見出し画像

カサブタぺりぺりマゾヒズム

瘡蓋、という言葉がある。読みは「かさぶた」。擦り傷なんかの出血を止めるために生物の肉体表面に発生するアレだ。
今回の記事、「カサブタぺりぺりマゾヒズム」は今日起きてしばらくして急に振ってきたアイデアで、表記をどうするか非常に迷った。
本題とは関係ないが書いておくと、私は文章を読みやすくするために敢えて漢字を使ったり使わなかったりカタカナの言葉を挿入したりすることがある。
ひらがなばかりでこうせいされたぶんしょうというのはひじょうによみにくいというのいうのがれいとしてあげられるように、文章には読みやすい読みにくいというものがある(他には、句読点の使い方が適切かどうか、敬体と常体が混ざっていないか、接続詞が適切に用いられているか否か、など)。
ひらがなと漢字とカタカナを使い分けることで、文字の形にメリハリをもたせて、文章を読みやすいものにしたい、という意図でやっている習慣だ。
瘡蓋の漢字がもっと簡単で、パッと見ただけで「かさぶた」と読めるものであれば漢字を採用していただろうが、変換してみて「ちょっとこれは日常的に見る語ではないな」と思い、今回の記事の題は「カタカナ+ひらがな+カタカナ」という組み合わせになったわけだ。まぁぺりぺりというひらがな二字はカタカナとの形の差が非常に少ないためあまり効果を発揮していない気もするが、「そういう工夫をしているよ」ということをなんとなく言っておきたかったのである。


さて、いきなり本題とは違う話をしてしまった。
「カサブタぺりぺりマゾヒズム」ということで、今回は無意識に顔面や頭皮を強く引っ掻いてしまう癖について書いていこうと思う。

カサブタが痒くてついつい剥してしまうだとか、ニキビが気になって触りがちになり、終いには潰してしまうだとか、そういうことは少なくない人々にありがちな癖だと思う。
私のこの癖もその延長線上にあるものだとは思うが、少々度が過ぎている。手持無沙汰になる時間があるとすぐに顔面や頭皮を触りだし、出来物を見つけては掻き毟る。「ありがちな癖」の域を抜けて、もはや自傷癖の類になりつつあると思う。

実際これは私がやっている自傷行為なのだろうと思う。これらの行為をしてしまうのは決まって何らかのストレスを感じているときだ。私の場合は専ら虚無感や漠然とした不安がそれで、布団の中で眠れないときにいつもそれらを紛らすことができるかの如く自分の肉体を傷つけるのだ。
自傷行為の典型として語られがちなリストカットについて、私は長年「自分で自分を傷つけるなんて恐ろしくてできやしないし、そんな衝動もない」と思っていたが、自傷という点についていえば手首を切るのも顔面を掻き毟るのも同じことだし、目的がストレスの解消であるところも一致している。それでも「私が顔面を引っ搔くのは無意識な行為で、リストカットは自発的な行為ではないか」という反論が思いつくが、リストカットの常習者にとってはきっと、手首を切るのは私が顔面を掻き毟るのと同じように自動的で自然な行為なのだろうと思う。ストレス解消の手段の違いに過ぎないのではないだろうか。

また、本記事の題には「マゾヒズム」という語が入っているが、自傷行為がマゾヒズムに基づくものなのかは私には分からない。
被虐によって精神的な安定を得ていることは間違いないが、自傷行為は当然傷つける者と傷つけられる者が同じであるので、嗜虐によってそうしていると言うこともできるはずである。
マゾヒズムやサディズムは本来性的興奮に関する嗜好について言う語だし、これらの嗜好が被虐嗜虐それ自体を目的として欲求の解消に至っているのと対照的に、自傷行為は自傷それ自体を目的としてストレスの解消に至っているわけではない(代償行動というやつだ。もちろん自傷そのものを目的とするケースもあるだろうが、それはそれとしてマゾヒズムやサディズムの枠で語られるべき話だろうと思う)ため、マゾヒズムという語を題に用いたのは適当ではなかったかもしれない。しかしまぁ、珍しく降って湧いたアイデアなのでこのまま採用したままにしておく。

何か自傷に代わるストレスの解消方法を見つけなければ、このまま私の肌がボロボロになっていくだけだ。それは分かり切ったことだが、ストレスの発生を抑えることも、別のストレス解消法を用意することも、今の私には難しい。無論意識して減らそうとはしているのだが、相手が無意識下の行為であるから分が悪い。「これからは顔や頭を出来るだけ触らないようにしよう」と何度も考えたが、悉く無意味だった。
これについても、メンタルの先生に話しておくべきだろうか。次回の診察で相談してみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?