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2018年 Dave Navarro インタビュー 「Nothing's Shocking」を振り返る

僕、Jane's Addictionのアルバム「Nothing's Shocking」がすごく好きでした、今でも大好きです。作品の中でデイブナヴァロ(Dave Navarro)のギターは、もちろん重要な役割を果たしていると思ってます。が、好きなギタリストを挙げてみようとする時、自分の頭の中にデイブナヴァロの名前が浮かばないんです。その理由は、デイブナヴァロのギターが恐ろしいくらいペリーファレル(Perry Farrell)のコンセプトと同化しきっていて、こんなに好きなバンドなのに、僕は高校生の頃からわりと最近まで、デイブナヴァロの存在が見えてなかったからなんじゃないかなと思っています。大人になるにつれて、そういうデイブナヴァロの凄みが、じわじわと沁みてきたんですよね。

高校生の頃にエアーズの通販で買ったブートVHS(同内容の動画は、映像も音も数倍いい状態でYouTubeにおおむね全部アップされてる)で観た映像の中のデイブナヴァロは、ライブであっても、どちらかというとアルバムの演奏から逸脱しないタイプでした。ちょっとがっかりした思い出もあるんですけど、今、YouTubeでナヴァロのその律儀なプレイを観るとグッとくるんです。音楽の深みを信じてプレイする尊さのようなものに心を動かされるといいますか。実際、彼のプレイはライブでより一層どんブカのジェーンズ空間をクリエイトできてる。

そんな感じで、何年か前に、デイブナヴァロって最近どうしてるんかなと思ってJane's Addiction、ならびに「Nothing's Shocking」の振り返りのような内容のインタビュー記事(元記事のリンク)を読んで面白かったので、自分用にざっくりと訳しました。

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Jane's Addictionは、1988年8月23日に2ndアルバム「Nothing's Shocking」をリリースした。ボーカル : Perry Farrell、ギター : Dave Navarro、ベース : Eric Avery、ドラム : Stephen Perkinsによる4ピースバンドは、ロックバンドとして異質だった。彼らはヘヴィであったがメタルではなく、パンクのアティチュードを持っており、ジャンルに縛られていなかった。彼らは、Led Zeppelin、Jimi Hendrix、Black Sabbath、Doorsなどのパワーを、Grateful DeadやBow Wow Wowを彷彿とさせるトライバルなドラムと共に、BauhausやCureのようなゴスな空気感と結びつけた。彼らはレゲエやファンク、またほんの少しジャズからも音楽を引き込んだ。彼らのライブには、予測不可能な危うい空気感があり伝説的でもあった。(1987年にリリースされた彼らの1stアルバムはライブ盤であり、「Nothing's Shocking」はスタジオ録音された1stアルバムにあたる。)

「Nothing's Shocking」はJane's Addictionの傑作だ。Nine Inch Nails、Soundgarden、Faith No More、Nirvanaのようなラウドなオルタナティブバンドが、独自のサウンドや考え方を持ったままメインストリームで活躍するための道筋を示したアルバムでもある。パワフルで繊細でセクシーでロマンチック、ラウドではあるがゲスくはない。「Nothing's Shocking」は、ヘヴィ寄りなオルタナティブロックバンド達による新時代においてゴールドスタンダードなアルバムとなった。

このアルバムについてDave Navarroに話を聞いた。「長い間聴いてないな」と本人は言ったが、レコーディングやアルバム発表後の余波について話してくれた。彼のギタープレイにどれほどPerry Farrellが影響を与えたか、バンドがどう終わったか、「Idiots Rule」のクールなホーンセクションについて、そして、「Thank You Boys」に関する逸話についても聞くことができた。

「Nothing's Shocking」の曲を聴くよりも先に、アルバムカバーを見たことを覚えています。他の多くのロックバンドはイメージの中にある女性を対象化して表現しがちである一方、「Nothing's Shocking」のアルバムカバーでは、女性が神格化されていると感じました。Perry Farrellは、他のバンドとは違った方法で女性を表現していると思いました。

