うのです。

※ シュタイナーの文献や図式で、共感と反感という対になる用語として「共感」と訳されているのは、英語で言うSympathy(ドイツ語のSympathie)で、NVCの共感のEmpathyではないことに注意してください🙏

 最後に、この理解を分かち合うことから二人組で「ハートフルダイアローグ」をしました。最近気になることについて、5分ずつ話し手は「ハートから話し」聞き手は黙って「ハートから聴く」ことを練習し、終わりに聴こえて来たニーズカードを選んで話し手に差し出すのです。

 人智学という共通の文脈があるからこそ、「頭」ではなく「ハート」を使って聴くというガイドがすんなりと受け入れられたことがわかりました。

2日目午前〜内なる闘いの舞台でワークする〜

人間には魂が統治できなくなったのです。このことはどうか真剣に受け取ってください。魂から奪われて死したものが、現代人の特徴を表しているのです。この死を通して、まったく独特の仕方で、ルシファーとアーリマンの影響が現れます。人間は一方でますます自由になっていきながら、アーリマン的、ルシファー的諸力の影響によって、魂を統治することができなってきています。これが、なぜ今日、あたかも心の中に二つの魂が住み、これらの魂が互いに離れようとしているように感じるかの原因です。現代の人間の謎、現代人の内的体験の多くは、このことに起因しているのです



 現代人は努力するパルツィヴァルと負傷したアンフォルタスという、二重の本性を負っています。自己認識において、そのように感じなければならないのです。その二元性を一元的にする力を湧き出させ、人間は一歩前進しなければなりません。私たちの悟性魂(心情魂)の中において、私たちの内面深くにおいて、体と魂に傷を負った現代人、アンフォルタスと意識魂の養育者たるパルツィヴァルが出会わねばなりません。自由を獲得するために、アンフォルタスの「負傷」を通過し、自らの内にアンフォルタスを認識することが必要なのです。」

『秘儀参入の道』

 2日目の朝早く起きると、このシュタイナーの文章を思い出して、旅先に持ってこなかったので、本を探してもらいました。IFS(内的家族システム)の導入に、どうしても傷ついた聖杯城の王アンフォルタスと意識魂を象徴するパルツィヴァルが出会う物語との関連を共有したかったのです。

聖杯城の王アンフォルタスと意識魂を象徴するパルツィヴァル

インナーパーツカードを使って

ニーズカードとインナーパーツカードのサークル2日目

 2日目午前のチェックインは、ニーズカードを1セットにしてパーツカードを2層に並べた中央のサークルから、今の自分の中にいる「分身※」を表すパーツカードを選んでもらいました✨

 ※ 「分身」という表現をここでは使ったのは、人智学者ベルナード・リーヴァフッドさんの『境域に立つ』(丹羽敏雄訳@涼風書林)という著書に「人間の「分身」について」という章から来ています。境域に立つ「現代人」の自己認識が、IFSやその他のパーツワークが現れてきた背景にあると理解するからです。そしてこの背景は、傷ついた聖杯城の王アンフォルタスと意識魂を象徴するパルツィヴァルが出会う物語が示そうとしていることに通じるでしょう。詳しくは、また別のnoteでまとめたいテーマです🙏

IFSプレゼン資料の例1
IFSプレゼン資料の例2

 Inner Active Partsカード(通称パーツカード)というのは、IFS(内的家族システム)による副人格としてのパーツ(言わば自分の分身)を外在化するためのツールです✨
http://www.inneractivecards.com/home.html

インナーパーツのイメージ
インナーアクティブカード

 スライドを使った30分のIFSのレクチャーの後、4人組になってもらうそれぞれパーツカードを1セット分(72枚)並べてもらい、20分かけてカードを見ながら次の問いを探求し話し合ってもらいました✨ 

  • 自分の内側にどんな自分を見ますか?感じますか?どんなパーツがいるでしょうか?

  • 自分の外側にどんな人を見ますか?感じますか?どんな印象を受け取りますか?

