お伽噺のガードマン


今回は小説じゃなくって、と書き始めてみたら途端に恥ずかしくなった。

ならいつもは小説なのか、と自分に余計な質問をしてしまったから。

しかし、バーテンダー時代に実際にあった、或いは見聞きした事を事実を三割がた元にして物語にしてきた。

七割近くが創作なら、それはほぼ小説と呼んでも許されるような気もする。

殆どが事実で、登場人物の名前や性別だけを変えたものもあるにはあるけれど、それだって会話の内容の細部は、事実とまさかぴったり同じじゃなない。

当たり前だ。

初めから色々と言い訳じみていて申し訳ないけど、ともあれ今回は小説ではないのだ。

なら何だと聞かれても、よくはわからない。

強いてジャンル分けをするならばこれは、「お伽噺」ではないだろうか。


そのジャンルであってるかどうか、自信はないけど。


僕自身の文章が、上手いかどうかは置いといて、バーテンダー時代の話はどちらかと言えば書きやすい。

相当に時間の経過したエピソードは、良くも悪くもほどほどに枯れていて生々しくはない。

ちょっとだけ事実にフィルターをかければ、そう例えば登場人物のおじいちゃんをおばあちゃんに変えたりするだけで、お話は記憶とぜんぜん違う色になる。

あたかも最初っからストーリーを作ったような雰囲気になる。


しかし今回は違う。

なんせ数日前の出来事なのだ。


生々しさのレベルが違う。

最初にいつもとは違うと断りたかった訳は、つまりはそう言うことだ。


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自分がこんなに心配性だったなんて、はっきり言って知らなかったし、なんなら今でも相当に訝しい。


僕が幼稚園かそこらの頃は、歩道も何にもない「一応舗装だけはしました」というような道を二キロ近くひとりで歩いて通っていた。

脇をダンプやトラックがばんばん通る通学路に僕を送り出す母親は、普通にいってらっしゃいと笑顔だったのでその状況に疑問を抱いたこともない。

そう考えれば、家から直線距離で数百メートルの、隣同士に建っている学校に通う中学生と小学生のわが息子は、僕に比べてはるかに安全には違いない。



なのに、心配でたまらない。

僕が育った田んぼしかない田舎の町とは違い、幾分都会なこっちは交通量も多い。

テレビで子供が被害にあう、目も当てられないようなニュースを見るたびに、嫁にも呆れられる僕の心配性は症状が自覚できるくらい重くなっていく。




「あんたは、先生な?」

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交通安全保安係りは、PTAから割り振られた今年の僕の仕事だ。

朝から通学する小中学生を交差点で見守り、安全に道路を渡らせる。

たまたま休みだった日の朝、玄関に置かれていた黄色い旗を持って、指定された近所の郵便局前まで行った。

予定の時間より早かったせいか、まだ靄の煙るような朝の通りに、車はたいして走ってはいない。

向かいのコンビニで缶コーヒーを買い、両手でくるんで足踏みをしながら灰皿の前に立ってタバコを吸った。

ふいに、声をかけられたのはその時だ。


「そん旗は保安係のだろ?あんたは、先生な?」


振り返った先には上着だけ警備員の様な制服を着た、おじさんが立っていた。


マスクの下から、仙人のような真っ白いあごひげがはみ出している。


「いえ、保護者です。今日は係で。」


僕の返事を聞いているのかいないのか、上だけ警備服のおじさんは郵便局前の横断歩道を指差した。


「あんたは、あっち側。停止線のとこに電柱のあるけん、そこん前な。」


早く行けと言われたことに気付いた僕は、慌てて一口だけ吸ったタバコを揉み消した。


「おら向こうの道路沿いで中華屋ばしよっとたい。」


狭いとは言え、道の反対側に立ったおじさんの声はマスク越しもあって聞こえづらい。中華屋がどうとかこうとか。


「え?何ですか?」


登校時間までは、まだ少し間があるのだろう。


誰ひとり歩いてはいない、十二月の、肌に痛いような風だけが吹いている道端で、おじさんは僕を無視して話し続けた。


「もう、何十年もここらで店ばしよるけんね。毎日じゃなかばってん、月に何度か立っとるとたい。子供も昔に比ぶんならだいぶ減ったばってん、車通りは昔と別に変わらんしな。」


