見出し画像

なんとなく嫌だったものとサヨナラした話

なんとなく嫌だと思っていたものにサヨナラをする。
というか嫌だと思いながら持つなよという話なのだけれど、これは日常のどこかにあるような“壊れてはないんだけどちょっとなぁ…”であり、なおかつ”使えるには使えるので本格的に壊れたらにしよう…まだいける…な?”みたいな品の話だ。

わたしにとってそれは傘だった。


紫陽花がきれいに咲いていたのに、そこを歩いている自分がボロボロのビニール傘を持っているのがマジのマジで恥ずかしくて嫌になったのだ。
よし、傘を買おう。そう思ってからの行動はすさまじく速かった。職場について休憩の間に楽天やらAmazonやらを巡り巡って最終的になぜだかディズニーストアのオンラインショップで傘を買った。別にディズニーがめちゃくちゃ好きだったわけでもないけれど、傘の内側にキャラクターが描かれているのを見てこれにしようと思い立った。
どうせ外側の柄なぞさしているときには見えないんだから、と。

これまでも正直言ってボロボロ極まりないビニール傘を職場の傘立てに突っ込むのもちょっと恥じていた。
ちょっと恥じていたのに傘を買わなかったのは、己の貧乏性と、人生において憂鬱極まりない雨の日のためのグッズを取りそろえるのが嫌だったのもある。それでも雨が降れば「またこの傘とともにゆくのか…」と家を出る前にぼやくくらいには嫌がっていた。

その時点で買い替えるべきなのだけれど、まだ使えるのである。
破けているでもなし、傘の骨は暴風で少し曲がってしまっているけれど、傘の役割を果たす一点において不自由という不自由はなかった。
あと前にちゃんとした傘を買った際に、ニュースになるくらいの暴風でぶっ壊れてお金をかけるのを惜しく思ったのもある。
どうせ壊れるし、と。

そう、数週間前に、傘の留め具の部分がブチィ!とちぎれても、きちんと閉まらない以外の問題はなかった。
…いや買えよマジで。

しかしながらマジのマジに周囲にドン引きされて「それ、手取り?」と聞き返されるくらいにはわたしは薄給で、同じ職種の知り合いがいるような方々には「うそでしょ…?最低賃金ある?」とすら聞かれていた。(最低賃金はあるんだなぁ…これが)
そこから引っ越しの費用と敷金礼金の貯蓄をしているので、あまり身の回りの物―本を除く―にお金をかけたくなかった。つまるところケチっていたのだ。

あとそんなわたしのこころを育んだであろう母にも「まだいけるでしょ」と言われたのもある。
まぁ…、使えてるしな?と納得してしまったけれど、妹はドン引きしながら「本よりも傘を買えよ」と言っていた。ほんとそう。


とにもかくにも、一週間ほど前、ようやく―紫陽花のそばを歩いても恥ずかしいとも嫌とも思わない傘が届いたのである。


有難いことにレインブーツはあった。
悩みに悩んで買ったものの、履き心地がそぐわなかったらしい妹から、五千円で譲り受けたHUNTERのちょっとお高くていいブーツが。
(そんなに高いか?と思った方もいるだろうがこの家の靴の中でてっぺんを争う高級品である。)


傘を広げて、雨の下に降り立つ。―――QOLが爆上がりの瞬間である。


目を爛爛と輝かせる姉を見て、一緒に玄関から出た妹がどう思ったのかはわからないし、玄関からいそいそと―なんなら幼稚園児でももっと落ち着いているであろうテンションで、そわそわどころの騒ぎではないまま出て行ったわたしを見て母がどう思ったのかもわからない。

足元が濡れない。それだけで不快感はなく、それどころか広げた新品の傘の内側には!かわいいディズニーキャラクターがいる!

雨雲の切れ間は見えない。たぶんまだ梅雨は明けないのだろう。
妹は雨を煩わしそうにしていたけれど、わたしはなんなら両手を広げて歌い出しそうな気分だった。


やだなぁと思いながらもものを使うより、好きだと思えたもので身を包むことがこんなに大事だなんて。
好きな本をあんなにも集めても――部屋が狭くなっても不幸せではない理由がなんとなく、すとんと落ちた。
わたしはそれひとつ気づくのに莫大な時間を費やしていた。

よく聞く「買う理由が金額ならやめろ、買わない理由が金額なら買え」といったような格言を知っていても、実際そうはいかないことはままある。

外に出るのに恥ずかしくない程度の服を、そんなに好きじゃなくても買う。
それなりに見える服であればよかった――けれど、傘ひとつでわたしは気づきを得たのだ。

言葉を知っているのと、理解するのはまるで違う。

セールのカバンですら買うかどうかを迷うときもあるけれど、どうしようかな…と迷ったそれを、予算オーバーながら手にいれたわたしは、傘と同じようにそのフォルムや使い心地でQOLが爆上がりするのを感じている。
晴れの日に、お気に入りの服を着て。着心地のいいそれと、履き心地のいいサンダルで―そのカバンを持って紫陽花の横を通り過ぎて、その先に朝顔をみた。


傘ひとつ、カバンひとつで、人生の何気ない一日がしあわせになるのを、わたしはようやく―ちゃんと自分のこころで感じている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?