  • (時間があれば)それぞれのイメージに、どんな感情があり、どんなニーズがあるかをハートで感じしてみてください✨

 通常は、インナーパーツカードは、内側にある自分のパーツにアクセスするのを助けるためのツールです。しかし、私は外側に見ている「他者」からどんな印象を受け取っているかを理解することにも同様にインナーパーツカードが使えると思ったのです❣️

 この意図の背後には、『教育の基礎としての一般人間学』にある次のような図式があります。私はこの図式を、ここ数ヶ月興味深く眺めていました。

シュタイナー『教育の基礎としての一般人間学』(森章吾さん訳のKindle版より図式拝借)

 なぜなら、シュタイナーはこの図式と共に、とても衝撃的でかつ興味深いことを述べているからです。まず左の部分ですが、私たちが何かを認識する際に持つ「表象」について、「表象とは誕生前の営みの像(霊学的認識)」だと言うんです。

「鏡に映る像を例にすれば、こう言えるでしょう。「鏡に何かが映っても鏡の背後には何もなく、 その物は、鏡とは関係のないどこか別な所に存在する。そして鏡は、映すものには頓着せず、あらゆるものを映し出しうる」と。表象は、これと全く同じ意味で像的です。それが分かりますと、必然的にこう問うことになります。「表象は、何を映し出した像なのだろうか」。これについて通常の学問は何も答え られません。アントロポゾフィーを基礎とした学問だけが答えられるのです。つまり表象とは、受胎以前のあらゆる体験を映した像なのです。「人間は受胎以前の営みを経てきている」という事実認識がありませんと、表象を真に理解することはできません。そして、通常の鏡像が空間的に生じるのと同じよう に、死と再受肉の間の営みが今生の営みに映し出され、それが表象になるのです。」

「事柄を真に認識する人にとっては、表象そのものが誕生前の存在を証明しているのです。なぜなら、表象とは誕生前の存在の像だからです。」

シュタイナー『教育の基礎としての一般人間学』

 そして、右の「意志」の部分について、「意志とは死後に芽生える萌芽」だと言うんです。そして2つの縦線で区切られている、「今世」が反感・共感の働きと共に「感情」を真ん中に存在している…

「意志とは私たちの中にある一種の萌芽であり、それが死後、私たちの中で魂霊的現実となるのです。「私たちが持つ萌芽が死後私たちから発し、魂霊的実体になる」というイメージが意志なのです。」

シュタイナー『教育の基礎としての一般人間学』

 さて、小グループでの探求はとても盛り上がっていました。多くの気づきや発見があったようで、全体で感想をシェアする中、例えば、くにちゃんはとても興味深い現象をシェアしてくれました。

内側の林檎をぶつけられる男の子が外側に怒る人を見る

 内側に「林檎をぶつけられる男の子」(左)のパーツがいて、その子から見ると外側の「他者」に「怒る人」(右)が見えると言うのです。

ミニ・コンステレーション(人間彫刻)

 この現象を実際に、2日目午前の残りの20分くらいの時間に、「人間彫刻」と呼ばれるIFSコンステレーションのミニ版でワークしました。このワークは、私がオーストラリアで対面でのIFS公式トレーニングに参加した時、IFSセラピストの在り方を練習する方法として学んだものです✨

IFSセラピストの在り方

 ゴザを敷いた場所を「舞台」に、当事者であるシーカー(探求者)の「魂の内面の闘い」を外在化していきます。まず「相手」を参加者の中から選んて「代理人」として「舞台」を挟んで対極に座ってもらい、次にシーカーのパーツの一人一人の「代理人」を参加者から選んで「舞台」の中に呼び入れていきます。そのパーツがどんなことを言っていて、どんな姿勢で、どんな動きをしているか、シーカーの内側を確認しながら「魂の内面の闘い」の「舞台」を構築していくのです。
 具体的に何が起こったかは守秘義務を大切にしたいので抽象的になりますが、特定の出来事や関係性に関わるパーツが「舞台」に登場し終わると、シーカーは「魂の内面の闘い」が実際にそのようであるかを確認します。同時に、周りで見ている他の参加者はコミュニティのメンバーとして、シーカーの「魂の内面の闘い」を一緒に目撃するのです。
 
 「I see you(私はあなたを見守っています)」と最後に「舞台」を囲む参加者が全員で言葉にする時、「魂の内面の闘い」を共に目撃するコミュニティーが、そこに在りました❣️