その中華屋なら知っている。近所だから当然だけど、ひとりでやっているのにお客が居ても「ちょっといってくる」と言い残して出前にも出るというちょっとした有名店だ。


「あたんところは子供は何年生な?」


余程話し好きなのか、それともまだやることがないからなのか、おじさんは通り越しに話を続ける。

ちょっとだけ、面倒だなと思いだしてもいた。


「上は中一で。」


「なら、来年は受験たい。」


ほら聞いてない。
いや、聞こえないのか。


僕でさえ聞き取るのが精一杯の距離感で、多分20以上は年上のおじさんだから無理もないのかも知れない。


はあ、まあ。


僕は諦めて曖昧な相づちを打った。


その頃になると、ちらほらとやって来だした子供達にも、おじさんはやたらと話しかける。

「おはよう」と「行ってらっしゃい」の間になんやかやと言い、男の子ならたまにお尻を叩いたりしていた。

ああ、僕が小学生だったら確実にアダ名を付けて嫌がってただろうな、と思う。


黄色い帽子を被った一年生の男の子と、赤ちゃんを抱いたお母さんが通りかかる。

「お、産まれたんな。どっちね。え、女の子な。あんたは産んで上手なー。」

多分産み分け的な事を言ってるんだろうけど、大丈夫かそれ。


僕の立つ場所の、後ろにある郵便局に局員さんが出勤してきて裏口の門を鍵で開けている。

「おい、局長。年賀状な全然売れんとじゃなか?」

僕からだけ見える顔にちょっとうんざりした表情を隠さない局長さんは、振り返らずに「それが大将、売れてるんですよ結構」と返した。


「なら、やおいかんたい。」


やおいかん、とは熊本弁で「なおさら宜しくない」という程の意味だから、僕は心のなかで「どっちだよ」と突っ込んだ。


明らかにおじさんから顔を背けるように通過しようとしていたOLさんには

「お、ついに健康管理で歩いて通勤な。感心感心。ばってん折角歩くならもちっと足ばあげて歩かんばいかんたい。したらついでにダイエットにもなるけんね。」

と、殊更に鬱陶しい。




苦笑いを噛み潰しながら、そこでやっと気付いた。



いくら少子化とは言え、おじさんと僕がこの横断歩道に立ってから百人近い子供達が通っている。


その、殆どの子をおじさんは知っているんだ。


全員の名前を呼ぶ訳じゃないけど、お兄ちゃんは元気かとか、バトミントンは続けてるかとか、爺ちゃんは退院したのかとか。


思えばたまに通るイヤホンをした高校生や大学生風は、言葉にはしないけど会釈はしていくし、通り掛かる車の窓越しに挨拶をしていくサラリーマンもいる。


このおじさん、全員知り合いなのかよ。


「何十年も地域におるとな、子供が育っていくのは楽しかとばってん、おらんくなっていく年寄りも多かったい。付き合いの長かジジイとババアの顔が見えんくなるとは寂しかね。まあ、おいもジジイばってんが。」


相変わらずおじさんは、通りの向こう側から声を張り上げる。


僕に話してるかどうかはもう分からないし、それはどうでもいいのだろう。


「ジジイばってんが、子供は守らんといかんどが。それしか年寄りにでくっこつはなかたい。事故で死ぬる馬鹿んごたる事は無くさんとあかん。」


もう一切僕を見なくなったおじさんは、道端で遊びながら歩いてくる小さい子供の為に、明らかにタイミングを無視して車を止める。


僕は、初めて堂々と黄色い旗を振っておじさんの反対側の車を止めた。


やがて気付いたおじさんは、多分その日初めて会った時以来に僕の目を見て、にっこり笑ってちゃんと聞こえる声を張った。



「もちっと早く旗ば振らんか。危なしか。」



予定は八時までだったけど、遅刻間際に走って登校する危なっかしいのがちらほら来るので、結局僕とおじさんは時間が過ぎても道端にいた。


その間もおじさんは、やれ二号店は十年以上やったけどずっと赤字だったから閉めたとか、感染症対策の補助金がいくら出たとか、聞いてもいないことを話し続けた。


僕はどうせ届いてはいない相槌を道の向こう側に適当に打ちながら、おじさんはどの位前からあそこに立っているのだろうとぼんやり考えていた。


会釈していった高校生や大学生。運転席から手を振っていった社会人の若者。
彼らが黄色い帽子を被った一年生の頃から、多分同じ場所でちょっと鬱陶しがられながら「おはよう」と「行ってらっしゃい」以外の声をかけ続けているはずだ。


僕が子供の頃、ダンプやトラックがばんばん通る田舎の通学路には、一方的に僕を知っているおじさんやおばさんが沢山いた。

そんな人達に怒られたり誉められたりするような、もうとうに無くなってるとばかり思っていた光景は、実は近所にまだあったんだ。


多分もう遅刻だろうという時間に、学ランの前ボタンも留めずに走っていく中学生を笑いながら見送ると、おじさんは道を渡って僕の所に来た。


「時間の過ぎとるけん。にいちゃんは適当に帰ってよかばい。今みたいなのがまだおるかも知れん。後はおいがするけんが。おつかれさん。ありがとね。」


旗を畳んで帰る時、おじさんが見えなくなる前に一度振り返った。


さっきまで僕がいた場所にひとり立つおじさんは、来るかもしれない子供を待って、誰もいない道端で黄色い旗を振っていた。



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さて。

小説ではないのだから、別に落ちも締めもなく話は終わる。


おじさんがたまに立っているのが分かったからと言って、僕の心配性が軽くなったりは別にしてない。


ただ、自分の想い出の中にしかないと、それが当たり前でそう言う時代なんだと勝手に決めつけていた物が、実はまだあったという事実は僕の住む街への印象を少しだけ変えた。


お伽噺だと言ったのは、そう言う意味だ。


書き終わろうとしている今も、それで合ってるか分からないけど。



そうそう。


途中で携帯を取りに行ったおじさんの車が、ピッかピカのレクサスだった事は、きれいなお伽噺の邪魔になりそうだから書かないことにしようと思う。





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