Perryは間違いなく実際に起こっていることよりもロマンチックに曲を作るタイプだったと思うんだ。あらゆる解釈に対してオープンなまま、自分がどこかから来たかを感情的に表現する才能があったと思う。そのやり方は本当に素晴らしかった。僕は、自分のバンドのシンガーが、いわゆる「ロックンロールのライフスタイル」のような視点ではなくて、分け隔てなくすべての人間の境遇にフォーカスしていたことを誇りに思ってるよ。実際、僕らはそんなロックンロールなライフスタイルのあるシーンにはいなかったからね。

当時は、ヘアメタルの時代だったんだ。ヘアメタルシーンは、歌詞的にはヒップホップシーンがやっていたことと、いろんな点で似てたように思う。彼らは、みんながどんなに偉大なのか、持っているものや、この先に手にするものがどんなに素晴らしいかについて歌っていた。僕らは、社会的に正しくないと思ったことや、深く傷ついたこと、悲しかったこと、死や愛について歌ってたんだ。

バンドはサウンド的に本当にパワフルだったけど、むしろ、歌詞によって芯から人々の心を動かすことができたんだと思う。歌詞は感情であり境遇であり、感情や境遇はいつもそこに在るものだったし、これからも在り続けるものだ。このレコードが時間の経過に耐えうる理由のひとつでもあると思う。

僕らはみんな感受性に関して似たような考え方を持っていた。アートに対する愛、特に美術や古典学者に関して似ていた。僕らはツアーが終わったらクラブに行って遊ぶ代わりにミュージアムに出掛けてたんだ。

あなた達には多種多様なお客さんがいたと思います。メタルファンや、ゴス、パンクス、Grateful Deadのファンやクラッシックロックのファンでさえも。80年代の後半から90年代の初頭にかけて、ありとあらゆるバンドのライブで、Jane's AddictionのTシャツを目にしたことを思い出します。

僕らが1991年にLollapaloozaを開催した時、Living Colourや Siouxsie and the Banshees、Butthole Surfers、Nine Inch Nailsのファンの前で演奏したんだ。あの初回のLollapaloozaは、すごくクリエイティブでアンダーグラウンドで、ちょっとした奇跡のようだった。どのバンドも次のバンドとまったく似ていなかった。

違うジャンルやスタイルの音楽を全部ごちゃ混ぜにするというイベントのコンセプトは、Jane’s Addictionには本当にぴったりだった。それは、僕らが自分達の音楽で体現していたことでもあったからね。80年代、僕は、筋金入りのGrateful Deadフォロワーで、彼らにつきまとってたんだ。僕とStephen Perkinsは一緒にたくさんのライブに出掛けたし、僕ら二人は間違いなく共通の感受性を持っていたと思う。好きなバンドがいて、そのバンドがコミュニティのある場所になる。そして次は自分がバンドでコミュニティのある場所を作りたくなる。すごくコレクティブな話だと思う。

そうだ、僕らにはたくさんの黒人のファンや女性のファンもいることに気付いたんだよね。最前列からいろんなバンドのTシャツが僕らをみてた。Smithsのシャツも、Bad Brainsのシャツも、Dead Kennedys、Led Zeppelinのシャツも見た。わお、僕らはなんていいお客さん達の前でやってるんだって思ってたよ。みんなは真剣に聴いている音楽を連れてやって来たし、僕らはそれが嬉しかったね。

「Nothing's Shocking」はメタルが少し落ち目になり始めた頃に発表され、あなた達の音楽はヘヴィではあったがメタルとは認識されなかった。本当の意味でのオルタナティブだった。

君がヘヴィメタルの話を引き合いに出すのは可笑しいね。ヘヴィメタルは、僕にとってのトレーニングだったよ。ルーツというか、僕が演奏を始めた場所だった。HendrixやZeppelin、Doorsを聴き始めて、それらが僕を引っ張っていってくれて、その後、最初はヘヴィメタルにのめり込んだんだよ。攻撃的なところやミュージシャンシップ、もちろんギターサウンドにも惹かれたからね。だから、ヘヴィメタルで表現するための道具箱くらいは持ってたよ、でもヘヴィメタルから全部の道具を持ち帰ったわけでもなかったんだ。