2日目午後〜他者と共に世界を創る〜

三千年紀初頭つまり西暦2000年のはじめに起こる「他者」との遭遇✨

 「天使は私たちのアストラル体で何をするのでしょうか。天使が行うことに関して確信が持てるようになるためには、私たちが霊視的な観察のある段階まで上昇し、自分自身のアストラル体の中で起こっていることに目を向けなくてはなりません。従って、この問いかけに答えを見出そうと思うなら、私たちは少なくともイマジネーション認識のある段階まで昇っていかなくてならないのです。そのとき初めて、アンゲロイのヒエラルキーの存在が、人間のアストラル体の中でヴィジョンを形成していることがわかるのです。この場合、主として活躍するのは個々の人間を導く使命を担っている天使ですが、天使たちが協力しあって仕事をすることによって、ヴィジョンが形成されることもあります。天使たちは、形態の霊たちの指導のもとにヴィジョンを形成します。もし、イマジネーション認識にまで上昇していかないならば、私たちは自分のアストラル体の中で絶えずヴィジョンが形成されている事実を知ることができません。これらのヴィジョンは、発生しては消えていきます。もし、これらのヴィジョンが形成されないならば、人類が未来に向かって形態の霊たちの意図にふさわしいように進化することもなくなってしまいます。私たち人類と共に地球進化の目標まで到達したいと思うならば、形態の霊たちはまずそれをヴィジョンの中で発展させなくてはなりません。そして、このヴィジョンの中から、それをもとに新たに造り変えられた人類が、つまり現実が生じるのです。そして、現在、形態の霊たちは天使を通して、私たちのアストラル体の中にこれらのヴィジョンを形成しています。人間は霊視へと発達した思考の力を用いて、天使たちが人間のアストラル体の中で形成している、これらのヴィジョンに到達することができます。つまり私たちは、天使がアストラル体の中で形成するヴィジョンを追っていくことができるようになるわけです。そうなれば、これらのヴィジョンが、完全に定められた衝動あるいは原理に従って形成されていることが明らかになります。これらのヴィジョンは、方法それ自体の中に、未来に向けての人類進化のための力が存在するようなやり方で形成されます。このような仕事に従事する天使を観察するならば ー このような言い回しはいささか奇妙に思われるかもしれませんが ー、地球上で将来人類が営むことになる社会生活の形成に対して、天使が完全に定められた意図を抱いていることがわかります。天使たちはこのヴィジョンを人間のアストラル体の中に作りだそうとします。そして、これらのヴィジョンが、完全に定められた社会の状態を、未来の人間の共同生活の中に生みださせようとするのです



人間の魂的な生活に関して、天使たちは、人間のアストラル体に刻みつけるヴィジョンを通して、「未来では、一人一人の人間が他の人間の中に隠された神性を見るようにならなくてはならない」という目的を目指しています。



現在、私たちは意識魂の時代を生きています。そしてこの意識魂の時代に、アンゲロイは人間のアストラル体の中で、私がたったいまお話したようなことを行っています。人類は、私がお話したことを少しずつ、意識的に把握するようにならなくてはなりません。これは人類の進化に属する事柄です。



このようなことは、しばしば、人間にとってはまったく謎めいて、矛盾しているように思われるような方法で生じます。しばしば人はある人物を前にして、「この人は霊的な世界と結びつく資格はまったくない」などと考えたがるものです。しかし、本当のところは、その人は今回の受肉において眠ってばかりいるために、自分の周りで起こることをことごとく逃しているだけなのです。この人のアストラル体の中では天使が、天使の共同体の中から人類の未来のための仕事をしています。アストラル体は天使によって使用され、私たちは自分のアストラル体をもとにこのことを観察することができます。しかしここで重要なのは、「このような事柄がまさに人間の意識の中に入ってくる」という点なのです。私たちは意識魂を高めなくてはなりません。それは、意識魂を高めることによってのみ見出すことができるものを、正しく評価するためなのです。



この意識魂の時代は、いままさにある特定の出来事の方へと進みつつあり、「この出来事が人類の進化の中でどのようにして生じるか」ということは、人間自身によって決定されるのです。その出来事が起こるのは、1世紀早くなったり遅くなったりする可能性があります。しかし、いずれにせよ、それは人類進化の領域に入り込んでくることになるでしょう。この出来事を特徴づけるならば、「人間は意識魂、つまり意識的な思考を通して、純粋に『天使がどのようにして人類の未来を準備しているか』を理解するようにならなくてはならない」と、いうことができます。


