私の『マイ・ブロークン・マリコ』感想文


 少し前に話題になっていた平庫ワカ著の『マイ・ブロークン・マリコ』を人から教えてもらって約1か月前に読んだ。読んだ時の衝撃はもちろんのこと、その後時間をかけてじわじわと遅効性の毒のように全身に巡り、今や居ても立っても居られない。どうしていいのか分からないので、その感情の吐き出しとして感想文を書くことにした。書いてみたら自己満足にも程がある内容になってしまったので、釈明的にタイトルに「私の」とつけた。 本当は全文「私はこう思っただけだけど」とつけたかったがくどいので省いた。
 以下、ネタバレに全く配慮していないし、誰も聞いてない自分語りと妄想にまみれていて見るに堪えないが、お暇な方はお付き合いください。

 本作についてのあらすじは、私の稚拙な文章を読むよりはるかに素晴らしいものがネットに溢れているので、ものすごく雑にまとめるが、シイノとマリコという2人の女の関係性についての物語だ。関係ないけれど、私はこの本のキャッチコピーでいわゆるブロマンスの対義語であるロマンシスという単語を初めて知った。響きがとても綺麗で素敵だと思う。

 さて、オタクの悪癖として、心を打つ作品を勝手に自分の話だと思い込む点だと先日どこかで話題になっていたが、本作を読んでいてまさにその状態に陥っている。
 しかしこれは作者の意図するところなのかもしれない。話の引力が強く、インパクトのあるシーンはいくつも出てくるのに、登場人物の詳細なバックグラウンドはあまり語られない(特に語り手のシイノの背景は皆無といっていい。)ので読んでいる側は勝手に想像することができる。そのせいかここまでの鮮烈なイメージを持ちながら、彼女たちはどこかあいまいで普遍的だ。
 ともかく、途中から私は自分の話として読んだ。そして長年蓄積された、もやもやしていて形のない、純粋なのか濁り切っているのかもよくわからない感情が言語化されたような気持ちになった。説明能力がないのでこの感情をうまく表現できないが、自分の語彙力の範囲内で言うなら驚愕と興奮と仄かな恐怖と謎の焦りだろうか。(なんだか違うな…一か月たってもまだ上手く気持ちが説明できないでいるのがもどかしい。)傍から見たら馬鹿馬鹿しい、本人達にとってだけ意味のある行動に共感しすぎて吐きそうになる。
  読み終わってリアルに体調が悪くなった。でもこの本に出会えたのは本当によかった。

 ここからは作品の中で特に印象に残った箇所について語りたい。
 一つ目はシイノの「あんたはどうだかしらないが私にはあんただけだった」というセリフについて。
 これ、実はほんとにシイノにとってだけ、マリコが唯一の人だったかもと思っている。
 二人の関係は不均衡だ。物語を通して常にシイノは与える側、マリコは求める側である。言い替えると、表面的には2人の関係はシイノがマリコを一方的に支えている。でも人から必要とされることってかなり精神的な救いになるし、逆に自分だけが相手を好きだと思っていると優しくしてもらっていても満たされないことってよくある。
 前述の通り、シイノの生育環境についての描写は全くないためわからないが、マリコは小さいときから母に、次にシイノに、そして自分から去ろうとするDV彼氏に愛を求めている。もし、シイノも普段は与えられる側だったとしたら。シイノにとってマリコは 、自分を求めてくれる唯一の存在になるけれど、マリコにとっては、シイノは何かをくれる存在であるという点で他の人と同じカテゴリーにあることになる。(そのカテゴリーの中では特別な存在だとしても。)
 マリコはシイノが自分を必要としているとは思っていなかったんだろう。自分からアクションを起こしたら優しい人(シイノ)は答えてくれるけど、向こうから自分に近づいてきてくれる人はいないと諦めていた。何故なら自分は無価値と確信しているから。だから暴力を振るわれてもお金をとられても気まぐれにマリコを求めているという言葉をくれる男にマリコはついて行ってしまったのではないか。この男は全くマリコを必要としていないのに。そしてその男がいなくなった時に…とかだったとしたら。そう考えて悲しくなってきた。

 二つ目は崖の上でシイノが遺骨に対して泣きながら激怒するシーン。
 ここが一番リアルタイムで読んでいる時、死ぬかと思った。
 唐突に自分語りを始めるが、私には高校時代からの共依存関係にある女友達がいる。思春期に家庭環境やその他様々な生き辛さという共通点から仲良くなり、10年ほどになる。私は友人との関係が歪んでいることをよく理解しているが(そしてそのことに妙な安心感を抱いていたり。処置なし。)その例の一つが、お互いが自分を置いて先に死なないように見張っているということだ。私達は自分が死ぬことより、相手が先に死ぬことを許せないと思っている。私も友人も気持ちに激しい波があって、しょっちゅう精神の安定を欠く。彼女がどうかは知らないが、友人が鬱状態になるたび私は今度こそ置いて行かれるのではないかと不安で仕方ない。
 また、その後のシーンでシイノは激情に任せて飛び降りようとしてマキオくんに止められ、やがて日常に戻っていくがこれもすごくリアルだ。死んだことないから想像でしかないが、きっと死ぬために一番必要なのはその場のノリと勢いだと思う。シイノはもう死ねないんじゃないかな。たぶんこのまま寿命を全うする気がしている。
 ただ、その後どういう精神で生きていくのか想像がつかない。マキオくんが大切な人に会うには生きるしかないと言っていたけれど、この言葉はまだ理解できていない。私はもし友人に置いていかれて、その後生き続けるとしても、そのビジョンが全く湧かないので、死ななかったシイノが今後どうやって生きるのか本当に知りたい。作品としてはわからないのが美しいけれど、半分教科書として読んでる身としては正解を教えてほしい!と思わずにはいられなかった。そういう本じゃないですよね。

 三つ目はいきなり抽象的になるけれど、キャラクターが極端に振り切れていないところについて。
 こういう題材だとマリコのおかしい側面に焦点をしぼりがちだと思うけど、マリコは常におかしいわけじゃなかった。生きて毎日を過ごしている以上、常に狂人でも正常でもいられないのは良く分かる。程度の差はあれど皆そうでしょう?違うかな。
 それにシイノもマリコを常に受け止められていたわけでもない。相手に対して何度もめんどくさいと思ってしまう本音と、それでも愛しいという感情はすごく現実的だ。
 こじらせた感情も振り切れた極端さに走るといっそ文学的な美しさを持ったりする(そしてそういう作品が私はとても好き)が、この作品はそれを許さない。一方で具体的事例を描くわけでもないので醜くなりすぎることもない。ここでもっと具体的な出来事が描かれていたらここまで私は狂っていなかったかもしれない。創作物として鑑賞するのみで終わっていただろう。
 この中途半端さがファンタジーにもなり過ぎず、自分事からかけ離れもせず普遍的なやりきれない現実という感じで、逃げ場がない。

 好き放題書き連ねていたら、思いがけず長文になってしまった。
 普段大して文章も書かないのに勢いでここまできてしまったので、自分でも何を言いたかったのかよくわからない。が、すごくすっきりした。読んでくれる方がいらっしゃるかどうか不明だが、読みにくい文をここまで読んでいただけて嬉しいです。ありがとう。
 そしてこんな体験をくれた平庫ワカさんに感謝と敬意を捧げる。ありがとうございました。

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