僕は、Siouxsie and the BansheesやBauhaus、Love and Rocketsなんかみたいに、ギターが控えめに主張するバンド達から得た別の道具箱を持ってた。そういうバンドが僕のミュージシャンとしての幅を広げてくれたと思うし感謝してる。

僕らにはそれぞれ違った音楽遍歴があって、Perryはレゲエに熱中していたし、Perkinsは今もGeratful Deadフリーク、Eric Averyはパンクやポストパンク、クラッシック音楽に大きな影響を受けてた。だから、僕らはみんな最後に聴いたレコードがどんな音楽であったとしても、リハーサルに集まって、それらの影響を持ち込んでうまくそれをいかそうとトライした。

同じような感性を持った人達とバンドをやるってことは、僕らは思いつかなかった。実際に僕らは全然違ってた。それはDave Jerden(プロデューサー)が僕らに会ってみて思ったことでもあり、彼が「Nothing’s Shocking」で僕らから引き出したことでもある。君達にはマイクフォンに向かうロマンチックなソウルがある、君達には、催眠的に繰り返されるベースラインを操るJoy DivisionのPeter Hookからインスパイアされたベースプレイヤーがいる。Stephen Perkinsはトライバルビートを叩くドラマーで、信じるかどうかは別として、Adam and the Antsから大きな影響を受けた。そして僕は、真っ直ぐでロックな、ギターヒーロー的なバックグラウンドを持ってた。とはいえ、僕は立ち止まらなければならない時もあった。少し物事に呼吸をさせる必要がある時が、みんなにもそれぞれあったと思う。そういう時、僕らは大好きなイギリスのバンドから手がかりを得ようとしてた。間を取ることはプレイすることと同じくらい重要だからね。新しくて普段の僕らとは違う何かをクリエイトする実験をしてるような感覚だった。

「Nothing’s Shocking」や「Ritual de lo Habitual」の頃、なにが素晴らしかったかって、みんなでスタジオに行って曲を作っていたってこと。すごく重要なことだと思う。僕がRed Hot Chili Peppersに加入した時も、僕らがこれまでやってきたこと、そのまんまだった。スタジオに行って曲を作って、リリースしてなくても、2年くらいツアーでその曲をやった。どの曲がレコードになるのかさえ、僕らはみんな知らなかったし、実際に「Ritual de lo Habitual」に収録された曲はほとんど「Nothing’s Shocking」の頃に作った曲だった。

Perryの尊敬できる点は、ほんとにたくさんあるんだけど、そのうちの一つは、彼が「Three Days」を「Nothing’s Shocking」から次に備えて外したがったことさ。彼は「Stop」と「Ain’t No Right」も外したがってた。僕らにはすごく強くて洗練された曲があったけど、取っておくべきで、その次に来るより良いものも同時に期待するべきというのが彼の考えだった。当時の僕らは「最高なんだから、今これらの曲を入れるべきじゃないか?」って感じだった。でも結果的に彼が正しかったんだ。僕らは次のアルバムにそれらの曲を入れて、新しい曲と数曲混ぜて「Ritual de lo Habitual」を作れたんだ。彼の機を見るセンスは、本当に素晴らしい。僕らにとってすごく重要だったと思う。

あなたがインタビューで、ギターで最も大きな影響を受けたのは誰かと尋ねられた時に、Perryの名前を挙げて、彼が自分を「blues box」から解放してくれたと言っていたことを覚えています。

