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古民家

こんばんは、ななしです。

住んでいる「古民家」のことを書きたくなった。現在私は、愛する2匹の猫と古民家で暮らしている。

なぜ古民家なのかというと

父方の実家を譲ってもらったのだ

築100年の古民家

この家は、祖母が病院に入っていた10年間も空き家だった。既に祖母は亡くなってしまったのだが、私が移り住んだ時には、まだ生きていた。

この家を譲り受け、住み始めて1ヶ月と経たない内に祖母は亡くなってしまった。

大きな病気もせず、祖母は94歳で寿命を全うした。老衰死だった。

祖母は幸せだったのだろうか

私は父方の祖母との思い出があまりない。成人を迎えてからは一度会ったきり。これは言い訳になるが、当時私は関東に住んでいた。大型連休で帰省しても、友達と遊ぶばかりで会う機会もなかったのだ。

いや、本当は会いに行かなかったのだ。

7年前に帰省した際、当時祖母が入所していた老人ホームに一度だけ面会に行った記憶があるのだが、祖母は私のことがわからないようだった。

人間は高齢になると何もかも忘れてしまう。忘れるスピードは人それぞれ、しかし意思疎通が出来ないことは、とても哀しいことだと思った。

小学低学年の頃、大型連休には決まってこの家に泊まりに来た。従姉妹達と海や山や川、大自然の中で夢中になって遊んでいたのを思い出した。

絵に描いたような田舎の風景

鼻に残る独特な甘い匂い

これはなんの匂いだろうか

17時丁度に公民館のスピーカーから流れる音楽

時間がゆっくりと流れる感覚

そんな思い出が詰まった場所だ。

小学高学年頃から私は、父方の実家に帰らなくなった。目の前の事に夢中になっていたのだ。いつまで経っても実家に顔を出さない私を、祖母はかなり心配してくれていたみたいだ。

きっと父から色々と聞かされていたのだろう。

今になって後悔しても遅いのだが、祖母が亡くなる前にちゃんと会って感謝を伝えるべきだったと思う。今でも私は誇れる人間でも何でもない。立派でもない、無駄に歳を重ねた中身は子供のままだ。

亡くなる前に感謝は伝えておくべきだ。祖母に限らず、大切な人には尚更そう思う。

私は伝えられなかった。

不思議というか奇妙な話だが

祖母が亡くなる前日の夜に、突然簡易式のチャイムが鳴ったのだ。

電池式の簡易的なチャイム

正確にはビリビリとノイズ音が鳴った。直ぐに手に取って確認したが、10年間使用してないチャイムの電池は勿論切れている。

電池から液ダレしていてとても使える状態ではない。

ただの誤作動だったのか

単なる聞き間違えか

これが知らない家だったなら

ただの怖い話だ

しかしなんとなくだが、祖母が「おかえり」と言ってくれたような気がしてならない。

次の日の昼に、祖母は息を引き取った。

都合良く美化したような話に聞こえるだろうが、これが偶然でも何でもいいのだ。理由なんていらないと思う。私は、何か特別な感覚を味わえた気がした。

ありがとうお婆ちゃん

この使えないチャイムはそのままにしておこう

また鳴ればいいな

なんて考えてしまう

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