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今年で100年。

今年で関東大震災から100年を迎えます。国立科学博物館では企画展が開催されるそうですね。TBSでは特番も。
前々から気象というか地学系に詳しい系学生もといアマチュアプロレスラーだった私ですが、その大元になったのはこの関東大震災です。自分が生まれてもいないのになぜそういうことが言えるかって。
詳しいことは今回載せるのを控えますが、私は地震をテーマに論文を書き、それに関する取材も受けたことがあります。

なので、今回は私がそこに至った経緯とか何を伝えたいとかお話しできればと思います。今回を機に、少しでも地震のことを知っていただければうれしいです。

私が地震に興味を持ったのか

私が地震という分野に興味を持ったのは、3.11が始まりです。私は当時から埼玉県に住んでいましたので、いわば経験者と言っても過言ではないと思います。それと、私の親族が地震で大きな被害を受けた宮城県におりまして、当時は1週間ぐらい連絡が取れなかったような気がします。あと、親族が震災に関係する職種だったってのもあって、当時のこととかめっちゃ聞きました。親が地震から1ヶ月後に現地に行ったんですが、その被害の大きさは想像を絶するものだったのを覚えています。

そこから1ヶ月ほど経ち、私は進学の時を迎えました。で、その時に通ってた学校で、地震の研究が行われていたんです。それを知った私はすぐにその世界に飛び込むことになりますが、そこの研究は皆さんが思う地震学とはちょっと違うところだったんですよね。

歴史地震

私が専門としてる分野は「歴史地震」というところです。皆さんがよく考える地震学っていうと、地震計の波形を見て〜震源を特定して〜みたいな感じでしょうか。もちろんそのようなリアルタイム地震の研究をしてる方もいらっしゃいます。しかし私は過去の地震の記録から学ぶことを専門にしているという言い方が正しいでしょうか。その中でも私が対象にしていた地震が1923年に起きた関東地震(関東大震災)になります。我々の世界では、発生した地震単体のことは地震といい、それに伴って発生した被害のことを震災と表現するので、ここからは関東地震と表記させていただきます。
じゃあ具体的に何をしていたのかっていうと、これです。

私が研究していた当時の様子

石碑の碑文から地震のことを読み解き、当時の背景を探る。
ってことをやってました。私はさいたま市の高校に通っていましたので、まずはさいたま市のことから調査を始めました。
そうすると石碑の山が出てくること出てくること。その中でも、私が石碑に深くのめり込むことになった思い出の碑があるので、私の論文から抜粋します。

市立川通小学校の石碑


この石碑は、小学校の敷地内に建てられたものになります。石碑っていうと神社とか寺院っていうイメージあるかもしれませんが、こうやって学校にあったり、道端に立っているものもあるんですよね。
しかもこの石碑書かれてることがエグくて、簡単に説明すると
「9年前に完成したけど地震で壊れました。ただ半年で復興したよ」
って感じです。胆力エグない?こちら公立の小学校なので公共事業だったってことも関係してるとは思いますが、今でいうクラウドファンディングでここまで早い動きは見たことないです。
石碑にはこうやって時代背景を記したものもあれば、復興の記念の謝辞として建てられるものまで様々なものがあります。この石碑にも、裏面に出資者の名前が書いてありました(今で言うところのクラファンの返礼としてお名前を掲載するという感覚でしょうか)。私がみたものだと、「鳥居が壊れて新しくしたんだけど、その壊れた鳥居の一部を使って石碑にしました。」なんてのもありました。一基ごとに違った背景が汲み取れるの面白いです。

流言蜚語

さらに、こんな石碑もあるのでご紹介します。

常泉寺にある慰霊碑

こちらは、地震の混乱の際に発生した根も葉もない噂のために虐殺された朝鮮人を慰霊するための石碑です。今でいうところの「X」で拡散された状態というのが正しいでしょうか。正直、現代でも通用する話だとおもうんですよね。東日本大震災でいうと、「フクシマ」の話とか。今もSNSでなんか話題になっているじゃないですか。こういうことは絶対起こしちゃいけないし、起こさせないためにも過去のことから学ぶって大事だとおもうんです。
明日からこの震災に関連した虐殺事件をテーマにした映画も公開されるようで、このお話がさらに多くの方に知っていただければと思います。


津波てんでんこ

これは関東地震に関係ないんですが、この際、皆さんに見てほしい石碑があるので紹介します。

田老第一小学校にある石碑

こちらは岩手県宮古市の小学校にあった、昭和三陸津波の際に建てられた石碑です。この石碑の特徴としましては、教訓が箇条書きで書かれていることです。ここまではっきりと書かれているのはなかなか珍しいです。
三陸地方は、昔から津波の被害を多く受けてきておりまして、その度に石碑に残す文化があったそうです。そして、地震教育もかなり進んでおり、その時の合言葉となっているのが「津波てんでんこ」です。
てんでんことは、地域の言葉でてんでばらばらに逃げることを指しています。つまり、「津波が来たら、家族なども気にせず高所に逃げ、自分の命を守りましょう」という意味になります。
一見薄情に見えるかもしれませんが、先人たちは「人のことを思いやった結果、共倒れになる」歴史を知っているのです。だからこそ、この教訓が生きてくるのです。

何が言いたいかって

地震は自然災害です。起こさないようにしても起こるものなのです。でも、被害はどうでしょう?過去のことを知っていれば減らせる被害はあるかもしれません。
私は「防災」という言葉はあまり使いたくないんです。なぜなら災害はどうしても起こるものだから。でも、「減災」ならできるとおもうんです。地震が一次災害だとしたら、それに起因して起こる津波や火災、建物の倒壊は二次災害と言えるでしょう。関東大震災の死者の90%は火災に起因しています。いかに二次災害を抑えて、命を守ることができるのか。これが私たちにできることなのではないでしょうか。
国土地理院が2019年に「災害伝承碑」という地図記号を新たに追加しました。設立の元々のきっかけは豪雨災害だったんですが、徐々に地震や津波の石碑も増えてきています。もちろん、今回私が紹介したものも、すでに地図に載っているものが一部あります。それだけ、過去から学ぶことに対して国が重きを置いていることがよくわかりますよね。


今、南海トラフが〜とか首都直下が〜とか言われてますけど、やることは一緒です。備えあれば憂いなし。これにつきる。まだまだ語り足りないことだらけですが、それはまた別の記事にしようと思います。これ以上書いてるとめっちゃくどくなる。


最後に

私はさいたま市と春日部市を対象に研究していたのですが、後輩たちが所沢市に場所を移して研究を続けているみたいです。その縁なのか所沢で企画展を開催してるそうです。来月24日まで展示しているそうなので、興味持った方は是非。

あと、クラウドファンディングで話題の国立科学博物館(通称:かはく)で明日から関東大震災の企画展が開催されます。当時の史料とか展示されるみたいなので、こちらも気になる方は行ってみてください。10月からは別の展示も始まるんだとか。

その他、各地で震災に関する特別展が催されています。今しか見ることのできない貴重な史料なんかもあるので、是非ご覧ください。


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