そうだね。覚えてるのは「Ocean Size」をレコーディングしている時だよ。彼が僕のすぐ隣りに座っていて、僕はギターでいろんなフレーズを弾いていたんだ、まあロックンロールなギターだったと思う、いかにもギタープレイヤーのようなソロを弾いてたんだけど、彼は僕を見て、いつも言い合いになるような当時あまり関係性が良くなかった女性、ここでは名前は言わないけど仮にStacyとすると、「Stacyのことを思い出しながら、もう一度弾いてみろ」って言うんだ。「最悪な女だ」と思ったけど、彼は「Stacyを思い出せ!」って言うんだ。そして、僕は彼女のことを考えながら弾いたんだ。不協和音で調子が外れたようないやらしいギターだったよ、不完全で、その瞬間1回限りのギターの類いだった。彼のおかげで自分の感情を汲み取って、それをプレイに反映させるやり方をその時に知ることができたんだ。

Perryはあなたより少し歳上で、彼は前のバンドPsi Comですでにアルバムを録音した経験があった。彼はあなたにとっていろんな点で先輩でしたか?

そのレコード(Psi ComのセルフタイトルEP 1985年作)は僕にとって最高な作品のひとつなんだ。「Xiola」って曲を聴けば、頭から離れないと思うよ。その作品でも彼は本当に最高なんだ。あの曲は狂ってるし、ボーカルも狂ってるけど、彼はちゃんと指揮をとってる。Jane’s Addictionでも彼はそうで、僕らをプレイヤーとしてうまく方向付けたし、多くのことが彼によるものだった。僕らは、お返しに彼の叙情的な部分を少しかたちづけていたんだと思う。すごく組織的に機能していたよ。Jane’s Addictionのレコードが出てから、僕は長らく聴いてないけど、こんな話をしたから、聴いてみるかもしれないな。

多くのバンドマンは大観衆の前で演奏する大きなショウに出ることにストレスを感じるように思いますが、あなたはそういうものとは関係がないように見えた。

僕らはショウを儀式、祝祭、ある種の聖餐式のようなものにしたかったんだ。だからそのためには、祭壇がないといけないし、僕らはステージにそれを置いて、みんなに大きな印象を残したと思う。

たくさんのスモークや炎や照明を借りてくることと、JC Pennyで買ったクリスマス照明をつないで飾ることは違うでしょ。僕らは自分達でやってたんだよ。僕とペリーは、ステージで小道具になりそうなモノを手にしてHome Depotのレジに何度も並んだ。僕らは哲学として、ショウを記憶に残る美しい経験にしなければならないと思ってたし、だからこそ祭典だし、みんなが来てくれるんだと思う。率直に言うと、僕らはみんなにお金を払って観に来てくれと頼んでるわけで、見どころのあるものを提供したいんだけど、でも、僕らの作るステージセットはいわゆるロックンロール的なものではないですよと。庭におくような奇妙な像やクリスマス照明、サンテリア教の儀式でつかうキャンドルに火を灯したり、もうブードゥー教の教会みたいだった。

そうしない人への当てつけとかではなかったんだ。僕らは自らすすんで、そうしたいからしてたんだ。なぜって、当時のロックンロール的なステージって、花火とかスモークとかだったからね。そういうのは一切やりたくなかった。僕らはもっと親密な儀式ののようなことがしたかったんだ。僕らにとっては挑戦だったし、他とは違ったものができたと思ってる。まあでも、そんなに必死で挑戦したわけでもなかったけど。

あの当時のことを思い返すのは好きさ。僕らがまだひとつのバンドだって事実は僕にとってすごく刺激的だし、遠くまで来たんだなって、ある種の感謝の気持ちを持つことができるしね。

「Idiots Rule」でホーンセクションを使ったことについて聞かせてくれますか?

