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書籍修繕とやさしい世界

人生にはやり直せることとやり直せないことがある。

なんだかんだ長く生きていると、やり直せないことの方がじつはずっと多いという現実もわかってくる。とても残念なことではあるけれど。

ただ、これは元通りに戻すこと、つまり《修復する》という観点での話ではないか。そう考えたのはたぶん、この本と出会ったおかげである。


ジェヨン『書籍修繕の仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)

韓国に、本の修繕を引き受ける「ジェヨン書籍修繕」がある。

その代表をつとめるジェヨンさんが、過去に引き受けた修繕の実例を挙げながら、気の遠くなるような手作業をとおして一冊の書籍に持ち主の思いを込めるその仕事ぶりを綴ったのがこの本だ。

傷んだ本を直すということじたいは図書館、あるいは稀覯本や古文書のたぐいを多く扱う博物館などではごく日常的な作業かもしれないが、一般の人びとから依頼された本、たとえばペーパーバッグから漫画本、場合によっては個人の日記やアルバムに至るあらゆる紙製の冊子の修繕を広く引き受けているという点で「ジェヨン書籍修繕」は風変わりな存在といえる。

それはたとえば旅先で手に入れた思い出の一冊であったり、いまは亡き家族の記憶であったり、また大切な誰かへの贈り物であったりする。

ジェヨンさんは、そのようにして持ち込まれた本に触れ、クライアントのことばに耳を傾けることで、元通りの姿に戻す《修復》とはまた異なる《修繕》ならではの意義に思い至る。

たとえば、《修繕》の世界にあっては原書のすがたを復元することはかならずしも重要ではない。

ときには、大胆に表紙そのものを新調したり、箔を押すといった装飾を施すこともある。また、必要に応じて函を追加することもある。

こうした改変は、しかし一冊の本にこめられた持ち主の思いを損わず、未来にわたって保存してゆくことに役立つかぎりにおいて正当化される。

《修繕》が《修復》の次善の策ではなく、それとはまた別のものであるということがそこからもわかる。それは《修繕》が、たとえかたちは変わっても、そこに宿る思いを大切に残すということに主眼を置いているためだろう。

本書よりbefore/after


長い人生のうちには、たしかにやり直せないことが多々ある。そのことは、ときに僕の心を挫かせる。

けれども、だからといって大切な思いまですべてが失われてしまうわけではないこともまた、知っている。

たとえ修復は不可能でも、思いさえあれば修繕は可能なのだ。

むしろ、一筋縄とはいかない長い人生のなかでほんとうに必要とされるのは、もしかしたら修復よりも修繕の心得の方であるかもしれないな。

汚れやしみを丁寧に拭き取り、ちぎれた部分はふさわしい紙片をもって補修し、バラけてしまいそうなページがあれば新しい糸で綴じ直す……

こうした細かいケアの積み重ねをこそ日々忘れないように。


*このジェヨン『書籍修繕の仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)は、こちらの記事を通じて知りました。すてきな本をご紹介いただきありがとうございます。

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