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自称“立食パーティーのプロ”が言うには

近ごろめっきり、家では映画を観なくなってしまった。元来が気の散りやすい性分である。じっと2時間あまり画面を眺めているのがつらい。


理由はそれだけではなくて、おなじ時間をいまなら40分くらいずつ3つのことに使いたい。そういうモードなのだ。


とはいえ、観たい作品ならいくらでもある。新作ならば映画館に行けばよいが、どうしたって旧作は家で観るほかないではないか。


それならば、と思いついた。いっそ2時間あまりの映画を3日間にわけて観るというのはどうだろう?


よいアイデアだと思うのだが、筋金入りの映画ファンや映画関係者からは厭な顔をされそうだ。

それで思い出したというのは変な話だが、以前は酒の席につきあう機会がすくなからずあった。


つきあうぶんにはいっこうにかまわないのだが、自分のような下戸にとって酒の席というのはつねにアウェーでの戦いを強いられているかのような居心地の悪さがつきまとう。


せめて3回に一度くらいはアルコール抜きで、たとえば〝パフェの席〟にでも付き合ってもらうのでないと割に合わない。よくそんなふうにかんがえていた。


だいたい、酒の席ではそれなりに気を遣う。いきなりウーロン茶というのも興ざめかと思い(そもそもウーロン茶じたいそんなに好きではない)、乾杯はグラスビールなど注文してちびちび飲むというのがお決まりだった。


いちど、いつものようにビールを注文し2時間くらいかけて生温くなった液体をぺろぺろ舐めていたところ、お願いだからやめてくれと懇願されたことがある。


一本の映画を小分けにして観る方法を思いついたとき、まず頭に浮かんだのはあのときの酒飲みの、芯から厭そうな顔だった。

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一日のうちの限られた自由時間を、ちょこちょことつまみ食いするように使いたい。さながらビュッフェ形式の立食パーティーみたいに。


そんなわけで、映画よりは30分程度のテレビドラマを毎日1話ずつ観ている。


最近は『今日のウェブトゥーン』という韓ドラを観ていた。その前は、『早朝始発の殺風景』を観た。ぜんぶアマプラで観ることができる。

『今日のウェブトゥーン』は、松田奈緒子原作の『重版出来!』を韓国でリメイクしたもの。

原作を読んでいないので比較はできないが、ドラマの舞台をコミックの編集部からウェブトゥーンの制作部に変更しているのにくわえ、大企業を舞台にした韓ドラあるあるのドロドロとした内紛をからめることでコメディーながら緊張と弛緩のバランスが絶妙な秀作となっている。


主人公のオン・マウムを演じたキム・セジョンは、青春時代を柔道に賭けた体育会系女子を持ち前の明るいキャラで好演。見事なハマリ役となった。役作りのため体重を増やしたようで、ちょっとサムネイルでは誰だかわからないくらいだった。


いっぽう、同期のエリート社員で彼女に淡い恋心を抱くジュニョンはマウムとはすべてにおいて真逆の性格。真逆ゆえ当初はぶつかりあうが、やがては「割れ鍋にとじ蓋」の名コンビに育ってゆく。


そして、このジュニョンがなんと〝下戸〟なのだ。韓ドラで下戸はめずらしい。原作がそうなのか、マウムと対照的に描くための設定なのか気になるところ。


ちなみに、酒の席でジュニョンはいつもサイダーを飲んでいる。というか、あてがわれる。さすがにサイダーでは締まらない。いかにも肩身が狭そうだ。


日本ではウーロン茶だが、韓国では下戸にサイダーが相場なのだろうか。いずれ韓国の友人に訊いてみよう。

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これはまだ、職場で〝若手〟と呼ばれていたころの話。先輩と立食パーティーに出席したことがある。


ビュッフェ形式なんて慣れていないので、とりあえず皿に3種類ほどたっぷり盛り付けて戻ると、他人(ひと)の皿を一瞥するなり先輩はこう言うのだった。


あー、もうこれだから素人は……


いやいや、とりあえず目に入ったものを盛り付けただけですし。素人もプロもないでしょう。


すると、先輩は自分の皿を見せてくれた。


見せられて、驚いた。そこにはさまざまな総菜が、皿いっぱいに見事に盛り付けられているのだった。見事にといっても、それは美しくというのとはちがう。スーパーで手渡される試食品のように、ひと口サイズの総菜が皿の上にひしめいている。


先輩いわく、こうやってまずはひと通り味見をしたうえで、美味しいものだけを集中的に食いつづける。それが〝立食のプロ〟の流儀なのだとか。


おー、これはいいことを教わった! なんて、もちろんぜんぜん思わない。


情熱を傾ける先というのは人それぞれなのだなあと妙に感心すると同時に、いいからちゃんと仕事してくれよと思わずにいられなかった。

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社内の立食パーティーの幹事をやらされたのもちょうどおなじころだったのではないか。


わけがわからず途方に暮れていると、見かねた先輩(先の先輩とは別人)がすばらしいアイデアを授けてくれた。


先輩いわく、とにかくこういうパーティーの場合、食べ物が足りなかったと言われたら「負け」である。しかし、往々にして予算には限りがある。というより、たいがいはかなり少ない。


そういうときは、会場との打ち合わせ時にひとこと、こう言いさえすればすべて解決できるマジックワードがあるというのだ。すなわち、


とにかく炭水化物多めで!


はたして、当日のビュッフェにはピラフ、パスタ、カレー、焼きそばといったメニューが「ようこそ炭水化物の森へ!」という声がきこえてきそうなくらい所狭しと食卓を埋め尽くした。


おかげで食べ物が足りなかったという声は聞こえてこなかったものの、女子社員にはひどく不評だった。


いまでも、その先輩のことは少しばかり恨んでいる。


けっきょく、現代の高度消費社会にあって、ひとは「いろいろなものをちょっとずつ」の誘惑から逃れることはできない。ジャン・ボードリヤールもたしかそんなことを言っていた気がする。


じっさい、映画がすっかり斜陽産業と化してしまった背景にもそうした事情がありそうだ。2時間あまりを映画だけに費やすには、この世界には好奇心を刺激する情報が多すぎる。


たとえば、1975(昭和50)年に公開された映画『新幹線大爆破』は本編だけで152分という大作である。


にもかかわらず、公開当時それは『ずうとるびの前進!前進!大前進!』(32分)と2本立てだった。あわせて3時間超え。そもそも、このふたつを組み合わせる意図はなんなのか?

身体はひとつ。1日は24時間。
これは生命の誕生いらい変わっていないのに、いまや処理できないほどの情報やモノでこの世界はあふれかえっている。いってみれば、まさに毎日がビュッフェ状態、である。


このせわしない日常に追われていると、とにかくひと通り齧ってみたら、あとはほんとうに自分が好きなものだけにこの限られた時間を費やしたい。そう心から願ってしまう。


あれ?


もしかして、あのとき先輩は案外いいことを言っていたのかも。

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