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令和6年に伊藤計劃『ハーモニー』を読んだうえで『虐殺器官』を読む

前回:

というわけで、伊藤計劃『虐殺器官』の感想文です。

※『ハーモニー』読了後に読んでいます。
 『虐殺器官』『ハーモニー』のネタバレを含みます。

『ハーモニー』にて「虐殺するための器官を生得的に持っているかのように精力的な虐殺」というものがアメリカを発端に起き、それが世界中に広がった末に「大災禍(ザ・メイルストロム)」となった旨が記述されている。
『虐殺器官』を読んでいなくても、『虐殺器官』における物語の顛末としてこのような結果が待ち受けているのだろうと想像することは容易だし、まあネタバレに近いのだが、『虐殺器官』というタイトルの物語が平和に終わるわけがないので、それはそうだろうなと思う。

私はゲームや物語媒体などで「本編中でフレーバー的に触れられた(設定上存在する)歴史や出来事、舞台などが続編で登場する」のが結構好きなので、作品を触れる順序が逆になったことで「大災禍」の発端となるであろう物語に触れられることに対してこれに近い感情を持つことになり、
結構ワクワクした。

舞台設定や「蛇喰らい(スネークイーター)」なんて呼称から、めっちゃ『メタルギアソリッド』っぽいなと感じたが、まあ間違ってはいないはず(著者インタビューでは『SNATCHER』の影響を受けているとある)。
そもそも私がメタルギアシリーズを遊んできていない(大まかな設定などは知っているが)こともあり、小島秀夫との親交があったことも知らなかった(メタルギアソリッドのノベライズを書いていることも)。
2000年代後半~2010年くらいとかだと、高校の部活周りの知り合いは
『メタルギアソリッド ピースウォーカー』を複数人で遊んでいた記憶がある。当時の自分には(潜入アクションというジャンル的に)難しいなと思って敬遠していた節がある。今は全然そんなことはないけれど。
今だとシリーズの作品がSteamとかでも売っていたりするので、小島作品はいつかちゃんと触れないとなぁと思っている(『DEATH STRANDING』も遊んでいない)。

……それらいくつかの連想される作品群や登場人物、舞台設定からも想像できるように、舞台となるのはやはり戦場で、それも内戦や紛争地帯である。
主人公のクラヴィス・シェパード大尉は米国の特殊部隊、しかも「暗殺」を請け負う部隊に所属している。

物語冒頭における暗殺対象の一人、内戦を主導する暫定政府の「国防大臣」は、虐殺を起こしている側なのに「なんでこんな虐殺が起きたのか分からない」という。
そしてもう一人の暗殺対象である、内戦から内戦を渡り歩く「ジョン・ポール」という男。彼の行く先々で虐殺が発生していく。
シンプルな名前でジョンなんて言われると「ジョン・ドゥ」だし、作中で『ゴドーを待ちながら』になぞらえられていたように、この男の実在性に疑問を持ちながら読み進めることになった。

結果として彼は実在しており、彼は「虐殺の文法」なる、人々の意識を潜在的に虐殺へ導く手法(虐殺が起こった諸国に共通していたことばのフォーマットを各国の言語に当てはめて蔓延させることで、無意識下に虐殺が起きる状況を作り出していく)を用いて世界の紛争地域に虐殺を強いていた。

彼が言うには、
アメリカがテロの標的になる前に、途上国の妬み、恨み、そういったものがアメリカに向く前に、彼ら同士で憎みあい、潰しあってもらおう。そうした意図で、途上国に「虐殺の文法」をばらまいている、と。
途上国の怒りがテロという形で我々に向く前にコントロールし、内戦によって自滅させてしまえれば、世界は「平和な国々」と「内戦と虐殺の地獄」に二分することができると彼は考え、実行し、実際にそうなった。

そして、虐殺により保たれた平和は名目上「徹底的な認証、監視社会の賜物」だとされている欺瞞。
「無敵の人」という概念が現れて久しいが、本当に捨て鉢になった人間は認証も監視も無視して自爆特攻してくるものではないのか。

まあ、ジョン・ポールの言い分自体は、多数の幸福のためには少数の不幸は仕方ない理論、と言ってしまえばよくある悪党のテーマなのだが、
彼がそうした「愛国心」とも言える信念のもとに虐殺を繰り返していたのに対して、クラヴィスは自身が犯した殺人への罪の意識に苛まれ、罪を背負う事への恐怖を感じている。
クラヴィスは、いわば空虚のうちに人を殺し、命令されて、生きるために人を殺し、制御された感情のままに人を殺している、という事実。
でも、母親だけは「クラヴィスの意志」で安楽死させた、という事実。

