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自己紹介のようななにか

はじめまして

ご覧いただきありがとうございます。作編曲家の後藤元信と申します。
この記事は自己紹介代わりに、これまでの人生、今できること、やりたいことなどを書いていきます。多少長くなりましたが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

プロフィール

2000年生まれ、埼玉県出身。
東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。これまでに作曲を寄崎諒、林達也、小鍛冶邦隆、渡辺俊哉の各氏に師事。
現在は現代音楽、吹奏楽、映像音楽といったさまざまな領域で、アコースティック楽器を用いた作曲を主軸に活動を展開している。
作曲の会「Shining」会長。

それでお前は何者なの?

上のプロフィールだけでは私のことなど全くわからないという方も多いかと思うので、自己紹介がわりに今日までの音楽人生について書いていきます。

〜作曲をはじめるまで

2000年1月3日、「一応」福岡県生まれです。本当に小さい頃に埼玉県に移住してそのままなので、周りには埼玉出身として通しています。
両親は音楽とは無縁の職業でしたが、姉が習っていたピアノ教室で「やりたい」と言い出したそうで、5歳からピアノ、そしてマリンバを習い始めました。

それから真面目に音楽の練習をして演奏家のプロ!……には当然なれません。何せ練習を全くしない子だったもので、先生には半ば呆れられていたと思います。週1でピアノとマリンバで遊んで、発表会はなんとか頑張って、たまに合唱の伴奏をして、みたいなやる気のない人間でした。

そして中学校に進学します。部活は吹奏楽を選びました。卓球部と吹奏楽部に同時に勧誘されて迷った末…というなんとも消極的な理由で。
部活はいわゆる弱小校。楽器はアルトサックスを担当しましたが、めちゃくちゃ上手くなったというわけではありません(宝島のソロをヒィヒィ言いながら吹いていた記憶)。しかし、この部に入ったことが作曲を始める大きな転機となりました。

その中学校の音楽室は2つあり、その間に音楽準備室がありました。そこには部活で使う吹奏楽曲のスコアがたくさん収蔵されています。当時の私は休憩時や部活終了後にそのスコアを読み漁ることに夢中になっていました。理由はわかりませんが、とにかくあの五線譜の束に惹かれ続けていました。

そんなふうに過ごしていると、「気が付いたら」作曲を始めていました。多分中2の頃。正確には覚えていないです。五線譜に音を書いたり、PCのフリーソフト(MuseScore)に譜面を打ち込んだり。朝日作曲賞にも応募しました。理論のりの字も知らないのによくやったものです(楽譜はもう残っていません)

その後も作曲を続け、中3になりました。ご多分に漏れず、高校選び、そして進路について考える時期になったわけです。その時に、漠然と「好きなことを仕事にしたい」という気持ちが浮かびました。ここで進路を決めるともう戻れなくなる、という迷いもありましたが決心して親に「作曲で音大に行きたい」と伝えました。ありがたいことに両親はそれに応えてくれて、音楽教室の先生の知り合いの作曲家に習うことになりました。

音楽理論には難解ながらも充実した世界が広がっており(和声は1巻がいちばん難しいです)、また自作にフィードバックをもらえるのが嬉しく、作曲のレッスンは毎回楽しんで取り組んでいた気がします。この先生には藝大受験が終わるまで習うことになり、今でも作曲の一番の恩師だと思っています。このことについては後述。
(↓中3~高1の時に書いた曲)

夏のコンクールは地区銀賞。たのしかったのでヨシ!そして受験期になりました。
音高に行くには準備期間が足りず(藝高は和声3巻レベルとさまざまな音楽スキルが必須です。すごい。)、また先生に「普通科に行っていろいろな経験をしておいたほうがいい」と忠告されたこともあり、高校は公立の普通科を選びました。

高校〜受験まで

高校入学。部活は迷うことなく吹奏楽を選びました。担当はパーカッション。マリンバを習っていたのもあって、鍵盤ばっかりやっていた気がします。
中学と違い、高校の吹奏楽部は演奏レベルが高く活動量も多い、忙しくも充実した部でした。顧問は一言でいうと「昭和の名教師」。今の時代としてはあまり受け入れられないこともありましたが(怒鳴られることもしばしば)、人としても教える内容も筋が通った人でした。

充実したこと、それ自体はとても良かったのですが、問題は「充実しすぎてしまった」こと。毎日が練習日で帰宅は22時になることもあり、土日もたいてい練習日。高校の勉強はそう簡単ではないから課題も試験対策もやって……なんて生活を数ヶ月続けると、

作曲が一切できなくなります。

作曲の先生に全く連絡を入れず、冬にA4用紙3枚に及ぶ心配の手紙がくる始末(本当にごめんなさい)。和声は中3で終わらせた1巻からまったく進まず、曲もロクに書かない体たらく。流石に「このままだとマズい!」と思い直し、2年春の定期演奏会を最後に吹奏楽部を退部しました。受験のためという個人的な理由にも関わらず円満に送り出してくれた部員の皆に本当に感謝しています。

