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完全食への憧れと怖れ

完全食、あるいは完全栄養食と呼ばれるものがある。
その名の通り、一定の量を摂取することで、一日に必要な栄養素やカロリーを完全に補完できる食品たちのことをそう呼ぶ。
二、三年くらい前に「完全食ブーム」みたいなものが起きて、色々な企業が完全食と謳う食品を何種類も出し始めた。今では昔ほど完全食が話題になることはないが、少し調べてみると、商品の種類や出している企業は確実に多くなっていることが分かる。つまり、ブームが廃れたというよりは、一定の需要が生じて定期的に消費する人々が現れたと考えるべきだろう。

ちょうど完全食ブームが起きていたころ、私はそれらの食品に強い憧れを抱いていた。当時の私はカロリーメイトばかり食べて暮らしていたから、同じものばかり食べることに抵抗はなかったし、「一日に必要な栄養素を全て補完する」というありふれた、しかし間違いなく近未来的なアイデアに魅了されたのである。
まぁその当時も私は貧しかったし、割高なものが多い完全食には手を出すことなく月日は流れたわけだが、「そういう食品があれば楽なのになぁ」という漠然とした憧れは今日まで抱き続けている。

ただ、実際に「じゃあどうぞ」といった感じで私の目の前に完全食が提供されたとして、私がそれに満足するかどうかはまた別問題である。
食欲は人間の三大欲求の一つを占めるほどに大きな欲求だが、これは「栄養素を完全に摂取する」ことに対する欲ではない。当然全く栄養のないもので満腹になったとしても食欲が満たされるわけではないのだが(人工甘味料などがいい例だろう。甘さで人を満足させることはあるが、糖分として吸収されることがないために、結果として他のもので糖分を補完する必要がある)、かといって栄養だけを摂取しても結果は変わらない。食欲とはまさしく「食」に対する欲求であり、単に満腹になるとか栄養が取れているとかの部分に分解できない複合的な欲求だ。

例えば「一日一錠飲むだけでその日に必要な栄養素を全て摂ることができる錠剤」が目の前に出されたとして、それを飲むだけで一日の食事を終えるだろうか。
私は終えないだろうと思う。錠剤一粒では確実に物足りない。きっと満足感のある他の食事を必要とするはずである。それを考えると、ごく普通の食生活を送りながら、どうしても不足しがちな栄養素を補うサプリメントなどを摂取するほうが余程理にかなっている。

では、これならばどうだろうか。「一日三錠、朝昼晩に飲むことで、その日に必要な栄養素を全て摂取でき、かつ通常の食事をとったのと同様の満腹感や多幸感をもたらす錠剤」。
この錠剤を摂取することは、結果的にはバランスの取れた美味しい食事を一日三食食べるのと何ら変わらない。過程が「錠剤を嚥下する」というごく簡素なものに置き換わるだけである。このような「完全食」が完成したとき、私は、そして人々は、これまで通りの食事を選ぶだろうか、それとも「完全食」を選ぶだろうか。
話がSFチックになってきた。きっと実際にこういった食品が開発されたら、相当大規模な社会問題に発展するだろうと思う。
消費されなくなった家畜や農作物はどうなるのか(それらが完全食の原料にならないことを仮定した時の話だが)だとか、「本物」志向が思想として流行ったりだとか、その完全食が安価に供給できるものだった場合には、食の安定による人口爆発だとかも発生しうるだろう。

こんなふうに空想を巡らせるのは楽しいことだが、この問題はあと数十年もしないうちに空想から零れ落ちて、現実の問題として我々を悩ませることになるだろうと思う。
その日が来たときに、私はどういった立場にいるだろうか。ハンバーグを食べるか、ハンバーグを食べたことになる薬を飲むか。簡単には結論の出ない問題だ。

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