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点滴ストリーミング

久しぶりに頭痛がひどくなって、冷えピタを貼って一日中横になっていた。

スマホでソシャゲの周回をしながら、アームで吊るしたタブレットでずっと動画を流している。
垂れ下がったイヤホンのケーブルが点滴のように見えた。実際ほとんど点滴のようなものだ。他の娯楽を受け付けることができず、負担の少ない娯楽である動画を病的に摂取し続ける(ここで言う負担が少ないというのはごく主観的な話であり、ろくな休憩も挟まずに光と音の刺激を受け続ける動画視聴が比較的健康的な娯楽であるとか言うつもりはない)。

今日は「他の娯楽を受け付けることができず」という点について、特に打ちのめされたような気分になっていたのだ。
何をしても拒絶感があるというか、熱中できないというか、始めた途端に「うっ」となって娯楽に取り組むことが全然できないのである。
これは私が不定期に遭遇する症状で、こうなるともう横になって動画を垂れ流すことしかできなくなる。
連鎖的に娯楽以外のものにも関心がなくなり、食なども疎かになってくる。お手上げだ。

ブログを書いている今現在はちょうど夕飯時で空腹もピークに達しているが、夕飯を用意する気力は全然ない。
明日が保護費の振り込まれる日で、食料品の買い出しと必要経費の引き出しとが同じ外出で解決できるよう調節しているため、その前日たる今日は採りうる食の選択肢が少ない。即席で用意できる類のものはあらかた消費しきっており、私の食生活の中では比較的面倒なほうである白米かパスタくらいしか食べるものがない。当然何もないよりはいいが、この後それらの用意をしなければならないと思うと食欲より怠さが勝る。

上に書いたように明日は保護費が振り込まれる日で、私にとっては希少な娯楽費を捻出できる日でもある。
しかし、この娯楽費を正しく使用できる自信が今はない。一種の消費欲でもあるため何もしないということはないはずだが、何に使用すれば六月の自分にとって一番いいのかが判断できないのである。
例えば今新しくゲームを買ったとしても、それを万全に楽しむことは恐らくできないだろう。何をしても「うっ」となって集中できなくなる。今はそういう時期なのだ。

こうなっては耐えるしかない。
動画を点滴のように垂れ流しながら、病床にあるが如くして布団に転がり続ける。
こうした日々は、実際の病のように死が近く感じるものだ。

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