(補足:三千年紀の初頭つまり西暦2000年以後に向けた「重要な霊的な開示」としての「ある特定の出来事」✨)

この出来事について、私たちはもっと正確に描写することができます。というのも、基本的には、「私たち人間が天使の行うことを知っている」と言うだけでは、まだ単なる準備段階にすぎないからです。「ある特定の時期に三つのことが同時に生じる」ということが最も重要です。既にお話ししたとおり、人類がどう振舞うかということに応じて、この時機がやってくるのは遅くなったり早くなったりします。最悪の場合には、この時機は永遠にやってきません。ここで起こるべきこととは、「天使の世界を通して人類に三つのことが示される」ということにほかなりません。第一に示されるのは、「実際どのようにすれば、私たちは人間本性のより深い側面を、最も直接的な人間的関心と共に理解することができるのか」という点です。そうです、人間が寝過ごすことの許されない時機がやってくるのです。この時機が来たら、人間は天使を通して、霊的な世界から刺激となる衝動を受け取ることになるでしょう。それは、「私たちは現在心がけている以上に、はるかに深い関心を一人一人の人間に対して抱かなくてはならない」という衝動です。自分以外の人間への関心は、例えば、「人々が自分自身の内面で心安らかに発達させていく」といった類の、単なる主観的な性質のものとして高まっていくわけではありません。他者への関心の高まりは、突然、「他者とは何であるか」という秘密が、霊的な側から実際に人間の中に流れ込んでくることによって生じるのです。ここで私がお話ししているのはまったく具体的な事柄であって、何らかの理論に基づく考えではありません。私が言いたいのは、「一人一人の人間に関心を抱くようになることを可能にするような何かを、人類は経験するだろう」ということなのです
 これが、「天使を通して示される三つのこと」の第1番目です。これは、まったく特別な社会生活を作り上げることになるでしょう。第2番目は、「『キリスト衝動が他の何にもまして、人類の完全な宗教上の自由を生み出す』ということ、そして、『絶対的な宗教の自由を可能にするキリスト教だけが、真のキリスト教である』ということを、天使が霊的な世界から、はっきりと人間に示すだろう」というものです。そして、第3番目とはまさに、「宇宙の霊的な本性への否定しがたい洞察」なのです。」

「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(松浦賢訳in『天使と人間』)より

パーツチェックイン

自分とつながる
パーツ・チェックイン

NVC曼荼羅(自己共感)

NVC曼荼羅(NVC x IFS 自己共感)

 2日目の午後は、意識魂の働きにも通じる、今自分に何が起こっているかに気づき順番に言葉にするペア練習「パーツ・チェックイン」から始め、昨日からのおさらいも兼ねてパーツ意識を持ちつつ自分の感情からニーズにつながる「NVC曼荼羅(NVC x IFS 自己共感)」の練習をし、その後で上に引用した「天使は私たちのアストラル体で何をするのでしょうか」のシュタイナーの言葉を読み、そこから「他者と出会う」ガイド付き瞑想を歩きながらそこにあるメッセージを咀嚼しました…

共感サークル→つながったニーズからリクエストする

 歩いて辿り着いた小グループでの「共感サークル」。今度は同じ話を他者に聴いてもらう体験を、感情カードやニーズカード(「共感トランプ」としてここから購入可能です✨)を使ってするのですが、話を聴く方にとっては「ハートフルダイアローグ」と同様「ハート器官」で聴く練習ですが、一歩進めて相手の感情やニーズを気づく度にカードで差し出しながら聴くのです✨
 人の話を聴く時、瞬間瞬間新たに立ち現れて来る「他者」に寄り添い続けながらハートで聴くことができるでしょうか?
 
