今、日本人の心を掴んで離さないコロナ。 アレがない、コレが足りない、その先どうするの?どうなるの?とあっちもこっちももちきりです。もはや大人気。 そんな中での私のある意味楽しみとなっているのが「その後どうなるのか」ということ。 人間の脳の機能として「忘れる」というものがあります。それは人間の心を保つため、生きていくために備わっているもので、そうなっちゃうんだよねー的なもの。 「楽しみ」と表現すると、ちょっとおかしいのかもしれないけれど でもさ 振り返るとかなりの事象
ウイルス、ある程度落ち着いたらまたみんなこれだけ騒いだことを少しずつ忘れるんだろうな。。
いやー、マジ凄いですねー。 マスクの次はトイレットペーパー、その次は米、その次は何?体温計?ゴミ袋?どうなってんの? 次から次へと関係あるのかないのか分からないものまでもがスーパーの棚やネットショップから消えていく。 トイレットペーパーは日本シェアだし米だって天候悪化の不作でもないし体温計って家にない?ゴミ袋、、、 本当は足りてるはずなのにね。 「なくなったらどうしよう」「手に入らないかも」⇒つまりは 結果「足りない」に直結する。 これは情報過多でそれをどのくら
足るを知ることよりも 足らぬに勝るものはなし。 (。。なんかめちゃしっくりくるー) 続きはnoteで。
PTAで「弁当の日」というテーマの講演会に行ってきた。 テーマから想像するのは「お弁当を子供たちに」的な親の愛情、栄養バランス、見た目とかの内容に思えるが、これが想像を覆すとても深い内容だった。 講師は竹下和男氏。香川で教員、校長先生を長きに渡り歴任。在職中に「家族団欒」に着目、こどもが食に携わる「弁当の日」を始める。その後、メディアに取り上げらるなど2000回を優に超える全国での講演活動へ。 単純に、お弁当を作って、その大変さを知り、親に感謝しましょう。とい
子育てをしてきて20年経ちまして。 それを下の子が15だから被った年数は、単純計算だと20年。 がしかし、子供それぞれの年数を被せずに計算すると私の子育ては20+17+(15×2) 改めてその時間を考えると気が遠くなる。。 まぁよくワンオペでやってきたものだ。と流石に褒めたくなる。そして、まだまだ子育ては続くのかと思うとちょっと
「習慣」 あなたがしていることは「習慣」にしたいこと、したくないこと、どっちでしょうか。 なっていたら心地よいですか?悪いですか? 習慣化することには2つあります。
「自信」 あなたが思うことに自信があったらあなたは何をしていますか?自信がなかったらそれをしないでしょうか。 自信、って
ということでnoteを始める2020年よろしくお願いします