あれは、Red Hot Chili PeppersのFleaと、FishboneのAngelo、Chris Dowdだったんだ。みんな古くからの仲間だよ。僕らはお互いのバンドによく出入りしたし、たぶん僕らは当時ありがちじゃないミュージシャンの部類だった。別にL.A.でスカやファンクが大きなムーブメントになっていたわけでもなかった。だから僕らは自由な発想を持った同志って感じだった。

「Idiots Rule」は現代のJames Brownって感じだった。Dave Jerdanは「ここにホーンを入れよう」と言って、ホーンセクションを呼ぼうとしたんだ。その時に「ちょっと待って、僕らは世界で有数のホーンの名手を知ってるんだ。」って言って、彼らを呼んだらスタジオに来てくれたんだ。

Jane’s Addictionのレコーディングで彼らとプレイしたことを思うと、今でもぞくぞくするよ。Fishboneは僕にとってヒーローの1人だよ。当時の周辺のバンドの中で最も過小評価されていたと思う。彼らはエネルギッシュで最高のパフォーマーだったし、音楽的にも才能に溢れてた。最高のシンガー、最高のプレイヤーであり、楽器の技術にも優れてた。彼らがちゃんとした評価を得られなかったことは、本当にショッキングでならない。彼らには実際たくさんのファンがいるし、有名なバンドではあったけど、世界的には成功しなかったんだ。

Nothing's Shockingに収録されたすべての曲には叙事詩的な趣きがありますが、「Thank You Boys」は、少しファニーな間奏曲って感じですね。

皮肉やユーモアってバンドの中で見落とされがちなものだと思う。「Thank You Boys」は、僕とEricとStephenで時々リハスタやらで演奏してたジャズの進行のちょっとしたフレーズだったんだ。ちょっとラウンジっぽい響きがあって、僕らはみんなそれを面白がってたんだ。

ショウで、マイクの音が出なくなったり、スピーカーが故障したり、お客さんが怪我したり、なんかしらトラブルが起こることもあるでしょ。そういうライブが中断してステージ上で少し時間が必要な時に、僕らはいつも「Thank You Boys」を演奏してたんだ。そのことを知ってる熱心なファンはこの曲を知ってただろうね。

Trent Reznorが開演する時に使っていた「Now I’m Nothing」って曲があるんだけど、彼はその曲をレコーディングもリリースもしてないんだよね。ファンが「どこで手に入るの?どこで聴けるの?どうやって見つけたらいいの?」ってなるのは、よくあることだと思う。そういうのもNine Inch Nailsの好きな部分のひとつなんだ。 僕が言いたいのは、そういうのは、熱心なファンだけに向けたシークレットな謝意のようなものなんだってことだよ。

あなたやJane’s Addictionが、次に考えていることはありますか?

僕は常に何か次のことを考えてるよ。今は「Mourning Son」という僕のドキュメンタリー映画を上映するためにシカゴにいるんだ。その後は、Royal Machinesのライブがたくさんある。Jane’s Addictionについてのトークショーもあるよ、確定している情報かどうかはわからないけど。その次は、「Ink Master」のシーズン12を1月にやる。シーズン11は8/28にParamountから公開されるよ。その他は、Jane’s関係もあるかも、でも定かじゃない。日々、やるべきことをやってるよ。

新たな音楽活動の予定はありますか?

いろいろ計画してるよ。いろんな人達が関わってるから今は明かせないけど、やる予定だよ。

Above Groundではまたこの先に何かをする予定はありますか?(Above Groundは、Dave NavarroとBilly MorrisonがLAでベネフィットライブをするために組んだカバーバンドで、豪華なゲストを揃えて、The Velvet Underground and Nicoを演奏したり、Adam and the Antsのアルバム「Kings of the Wild Frontier」をフルで演奏した。そのショウはMusiCaresという基金を立ち上げた。)

わからない、でもまたやると思う。ニューヨークでAbove Groundをやってみたいって考えてるんだ、まだ何も決まってないけどね。アルバムを1枚つくることは決まってるよ、Billyと一緒に行ったり来たりしながら、だね。Billyにもやりたいことがあって、僕にもやりたいことがあるし、その両方を共鳴させなきゃならない。うまくまとめて、人々に届けて、ステージに立つ準備をする、これって僕の一番大きな音楽的な仕事だよね。

当時のレコードを学ぶことってほんとに至難の業なんだ、でもそれが大好きなんだ。すごく良い経験をさせてもらってるし、次のアルバムが楽しみでしかたない。

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