ということでここからは本気に受験対策をします。とはいえ1年棒に振ったのもありペースは遅い方。先生には「1年の浪人は覚悟で」と言われていました。

勉強した内容は他の学生と変わらず、和声、対位法、コラール、ソルフェ、ピアノ、そして作曲。とにかく和声の進みが遅かったので、対面のレッスンとは別にメールで添削してもらっていました。
先生は本当に親切で熱心で、時にはメールの添削が午前3時に返ってくることも!この先生のもとでなかったら、私は藝大に合格できなかったし作曲も続けていなかったと思います。同時に続けていたマリンバのレッスンも心の支えでした。

作曲も再開し、室内楽と吹奏楽の2つのコンクールに曲を出して演奏されたり、受験対策にソナタやロンドを書いたり。マリンバの発表会で自作自演する機会もありました(演奏で人前に立つのは技量的にも精神的にも苦手なのでもうやりません)

室内楽のコンクールに出した曲

時間の確保と先生の熱心な指導のおかげで、多少作曲や理論のスキルはついてきたものの、藝大受験には不安がありました。過去問がある程度埋められるようになったのは1月になってから、コラールはほとんど手をつけられず、自由作曲も多くはこなせず。
高3冬の某音大の冬季講習では、「なんとか一次は抜けられるかもね」と微妙な表情で言われ、第2志望の音大に受かった際の成績開示ではなんと実技が合格者平均以下。「記念受験のつもり。落ちたら私立で頑張ろう。」という気持ちで臨んだのが正直なところでした。

とはいえいざ五線譜を前にすると頑張りたくなるのは事実。和声、対位法、コラールと、拙いながらもなんとか最後まで解ききり(藝大受験に関しては「最後まで書けなかったらその時点で不合格」みたいな噂があります)、一次、二次と合格。三次試験はなんと珍しくクラリネットとピアノのデュオ、しかも読み慣れたB♭管記譜指定!自分の土俵で戦うことができ、運にも助けられ四次試験へ。聴音のインターバルが想定よりも短かったりピアノ初見奏は誤魔化しまくったり……面接でもうまく質問に応えられず流石にダメかと思い重い足取りで家へ。

そして最終合格発表。
結果は……合格でした。
目標にはしていたものの、現実になるとは思っていなかった現役合格。1%の喜びと99%の不安を手に、大学生活が始まりました。

大学生活

そうして2018年4月より、藝大作曲科での活動が始まりました。
大学生活をまとめると、「精神的に一番苦しく、そして一番楽しい」時期でした。数多くの得難い経験をするとともに、何度も筆を折ろうと苦しみ、もがいた時期です。

作曲科に入って最初の出来事は、「現代音楽の洗礼」でした。
5月の演奏審査での2年生の先輩方の曲はどれも当時の自分の理解を超えていました。入学まで全く知らなかった音楽を浴び、わけもわからずに現代音楽のインプットを増やす日々。当時は「現代音楽はわけのわからない、聴いていて苦痛なもの」という固定観念があり、聴くのが辛かったのですが、新しい音に出会う面白さと多様な作品群に出会うなかで、少しずつ面白さがわかっていきました。

一年次提出作品。とにかくがむしゃらに書いていた記憶

作曲の面で一番大変だったのは2年の秋。2年になって急に変わった担当教員と見事に反りが合わず、そして優秀な同期や先輩と自分を比較してしまい、筆は止まり、レッスンにも行けなくなり、一時は退学も考えました。大学に入ると作曲の内容や技術について専門的に考えることが多くなり、必然的に「楽しければいい」というだけで書くことは難しくなります(周りからの評価もありますし)。何十回も作曲をやめようと思いましたが、作品を批判的に捉え、より良いものを生み出そうと藻掻く姿勢は、間違いなく今後の活動に活きているとも思っています(つらいものはつらいですが)

ネガティブなことを長々と書きましたが、全体的には人生で一番楽しく充実していました。作曲の機会がたくさんあったことも嬉しいですし、たくさんの学生と知り合えたことも良かったです。演奏会運営や裏方の大変さや面白さを知ることもできました。多くのひとと関わることで、たぶん中学生の頃よりは人と喋れる様になったと思います(相変わらず人見知りコミュ障ではある)

一番心に残っていることは、やはりモーニング・コンサートで管弦楽曲が演奏されたことです。高関健先生の経験に基づく的確な指揮(譜面の不備に厳しくも為になるご指摘もいただきました)、大変な譜面を3日で技術的にも音楽的にも仕上げてくださった藝大フィルの皆様、そして曲後に壇上から目にした、数多くのお客様の拍手……どれも心に深く刻まれています。きっとこの光景を思い出すかぎり、作曲は辞められないでしょう。

大学3,4年はコロナ禍もあり(我々は木曜コンサートが中止になったおそらく唯一の代です)、あっという間に卒業の日がやってきました。(色々ありまして)今後の生活について急に決めることになってしまったのですが、両親や先輩作曲家のアドバイスもあり、思い切ってフリーで活動することに決めました。
在学中から細々といくつか仕事はさせてもらっていたものの、まだまだ未熟な作曲家の卵です。これからどんどん経験を積み、さまざまな音楽を世に出すことができればと考えています。

どんな曲書くの?