 こうして、意識魂とハート器官の働きとして自分で、あるいは他者の力を借りて「眠れる意志」につながり、ニーズとして意識化できたなら、次にそのイデア・理念界に通じるニーズを物質・感覚界で現実化することができます。それがNVCの4つのステップOFNR(観察のO、フィーリングのF、ニーズのN、リクエストのR)の最後来る具体的な方法・手段を提案する「リクエスト(お願い)」なのです🙏

 一人一人につながったニーズを味わってもらい、リクエストを創造的に考えてもらいました。私の場合、魂の内面の闘いの舞台をコミュニティで共有する理念が生き生きと湧き上がっていました。なので、「また来年もここに来る」が私の私へのリクエストだと言ったのです❣️

2日目夕方〜IFSコンステレーション〜

実際に誰かの魂の内面の闘いのワークをコミュニティで共有する🙏

 そして、最後に追加の時間として、残ってくれた希望者10名と共に「IFSコンステレーション」の場を持ちました。こちらも守秘義務を大切にしたいので、具体的な内容は書きませんが、約1時間、一人の当事者=シーカー=探求者の「魂の内面の闘い」を2倍になったゴザの「舞台」に外在化してワークして行ったのです。一つ一つのパーツを誰かに「代理」してもらって外在化することで「ブレンド解除」することができます。それはまるで、意識魂が段々と研ぎ澄まされて霊我の目覚めを促すかのようです。IFSでは「セルフ」と呼びます。セルフがパーツとブレンド(混在)している状態からブレンドを解除することでよりセルフが研ぎ澄まされて来るのです。
 ブレンド解除すれば、セルフはパーツと共感的な対話が可能になります。そして、パーツの力動(感覚魂や悟性・心情魂の内容によるドラマ)ではなく、セルフが主導となるのです。
 この日のコンステレーションは、まさに受容と対話の後にセルフ主導でパーツと共に生きる在り方が自然と現れたました✨ 感想にもあったように、そこに在った真のパワーと温かい質感をその場にいた全員が共有したと思います🙏

IFSコンステレーション

終わりに

 コンステレーションのファシリテーターは、そのコンステレーションからハート器官を使ってその場にある真実の言葉(Truth Statement)を聴こうとします。それが真実だと最終的に決めるのは、ワークする探求者(シーカー)のハートと身体がしっくり来るかですが、場にいる他の人にもその真実感覚は共有できるもののようです。真実の言葉は、言わば場に「響く」のです✨

 午前のミニ・コンステレーションと夕方のコンステレーション両方の最後に、
シーカー「私はあなたと同じ人間です。」
相手「私もあなたと同じ人間です。」
という真実の言葉が私の中に浮かんで来ました✨
この言葉をシーカーと「相手」に最後に順に言ってもらい、コンステレーションを終えました🙏

 最後に、『自由の哲学』の第1章にあるシュタイナーの言葉を、最後に引用することからこの論稿も閉じたいと思います。「表象」を越えた「他者とは誰か?」という問いかけと共に、先程の「表象と萌芽」の図式も改めて眺めて見ると、今世この感覚界において私に何ができるのか?が見えてくるインスピレーションを得るからです。

「愛は、愛する対象の長所を見せてくれる。そうした長所に、多くの人が気づきもせず、素通りしている。一人がその長所に目を止め、それがゆえに心に愛を目覚めさせる。彼が他の人と違ったのは何であろうか。それは他の何百人もが持ちえなかった表象をその人だけが作り上げた点である。他の人はその表象を持たないので、愛さないのである。」

『自由の哲学』(森章吾訳)p23

 ここで言う表象形成は、『自由の哲学』がその後論じるように、リアリティそのものに即したものであり、ポジティブな表象を人工的に持つ「幻想」とは本質的に異なるはずです。 
 「内なる闘いの舞台」を意識化しワークすることで、成熟した意識魂から霊我が目覚めるスペースから既存の「表象」の「奥行き」に「他者」と出会うことを意志する時、「他者」が霊的な側からやって来る本当の姿として受け取ることができるのではないでしょうか?
 そして、その具体的な愛に至ろうとする行為は死を超えて、シュタイナーがクリスマス会議以後のカルマ論の連続講義の中で伝えようとしていた「カルマ共同体」の理念へとも通じる予感を感じているのです✨

 試論ですが、そのための非常に具体的な実践として、マーシャル・ローゼンバーグ博士によるNVC(非暴力コミュニケーション)とリチャード・シュワルツ博士による IFS (内的家族システム)を掛け合わせたアプローチ(奇しくも創始者は二人とも「普遍性」を大切にするユダヤ人です✨)を、大天使ミカエルの霊脈を感じつつ、いずみの学園で実際に行ったワークショップの流れを追って紹介させていただきました。予定より長文になってしまいましたが、ご精読ありがとうございました🙏


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