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車の操縦が怖い話と自動操縦技術について

今日の予報は雨だったが、降っていない間を縫って外出してきた。
車でもあれば天候に左右されずに出かけることができるが今の環境ではそうも言ってられない。
というか、私はそもそも自動車の操縦が非常に苦手であるため、例え車に乗れる環境にあっても絶対に自ら操縦しようとはしないだろう。そういえば免許の更新もすっぽかしてもう何年も経っているんだった。

あんな巨大な鉄塊が自分の思い通りに動くはずがない……と常々思っているし、私の場合その「思い通り」とやらがそもそも通常の安全基準から大きく逸脱しているために、どう転んでも自分で操縦はしたくないし、できない。

昔、家具の配達のバイトをしていたとき、トラックの運転手から誘導を頼まれ、その際の手際が非常に悪いということで叱られたことがあった。
曰く、「普通に考えれば分かるだろ」とのことである。実際、普通に考えれば分かることなのだろう。そうでないと路上ではもっと頻繁に事故が起こっているはずだ。多くの人が普通に考えれば分かるらしいことを、私は分からないのだ。なら乗らない方がいいに決まっている。進んで事故を起こすつもりはない。

だから、自動操縦の車なんかには少し憧れがある。所持できるものなら所持してみたいものである。
一般に自動操縦の車にまつわる問題といえば、機械の運転を信頼できるのかというものと、仮に事故が起こった際に責任の所在がどこにあるのかというものがある。
後者はともかくとして、前者に関しては私は全く問題なく任せることができる。確実に自分よりも機械の方が操縦がうまいだろうし、「事故が起こるかもしれない」という心配は自分で操縦していても機械で操縦していても全く同様に発生するはずだからである。
だからこそ、後者の問題は難しいだろうな、と思う。要するに所持する個人ないし法人が「この自動操縦車に関して起こった事故、事件に関して私が一切の責任を負います」という書類を書けば解決する話ではあるが、現実的にはもっと複雑な話になってくるだろう。書類上では責任を負うとは書いてあっても、実際のところ例えば第三者の介入、例えば操縦システムのハッキングなどによる大規模な事故なんかが起きれば、「私のせいじゃない」という言葉が出てくるのも決して不自然ではない。
とすると、自動操縦車の普及には、自動操縦の技術の進歩、自動操縦に関する倫理の成熟の他に、特有の保険なんかの整備が必要になってくるのではなかろうか。
あるいは、個人所有が著しく減少し、タクシーやバスといった公共交通機関のような発達をすることで、法人による運営を主とし、リスクを分散する、という手も考えられるかもしれない。財産として車を所持できない身としては、こちらの方が助かる。

あとどれくらいすれば自動車の操縦が人間の仕事でなくなるのだろうか。
私が生きているうちにはそういった技術を見てみたいものだ。
雨の日に気軽にコンビニに行くためにも。

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