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蒸し上げられる一日と地球滅亡

いい加減にしろと叫びたくなるような蒸し暑さである。ここ数年の温暖な春と秋の短さには慣れたつもりでいたが、実際にこうも蒸し上げられてみると全く慣れるということはない。不快指数の非常に高い、ジメジメとした気分の悪い暑さだ。

汗をかいても一向に気化せず、いつまでもべたべたと肌にまとわりつくような感じがする。当然タオルで拭うわけだが、それで根本的解決になるはずもなく、タオルで拭っている間に今度はタオルの方がべたべたし始める。最悪だ。
もうちろん冷房は絶賛稼働中だ。つけ始めたころは「まだ四月なのになぁ」などと若干環境やら電気代やらに目が向かないでもなかったが、もはやそんな余地はない。この暑さに放り込まれて冷房を使わない人の方が少数派だろう。いや少数派とか多数派とかはこの際どうでもいいのだ。人数の多寡で暑さがどうこうなったりするわけではない。

生活必需品に対する出費を極限まで渋る私だが、今日一日を過ごして除湿器の購入を検討せざるを得なくなった。Amazonを覗いてみると、安いものだと四千円くらいからある。価格の幅が非常に広いので安いものを買うのが若干怖いが、よくよく見ると価格の違いはタンクの容量や効果範囲によって生じているものだと分かる。私が住んでいるのはごく普通の単身用賃貸だから、一番安いものでも使用に耐えるだろう。
蒸し暑い一日が年に一度しかないというのは考えづらいので、来月の生活費を少し削るだけで向こう数か月の快適さを買えるのだと考えれば妥当な買い物だ。是非とも今度買っておくことにしよう。

まだ私は生まれて二十五年とかそれくらいしか経っていないから正確なところは分からないが、ここ十数年で一年の気候に少なくない変化が生じたように感じる。覚えていないだけかもしれないが、十年前の四月にこんな暑い日は無かったのではなかろうか。小さいころから耳にたこができるほど聞いていた地球温暖化がどうのこうのという問題が、いよいよもって我が身に降りかかってきたような気がする。
じゃあこれから環境に気を使って多少の不便を我慢して生活していくのかと問われればそんなことはなく、環境的な不快さが大きくなれば、それを覆すような大きな力を使ってそれを解消するという方法しか私には採用できない。そして、こういう風に考える人間が多いほど、また何年後とかに新たな環境の変化として現れてくるのだろう(あくまでここ数年の気候変動が人間による環境破壊によるものだと仮定した時の話だが)。

別にそのことの良し悪しについて語りたいわけではないが、この調子でいけば地球の気候が致命的な破局を迎えるのも時間の問題だろう。
それが数年後のことなのか数十年後のことなのか数百年後かもっと先かは分からない。しかし、不謹慎なことを言うなら、この目でその破局とやらを見届けてみたいなぁと思う。何せ滅びだの破局だの終末だのといった事態はそうそう頻繁に起こるものではない。百年足らずの人生でそれに遭遇できるのはかなりの幸運(不運)だろう。
星の終わり、あるいは文明の終わりを激レアイベントくらいにしか思っていないような発言だが、その終わりとやらの当事者になった未来の私が今の私と同じようにへらへらと滅びに興味を向けていられるかはまた別問題だ。
もしかしたら今日のような蒸し暑さのパワーアップしたのが滅びの風景かもしれないわけで、そんなことになっていたら激レアイベントそっちのけで暑い暑いと騒いでいるに違いない。



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