Under35建築展(2021)を鑑賞した感想(総括)

市場性のない場所(私見)

私は、地方公務員として公園整備を仕事にしている立場から造園の作り方との違いを考えて鑑賞した。

造園分野が扱う公園は、場所の更新に近い。自然物を組み合わせた公共物で、市場性はない。

一方で、建築は大半が一品生産のオートクチュールだが、住宅であれば、ほぼクライアントのためだけに建てられるので、出来上がったその時点で市場性は存在しないと言える。(建築家自身に市場性は存在するが)

公園とオートクチュールな住宅は、対象とする利用者と社会的影響力は大きく違うが、その大きさゆえの、できた時点での市場性がない場所づくりとしては共通している。

そのような前提で私はオートクチュールの建築全般を場所のデザインの差異としてみている。


住宅の示す現代の生き方

公園は不特定多数の利用者がおり、維持管理が必要なことから、造って終わりではないという意味合いが強い。
また、個人の所有物である庭園(外構)のデザインは、パターン的であり、暮らしに直結した建築に比べて現代に生きるとは?という論点は少ないだろう。
建築(住宅)には、今、人間が現代にどのように生きるのか?というような、よりプライベートな生活への問いと回答が現れるなぁと改めて思った。

もちろん、見る側の知識による解釈の違いも現れるが。

作家性

作品全体を通して頭に浮かんだのは、もし自分が建築家に自邸の設計を依頼するなら?という見方である。

自己完結や自己満足が多いと感じる建築家には正直できるだけ依頼したくないなぁと思った。

では、一見、作者の自己満足とは遠そうだが、大量生産可能でローコストで市場性のあるハウスメーカーなどに依頼する家は「場所づくり」としてどうなのだろうか?ハウスメーカーの建てる家や無印良品の家、吉村靖孝さんのコンテナハウスなど、自分でカスタマイズしてどんな敷地にもアダプトし、DIYぽく建てる家というのは昨今、あるように思う。(今回の西原さんの作品もそれに含まれる)それらをどう考えるのか?

大量生産可能な注文住宅と建築家に依頼するオートクチュールな住宅、どちらに住みたいか?

この問題は、どこに建てるのか?と、

内部空間で過ごす時間が、いかに豊かに感じられるのか?

という問題に繋がり、発展する。

敷地問題

「いい建築はほとんど敷地で決まる」とは、隈研吾さんの名言であるが、ここでいういい建築は、オートクチュールな建築を指しているように思う。

一方で、大量生産可能な家は、どこに建てても違和感のない建物であり、それはそれの魅力や生き方の現代性を孕んでいる気がしている。(そのあたりの社会性の高い住み方について吉村先生のレクチャーを期待したが、今回はそのあたりまでの内容が理解できなかった)

大量生産可能な住宅の概念は、敷地を選ばないと仮定すれば、都市の中に住めることになるだろう。

そのグットポイントは、車を所有せず、利便性が高まり、サスティナブルな生活が出来るかもしれないことなどだ。(引き続き考え中)

バットポイントは、土地代は高いのでおのずと狭い住宅になること。自然豊かな環境や良い地域での良い子育てはできないかもしれないこと。

オートクチュールな家の概念を目指して、豊かな自然がある郊外の土地で広くて安い床面積に住むのか。

都市の中に住むのか?郊外なのか?住みたい敷地を先ず決めてから、社会性について考えるのか?

ライフスタイルに合った社会性の高い戦略的な住まい方の仮の結論を基に建てる家の概念を考えるのか。

いろんな概念や考えの組み合わせがあって何から決め、判断すればれいいのか、整理するのが難しいというのが今の感想だ。

住宅に対する価値観

展覧会を通して、思ったのは、
私は、社会性の高い美が好きだということだ。
作者や作品が自己完結している美よりも、何かとの差異を乗り越えた美、環境に最小限の行為のみ行ったシンプルな美の方が好きだし、そんな住宅に住みたいと思う。シンプルな家に住み、生き方を自由に変えていけることが現代的だと思う。

これは自分の性格なのだと思う。自分も何か作るとき、そうありたいと思う。

市場性・作家性・敷地 この3つの問題は「社会性高く住まいたい」という願いを鮮明にしながら、まだ自分のなかで絡み合っている。
家づくりを公園をつくる感覚に置き換えれば、自然というコントロールできないものを受け入れたり、公共を引き受けるような感覚だ。
そのうよな普遍的な何かに繋がった家に住みたい。
精神的な自由が担保された。身が軽くなるような家に住みたい。
自分が公園整備を仕事にしており、場所づくりに関心の中心があるから、そういう射程?の家に住みたいのだと思う。

戦略的にバーナード・ルドフスキーの「建築家なしの建築」を読みたくなった。

最後に大きな問題がある。
建築家に依頼などしないと反対している妻と価値観を擦り合わせる対話が難航しそうなことである(笑)

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