消えた《遊び》はどこにいった?
もうずっと昔の話。まだ日本が好景気に浮かれ騒いでいた頃、あたかもその時代を象徴するかのような一本のテレビCMがあった。
それは自動車のCMで、あまりテレビに出ないことで知られる男性歌手を起用したことでも話題になったのではなかったか。
森の中の一本道を気持ちよさそうに走る一台の自動車。その助手席の窓がすーっと開き、中から顔を出したその歌手が例の口調で白い歯をのぞかせながらカメラに向かって問いかける――みなさんお元気ですか?
「くうねるあそぶ。」というその自動車の広告のキャッチコピーは、いまは「ほぼ日」を主宰する当時売れっ子だったコピーライターがつくったものだ。たしかにその時代の気分をうまくつかまえた秀作だと感心する。
それから、さてどれくらい経った頃だろう? バブル崩壊後すでに10年は経過したと思われる頃に、時代の空気に敏感なことで知られるある出版社から一冊のライフスタイルマガジンが創刊された。雑誌の名前は「ku:nel」。クウネルと読む。
要は、僕らの生活からいつしか《遊び》が失われてもうずいぶん経つということ。
*
このあいだ、とてもひさしぶりに「かっぱえびせん」を買ってみた。子どもの頃に聞いた「やめられない止まらない」というCMソングはいまもちゃんと思い出すことができる。
買ってみて気づいたのだが、「かっぱえびせん」の袋がずいぶんと小さく感じられる。一瞬、自分のからだがデカくなったせいかと錯覚したほどだ。それになんだかずいぶん軽くて頼りない。あらためて内容量を見ると「77グラム」とある。なるほど、これが世に言う「ステルス値上げ」というやつか。
ああ、と思わずため息が出る。
やめられない止まらないなどと言っている間もなく、気づいたら一袋完食していた。
そういえば、ああ、ともう夏からずっとため息をつき続けているのはトマトの値段だ。トマトが高すぎて手が出ない。
たしかに、食べないからといって死ぬものではないし、とりわけそれが好物というわけでもない。だが、つややかな赤い色の消えた食卓は、壊れて出ない音のあるクラリネット同様いかにも切ない。どうしよう?
もう一生トマトを口にできないまま俺は死ぬかもしれないなどと職場で悲痛な面持ちで訴えたら、見かねた一人の同僚が有機野菜の店で買ったというミニトマトのパックをプレゼントしてくれた。もはや物乞いである。おかげでサラダのつけあわせに、またパスタにと食卓に彩りを取り戻すことができた。ありがとう。
**
一昨日、ずっと気がかりだった大きな会議がひとつ無事に終わった。ホッとしたのもあるが、緊張で心から余裕が失われていたのだろう、なんだかどっと疲れた。
そこで、その日はいつもより少し早く職場を出させてもらい、神保町の《古瀬戸珈琲店》で濃くしっかりと苦みのあるコーヒーを一杯飲んだ。ひとりだけのお疲れ会。酒が飲めないのでだいたいいつもこんな感じになる。
その後、御茶ノ水の《ディスクユニオン》を覗き、迷った末フランクのピアノ五重奏曲の中古レコードを手に入れた。ヤナーチェク四重奏団とピアノのエヴァ・ベルナートヴァーによるチェコ盤。800円。
最近は、あえてレコードで聴きたいと思うのはクラシック、とりわけ室内楽だけかもしれない。あとはストリーミングサービスで事足りている。これ以上モノは所有したくないので不満はない。それはまあいいとして、このレコードのジャケットと中身がまったく合っていないのだが……。
あすは部屋の掃除をして、残りはだらだらこのレコードを聴いて過ごそうか。
***
それはさておき、と突然考える。
僕らが失ってしまった《遊び》っていったいなんだろう? ーーゴルフ? 海外旅行? それとも予約のとれない店でのクリスマスディナー?
そうなのかもしれないが、なんかそうじゃない気もする。
こうした具体的な「娯楽」のひとつひとつではなく、失われたのはもっと大きな《遊び》という概念なのではないか。長い時間が経ちすぎて、もはや失ったことさえ忘れてしまいそうだ。
それは、たとえばちょっとした心のゆとりだったり、あるいはまた他者への気配りだったり、なにかを心の底から楽しむ際に必要とされる余裕のようなものが決定的に欠けている。そして、《遊び》を欠いた「娯楽」はたんなる「憂さ晴らし」にすぎない。
では、いったいどうしたら《遊び》を取り戻すことができるのか? ここのところずっと頭を悩ませているところだ。
相手の歩幅に合わせてみるとか、なにかを見て誰かと同時に吹き出すとか、思いっきり背伸びして入った店で緊張した時間を過ごしてみるとか、あるいは目的地に直行するかわりにあえてあみだくじのように歩いてみるとか……。そういうことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
いずれにせよ、食卓に赤いトマトを取り戻すよりもそれはちょっとばかりむずかしそうだ。
****
サキソフォン奏者の沢村満が「MICH LIVE」名義で1988年(例のCMと同じ年)にリリースしたアルバムより。
この作品は、いまも青山にある複合施設《SPIRAL》が立ち上げたレーベル「NEWSIC」からリリースされたもの。
最近知った音源だが、音の随所に《遊び》が感じられる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?