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クリスマスあれこれ 北園克衛、レコード針、ハンドクリームと謎の箱

「白い箱」と題された北園克衛の掌編はこんな一節で始まる。

X・マスが近くなると、街はシリイシンフォニイのフィルムのように美しくなる。タクシーが林檎のように光り乍ら夕暮の街を過ぎてゆく。

北園克衛『白い箱』

うん、さすがは戦前のモダニズム文学を代表する詩人。車体にきらびやかな街灯を映して走るタクシーの姿をリンゴに喩えるとはなんともすてきではないか。

そういえば、東京の街を行きかうタクシーも最近ではすっかり黒光りするロンドンタクシーが主流になった。

はたして凡人の目にもリンゴのように見えるだろうか? うーん、どうだろう? 

仕事じゃなければ、クリスマスイブでにぎわう夕刻の銀座まで確かめにいったのだが。


そんなふうに、着飾ったクリスマスの街をキョロキョロしながら散歩するのは嫌いじゃないが、独身生活に戻ってからというものすっかりクリスマスという名のイベントには縁遠くなってしまった。

元来が面倒くさがりな性分ゆえ、わざわざ暇な同類を誘ってまでクリスマス気分を味わおうとも思わない。

とはいえ、YouTubeを眺めて過ごす365分の一日というのもそれはそれで味気ないものがある。そんな過ごし方はやはりしんみりとしてしまう。

そこで、サンタクロースが来ないなら自分でサンタクロースになればいいじゃない、とどこかの国の王妃が言ったかどうかはべつとして、ことしは自分で自分にクリスマスプレゼントを買ってみた。

プレゼントというからには、だが、生活必需品やすでに半分買う気になっているようなモノを選んでもつまらない。

そうかんがえた結果、レコード針を新調した。

それまで使っていたdj用のものから、より静かな音楽を再生するのにふさわしいタイプのものに思い切って変えてみた。

最近では、わざわざレコードで聴くのはクラシックの室内楽やジャズが多いからだ。

けっして音にうるさい人間ではないとはいえ、それでもアナログのレコード盤で聴く音楽はなにかがちがう。ほのぼのとした心地になる。

同じ音源でも、CDやストリーミングで聴くのとはあきらかにちがうのだ。たとえて言うなら、ガスの炎と暖炉の炎くらいちがっている。

針を交換したおかげで、今年のクリスマスイブはレコードをゆったり聴いてすごす夜になりそうだ。


プレゼントといえば、クリスマスが近いということで先日「BAUM」というブランドのハンドクリームをいただいた。これがとてもすばらしい。

香りは、なんというか梢を渡る風のよう。森の奥深くで深呼吸をしたかのような深々とした樹木の香りが鼻腔をくすぐる。

床につく直前にこれを塗り目をつむると、あたりがひっそりとした森の気配に包まれる。リラックスして眠りにつくことができそうだ。

それに、甘すぎないので男性が外出前に使うのも気にならない。


それとはべつに、いま家には25日の朝までけっして開封しないようにときつく(?)言い渡された白い包みがある。

本? クッキー? 文房具?…… その白い包みが目に入るたびについ中身を想像してしまう。白い煙がモクモクと立ち昇らなければよいのだが。

そんな馬鹿馬鹿しいことをかんがえるのもおもしろく、もはやこのまま開封しなくてもいいのでは? みたいな気分になりつつある(本当に開けなかったらものすごく叱られそうなので開けるけれど)。


ところで、冒頭で引用した北園克衛の「白い箱」はどんな話だったか。読んだのは5年、もしかしたらもっと以前のことだったかもしれない。

たしか、銀座の喫茶店でリボンのかけられた白い箱を手にした着飾った女性を見て、その箱の中身を想像する話だったと記憶している。

クリスマスの銀座・うつくしい女性・プレゼントが入った白い箱

三題噺じゃないが、これだけ揃えば物語が生まれるお膳立てはできたも同然ではないか。

そしてじっさい、クリスマスの街にはそんなふうに想像力をかきたてる光景がふだんよりもずっと多く出現する。

そう思うと、都市のクリスマスは、当事者よりもむしろ傍観者の愉しみのためにあるような気さえしてくるのだった。

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