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命名の儀式とメタバース

インターネット上で活動していくにあたって、本名ではない、いわゆるハンドルネームという名前を用意する人間は多いと思う。
私自身、汎用非ヒト型メイドロボット推進委員会というちょっとよく分からないハンドルネームで活動している(念のため言っておくと、委員会とは書いているが会員が私一名ないし委員会までがハンドルネームであるため、そんな会は存在しない)。

少し前までは随分長いことケチャップというハンドルネームを使っていたし、FF14のキャラクター名も別の名前だ。かつて複数存在して今は使われなくなったTwitterのアカウントたちも、それぞれ他の名前がついていたはずである。
しばらくはこの汎用非ヒト型メイドロボット推進委員会、あるいはその略称であるGeneroという名前で活動してくと思うが、何かの拍子にまた別の名前に変わるかもしれないし、あるいは一生この名前でインターネットを使うかもしれない。

考えてみると、ハンドルネームというのは面白い文化だ。
本来、「命名」というのは親から子に向けて施す不可欠にして不可避の儀式であるはずだが、今や誰もが自分に自分で名を与えることができる(大昔から名前を変えたり賜ったりといった風に後天的に命名されることはあったにせよ、それはやはり儀式的な側面が大きく、現代のように誰でもいつでも何度でもという風にはいかなかったはずだ)。
「命名」という儀式には、大抵それを行う側の願いや祈りのようなものが込められる。親から子に向けて、「すくすくと育ってほしい」「このように生きてほしい」という祝福がなされるわけだ。そして、ハンドルネームという文化が自分から自分への命名を容易にしたことで、「自らに自らの願いを負わせる」「自分の望む存在になる」ということが比較的容易に行われるようになった。私がハンドルネームを面白いと思うのは主にこの点についてである。

自分から自分への命名という行為に初めて関心を向けたのは、バーチャルユーチューバーという文化が流行し始めてしばらくして、企業所属でない、個人Vtuberブームのようなものが起こった頃だ。Vtuberという未だ未開拓の領域に、数えきれないくらい多くの人々が各々の夢をもって殺到した(かつては私もその一人だった)。
結果、あっという間に個人Vtuberはレッドオーシャン状態になり、「Vtuberである」というだけでは全く見向きもされないという事実が衆目の元に晒された。Vtuberだから面白いのではなく、面白い人がVtuberをやっているから面白いのだ。残酷ながらシンプルで妥当な事実である。
しかし、この時期にかなり多くの人が自らの新しい肉体に新しい名前を付けたのだ。やっていることはハンドルネームとほとんど同じだが、今度は「自らの望む肉体」を得ることもできるようになった。自分で自分を再定義できる領域が徐々に広まってきているのだ。

昨今、メタバースという語が話題になっている。
なんのこっちゃ分からんという人に向けて説明すると、要するに仮想空間上に展開されるプラットフォームのことである。仮想空間上に誰もがアバターをもって参入し、その場を介して色々なサービス(買い物、映画、イベント、ゲーム、個人的コミュニケーションなどなど、既存の現実で出来ることのほとんどである)を利用できるようになる、という構想がメタバースだ。最も分かりやすい例えとして、映画『サマーウォーズ』が頻繁に挙げられる。まさしくあの映画はメタバースをやっているのだ。そして、あの映画のようなことが現実になる日もそう遠い未来の話ではない、と謳われている。

『サマーウォーズ』で登場人物たちがそれぞれユニークなアバターの姿を用いて仮想空間で活動していたように、当然メタバースのアバターにもそういった機能が実装されうる。そこでは、ユーザーは自分で自分に命名し、自分で自分の肉体を構築するのが日常茶飯事になることだろう。そういった未来が訪れたときに社会現象としてどんな事態が発生しうるか、人々はどのように仮想空間に適応していくのか。空想するだけでも非常に楽しい。

そして、空想の果てに至るのは、自己命名、肉体の再構築の次の段階だ。すなわち精神の再構築である。突飛な発想だと思われるかもしれないが、メタバースが現実のものとなるような時代に次の流行としてもてはやされるのはやはりこれくらい突飛な技術なのではないかという気がする。
AI技術がこのまま発展していけば、人間を模倣し、時には社交場で用いる仮面を提供し、時にはリラックスしやすい人格をレンタルし、時には心の病に苦しむ人にまっさらな精神を用意する……といったことも可能になるのではないか。

誰もが望む名前で生まれ、望む肉体で歩み、望む精神で考える世界……仮想世界である。そこまで至ってしまったら、もはや現実に戻ってはこれまい。むしろ仮想空間こそが現実となるのだ。胡蝶の夢や水槽の脳といった思考実験の類が現実の問題となるのも、もう時間の問題なのかもしれない。

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