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「はたらくこと」の輪郭

私にとっては「はたらく」ことに輪郭があって、でも、その輪郭を形作るものは、人それぞれ違うみたいだ。

はたらくこと、を見つめ直して自然と思い出されるのは、大学3年の時の1回目の就職活動と、2018年度にやった2回目の転職活動だ。
当時、大学3年の私はサークル活動とか大学生活を満喫するのに一杯で、はたらくイメージを何一つ持てないまま、ただ漠然とサラリーマンというものに対して不安と、恐怖を抱いていたように思う。やりたくもない仕事、長い拘束時間、自分自身の好きなものや好きなことは抑圧され、そこに自己表現はなく、ただ仕事に閉じ込められる日々。
ステレオタイプなのかは分からないが、焼き鳥居酒屋のバイトくらいしかやったことのない自分にとっては、その程度の見識と想像力しかなく、また、何事においても自己肯定感が低かったためか、どこにもいけない気がずっとしていた。

当然、そんな前提をもっている人間を採る企業は、そんな前提をもっている人間を採る余裕のある企業は世の中にはいなくて、苦戦する大学生の1人として一つの企業から内定をもらうのがやっとだった。
ただ、その企業から内定をもらったことはありがたかったし、自信にもなったけれど、その時考えたことは”10年後に「ここでなにやってるんだろう」と思ってしまうのではないか”という恐怖感だった。

内定をもらった企業はBtoBのメーカーの営業職だったけれど、なんとなくで選んだその会社も、文系だからと選んだ営業職も自分からずっと遠く、時間が経ったとしても自分の外にある気がして、結局お断りと共に学部からそのまま心理学の大学院に行ってしまった。それと同時に、そこで初めて自分のはたらくことの輪郭の一端が垣間みえて来た。
つまり、自分にとってはたらくことは自分に近いこと、自分が「それ」と共にあるものでなければならなかった。

その気づきの後、それまでに自分で明確に好きだった「つくること」にフォーカスして、大学院生の時にITベンチャーでアルバイトをしたり、プログラミングを勉強することを経て、大学院卒業と同時に老舗ゲームメーカーに文系のプログラマとして入社する。

紆余曲折、その会社での多少なりの波乱万丈があって、2016年度の冬に1度目の転職活動、そして2018年度の冬に2度目の転職活動をした。
理由は自分の中で二つあって、当時の環境では、
・(それなりに激務だったので)身体がもたない
・自分の力や知識を磨いて行く上で、会社の方針と合わなくなっていた
というのが大きかった。
一度は大きな異動が予期されていたから、残留を選んだけれど、その結果より自分自身が依るべき方針と、会社の方針が乖離していくように感じられ、結局転職することを選んだ。
つまり、自分自身が仕事をする上で、自分がその方針に共感や納得し切れない限りは、そこでの「はたらくこと」の輪郭は形作りきれない。もう一歩いえば、その会社と共にあゆむ覚悟が持てない限りは、そこで「はたらく」のは自分にとっては難しい、ということだ。

幸いにも、今在籍している会社はこれまでの気づきの中で得た自分にとっての「はたらくこと」の輪郭を保つ上でマッチしていると思う。入る前に思っていた以上に、そうだと思う。

改めてそういった経験を振り返ってみていくと、自分にとっての「はたらくこと」、その輪郭は、
「自分自身が好きだったり、やってて苦じゃないと思う方向性のもの」
であり、
「仕事において自分自身の力を磨き続けていこうとする時に、それを後押ししてくれる環境」
であるものが形作っているのだと思う。
「誰かの役に立つこと」とかではなく、極端に言えばきっと私は、自分自身のために働き続けているのだと思う。

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