見出し画像

今世界で起こっていることを子供とどう話し合うべきか

戦争は昔の話であったか


ロシアがウクライナに侵攻した日、小学五年生の長女がテレビを見ながら「戦争を昔の話だと思ってた」と言った。
無理もない。戦争をリアルに知る機会は彼女の人生でほとんどなかった。
しかし、世界では小さな戦争はたびたび起こっていたし、今でもウクライナでは罪のない命が失われ続けている。

今回、ウクライナは国を守りきれるというシナリオを心から願っているが、そうなったとして、そうならなかったとしたら尚更、世界はまたどこかで似たようなことが起きるリスクを抱えている。それはもっと身近なところかもしれないし自分達の国が被害に遭わないとも限らない。

だから子供たちにはこの戦争(侵攻)を対岸の火事ではなく自分ごととして見てほしい。そう思って子供達とは話をしている。

第二次世界大戦後、アメリカとソ連という国を軸に冷戦と呼ばれる時代があったこと。ソ連が解体してたくさんの国に分かれたこと。非民主的な国を作っているロシア政権にとっては同志であった周辺国が民主化し西側に寄っていくことは都合が悪く受け入れがたいこと。故にロシアはウクライナに以前より手を出していたこと。今ウクライナでは国を守るために子供を含めた罪のない命、そしてウクライナとロシアの兵も亡くなっていること。直接的軍事介入ではない形で世界各国や企業、あらゆる人々があの手この手でロシアを避難し、経済的な制裁を加えて姿勢を示していること。それによって今度はロシアの国民も苦しい生活を強いられるであろうこと。等々

子供たちとは一緒に考え、問いかけるようにしている。
「自分がウクライナ国民だったらどうするか」「ロシア国民ならどうするか」「アメリカだったら、ヨーロッパだったらどうするか」「日本はどうするべきか」「今自分たちに何が出来るか」
子供達は最初は少し面倒くさそうにしていたけれど、少しずつ真剣に話をするようになり、子供なりの色々な意見、想いを話してくれるようになった。

今自分たちに出来ることとしてウクライナへの寄付があると知った時には、11歳の長女と6歳の次女はすくっと立って、走って自分たちのお金を取りに行った。子供達の少しの小遣いの中から自分たちの判断で長女は500円、次女は120円寄付したいと言った。親からのお金と合わせて振り込んで子供たちにも見せた。
その後長女はSNSで平和を願い募金箱を持つ女の子のイラストをアップした。次女は度々「もうお金届いたかな?」と気にもしていた。自分たちなりに戦争というものを捉えて、苦しんでいる人たちのために何かをしたいという気持ちが芽生えているということだと感じている。

本当に昔の話とするために

改めて考えると「戦争を昔の話だと思ってた」という子供の感覚は間違っていないと思う。軍事をもって他国を思い通りにしようというプーチンの考えはあまりに前時代的だ。この時代、戦争は誰一人をも幸せにはしない。ウクライナだけでなくロシアの国民も犠牲者になり、更には世界中の人々が負の連鎖に巻き込まれつつある今、この戦争が皮肉にもそれを証明してしまっている。

子供達を含む新しい世代は国や民族というまとまりだけではない、グローバルなアイデンティティを持っていると思う。ゲームをしていても動画を見ていても、いつでもネットで世界に繋がっている世界を生きている。友達に外国人がいる人も増えたことだろう。早くからSGDsという形で世界の問題に気付いており、世界中の人達で力を合わせないと明るい未来がないことを知っている。

その意味で、子供たちにとって戦争が昔の話だと感じるのは、身の回りに戦争が起きていないからだけではないはずだ。戦争を起こす一方的な正義やそれがもたらす不条理な真実に全く共感出来ないからだと思う。

だから、子供にはきちんと戦争のことを話し、自分の価値観でそれを理解し捉えてもらいたい。戦争は昔の話だと思っていた感覚はいつしか昔の話であるべきだという主張に繋がるだろう。本当に戦争が歴史の教科書上だけでの出来事になる未来を作っていって欲しいと思う。

少しでも早く戦争が終わり、ウクライナに、世界に再び平和が戻りますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?