最終的にクラヴィスはジョン・ポールとは逆に、アメリカ以外の国の命を救うために、アメリカで、英語で「虐殺の文法」を起動させたと語ったが、当然その影響はアメリカのみにとどまらず、虐殺による混乱は世界中に広がったことが、冒頭でも書いたように『ハーモニー』にて示されている。

クラヴィスは「死後の世界」、「死者の国」に行きたかったのかもしれないね、と思った。
彼が夢に見る「死者の国」の風景と、ジョン・ポールが望んだだろうと想像した廃墟の風景を重ね合わせた際の「不思議な安らぎ」という感覚。
彼のことを気に掛ける母親の姿が現実から否定され、もはや彼の頭の中にしか存在しないことが分かった時の虚無。
その空虚にぴったりと嵌った「虐殺の文法」というピース。
私が背負うはずだった罪をみんなでおっ被って欲しい、と言わんばかりのカタストロフィ。

クラヴィスは「誰」に対して物語を語っていたのか?
他でもない自分自身に対して、言い訳するように、罪を語る。
そんな受け取り方をした。

その他、作品中で出てきた内容、『ハーモニー』と関連する要素について。


殺人に対する心理的抵抗感へ作用する感情のマスキング。
殺人に対する意思をコントロールするという点では「虐殺の文法」に近しいものを感じる。

環境の変化に合わせて、自分にとって最適な行動を選択することが「自由」であり、最適な行動を選ぼうとすることが「わたし」という意識を形作っている。
ならば、感情をマスキングし、取り得る行動や判断能力を目的のために調整することで、この「わたし」という意識が希薄になっていくことになる。
そして、全ての行動、目的に対して自明な「最適な行動」のみを取り得る状態となったとき、意識は完全に消え去ることとなる。
まんま『ハーモニー』でも触れていた内容だ、とすぐに思った。

『ハーモニー』が先に頭の内にあったので、『虐殺器官』における「総体として、システムとしての『人間』の機能」に踏み込んでいく内容がいくぶんか理解しやすくはあった。

『ハーモニー』だと何か金属のような液体のような、流動性を持つ物質が手足のように伸びていたりして、どことなく非現実的な、科学を超えたような「ザ・未来のSF」みたいな描写の印象が強かったが、
『虐殺器官』の場合は、どことなく現実と地続きでいて、その実ナノマシンや発展した機械技術による洗練された機能美のようなもの(「空飛ぶ海苔」なんて呼ばれるような真っ黒な直方体が空を飛ぶような、極力無駄を排したフォルムなど)を感じた。
人工筋肉をベースとした種々の機械の描写が生々しく、不気味だった。

一方で、あらゆる機器や交通手段に認証が必要とされ、行動履歴がつぶさに記録され、人の一生を容易にライフログ(作中呼称は「ライフグラフ」)化することもできる。これらの技術は我々の住む現代社会でも十分に実現可能な技術である。
能登半島地震の被災者に交通系ICカードを配布し、履歴から行動範囲などを辿れるようにする、といった試みも話題になっていたし。

ID認証で個人の全てが把握されるようになっているということは、
『ハーモニー』における健康管理社会の基礎は出来上がっている。


二冊読みまして、かなり重い読書体験というか、本を読み終わってからあれこれ考えたり関連文献を漁ったりすることが滅多にないのでかなり堪えたのですが、それだけ作品的にも重厚な近未来(もはや現代に片足入っていますが)SF作品たちでした。
映画のほうも触れたいし、影響を受けた作品群から気になって読みたいものも数多くあるので、しばらくは題材に事欠かなさそう。
まあ別に小説の感想だけを書こうとしている訳ではないのですが。
『屍者の帝国』も読むとは思います。

『ハーモニー』→『虐殺器官』と読むことになったうえでの感想としては、
「当然筋道は示されている訳だから読みやすいよね」という感じ。
ここも一長一短あるし、ネタバレを許容するかとはまた別の話題になってしまいますが、明確に続編みたいな繋がり方ではないし、「知っているとより深く楽しめるよね」系のフレーバー的な扱い。

凄くどうでもいいけれど、ハドソン研究所のハーマン・カーンを初見でハマーン様に空目したことをお詫びしておきます。
いや、ガンダムネタもあると思っちゃうじゃないですか。


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