音源や楽譜については、下記リンクよりご確認できます。
(公式HPの作品リスト)
https://gmcomp.amebaownd.com/pages/5894427/works
(YouTube)
https://www.youtube.com/channel/UCaUCkgNYiDiNRHhTn_31_Dw?sub_confirmation=1
(SoundCloud)

最近の創作では、音楽と「記憶」のかかわりについて考えながら、素材の反復、展開の手法についてさまざまな方法で探っています。モダニズムの時代には忌避されたこともあるこれらの要素(素材の反復、展開)は、音楽という時間芸術において重要だと私は考えています。
素材の提示→その変化を聴いてもらいたい作品が多いです。「風景が次第に切り替わっていく」ような表現を最近は多く取り入れています。そのあたりに着目して聴いていただけると嬉しいです。
音響の興味については幅広く、さまざまな手段を用いています(調性ー無調、楽音ーノイズなどのさまざまな関係性の音を、その時々に合わせて使い分けています)
詳細はまた個別記事としてnoteに書こうと思っています。

何ができるの?

私がメインフィールドにしたいと思っている活動は、ざっくりと言うと
「譜面を書く」仕事です。

現代音楽から実用音楽、ソロから大編成、作曲も編曲も、さまざまな分野で楽譜を書くことを主軸にやっていきたいと考えています。

現時点で自分が多少得意にしていることを挙げると、

・ジャンルや書法に縛られない、広範囲での創作
現代音楽の創作から調性的、親しみやすい作風と、さまざまな曲を書いてきました。編成もソロからオーケストラ、オーボエアンサンブルやバリ・チューバ八重奏などさまざまに書いた経験があります。今後もさまざまな作編曲に取り組みたいと思っています。

・大編成をあまり苦としない
吹奏楽部出身ということもあり、大編成の曲を書いたり見る機会は多く、吹奏楽、管弦楽と大きな編成のオーケストレーションをするのが好きです。

・コスパよく読みやすい楽譜制作
Sibeliusを中心に(Finaleも持ってます)長年楽譜ソフトによる譜面制作をやってきました。またさまざまな実演機会に合わせ、多くのパート譜を作成した経験があります。自分は「ある程度読みやすい譜面を素早く作る」ことに関しては人より得意だと自負しています。急いで、かつ大量の譜面を制作する必要があった場合お声がけいただけると嬉しいです。一方で「美しい浄書」としての譜面制作についても、現在専門家に習いながら勉強しています。

などが挙げられるでしょうか。
一方で苦手にしていることもあるため(DAWでの制作、録音、録画、執筆など)、これらについても今後勉強や経験を積んでいきたいと思っています。

何がしたいの?

ここでは現時点(2022年)時点で興味のあること、やりたいことを少し書きます。

1. 現代音楽の創作を続ける
大学時代から行ってきた現代音楽の創作を今後も続けていきたいです。自由に自分の書きたい、目指したい音を追究することは、一生止めないことを目標にします。

2.吹奏楽と芸術、教育との関わりを追究する
自分が作曲を始める原点となった吹奏楽。非常に多くのひとが関わる、今も重要な分野だと思っています。
一方で、「芸術的な発展に乏しい」「コンクール文化の限界」など、多くの課題を抱えていることも事実です。私は作曲を通して、「吹奏楽の芸術的可能性」「今の時代における吹奏楽教育に必要なもの」などを探っていこうと考えています。
活動の1つに、作曲の会「Shining」があります。さまざまな背景をもつ若手作曲家による、吹奏楽の作曲を主軸とした団体です。年1の作品展など行っていますので、応援いただけると嬉しいです。

3.様々な曲を書けるようになる
私の高校時代の作曲の先生は、今はゲーム音楽をメインフィールドとしていますが、クラシックからポピュラーにわたる様々な書法を使い分けることが得意で、そのことを当時から尊敬していました。また最近は現代音楽の作曲家がポピュラー音楽、映像音楽で活躍されるケースも多く、「多様なジャンルで書ける人」に対する尊敬の念があります。
私も様々な分野、様々な場に応じた作曲ができるようになることを目標にしています。勉強を怠らず、そしていろいろな分野への興味を絶やさないことを大事にしていきたいと思います。

おわりに

長い文章(ここまで約6000文字)を最後までお読みいただきありがとうございました。これからもnoteでの発信を続けてまいりますので、もしよろしければお読みいただけると有り難いです。
今後とも何卒宜しくお願いいたします。

後藤 元信


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