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「ロダン早乙女の事件簿 FIRST・CONTACT」 第三話

 私は、やっと自分の話ができると思い、座り直して津野神記者をしっかりと見た。

「それは無意識を対象とする精神分析的心理学のことを言います。一般的な心理学では、意識をもってなされる、知覚、記憶、思考などを研究します。
つまり主に客観的な観察が重視されるのです。これに対して深層心理は、意識よりも意識されることのない無意識を重視します。それというのも、意識は無意識によって明らかにされるものだからです。」
 
 これが、立て板に水というか、得意分野の連発銃とでもいおうか、周りが見えないかのごとく止まらず話し続けた。

「つまり、何気ない相槌(あいづち)にも似たような言動や行動が、隠そうとする意識に抗(あがら)い続けた結果、それが表される意識を意識ではなく無意識として表したもので、表層ではなく深層を研究しようとする精神分析のことを深層心理と言います。」
 
 津野神さんは、少し顔をやや上に向けて、左右の眉毛を絞るように左目でウィンクするような顔になっていた。なにか先ほどのお返しではないのだが、津野神さんの話を聞いていた自分がそこにいるようだった。

 しかし、この時は、夢中になっている私にはそれを考える余裕はなかった。
 
 津野神さんはぱっと両目になり、目線を下から上へあげたかと思ったら、また下へ落とし自分のペンを見ながら話した、

「つまり、本能でございますか。」

 私は間髪を入れずに、否定した。

「いいえ、全く違います。本能とは動物が生まれつき持っていると想定されており、ある行動へと駆り立てる性質のことを意味します。」

この時、傍にいた伊藤さんの目が細くなっているのに気が付いた。横目で見ると私の説明に異議を述べたいようだった。しかし、そんなことはお構いなしに続けた。

「本能は、現在の研究においてはほとんど用いられなくなっており、類似した概念としては進化した心理メカニズムや認知的適応などの用語が用いられます。」

 すると、津野神記者が左手を私の前に出し、すみませんと言って話を制した。このまま続けられると、メモをあとで見ても分からないですよと言わんばかりであった。

「すみません。ちょっと専門的すぎて、少し整理させて下さい。取り敢えず本能とは違うということですね。」

「そうですね。現代脳科学では、記憶や五感からの刺激が神経インパルスの発火となります。そして次の行動へとつながる源泉となることを解明しています。しかし、本能と説明するとその前後の関係をなんら説明できません。したがってですね・・。」

 とうとう、伊藤さんがしびれを切らし、
「教授。」
話の途中だが、いつもの伊藤さんの教授が飛び出した。

「自分の中に入りすぎていると思います。研究成果の発表ではありませんので、論文で発表した具体的な事例でご説明なさったら如何かと。」

 いつの間にか前を見ると、津野神さんが先ほどの自分と同じになっていることにやっと気が付いた。そう津野神さんの説明が意味不明と思っていた自分が目の前にいた。伊藤さんに自分勝手な考えを見透かされたみたいでとても恥ずかしかった。
「伊藤さんの言う通りですね。津野神さん、申し訳ありませんでした。ついつい専門分野の説明になると周りが見えなくなってしまいまして。」
「こちらこそ、すみません。頭が悪いものでなかなか理解が追いつかなくて。」
津野神記者は、うつむき加減にペンを持ち直し、ノートの新ページをめくり、メモを再開しようとしていた。そして、顔を上げてこちらを見た。
「それでは、助手の方が仰って頂いたように、発表された論文についてお話しを頂いても宜しいでしょうか。」
私の気まずい思いをいっぺんに吹き飛ばしてもらったような感じだった。伊藤さんのナイスフォローはいつものことだが、それに、プロの記者は取材対象を大事にされているのが分かった。記者の取材ってテレビドラマで見るより繊細な人が多いのだなと思った。
 
そして、私は、気を取り直し、話し始めた、
「論文は、ある犯罪者の深層心理を読み解く方法で、枝分かれする前の根本を追究し、一つの法則から読み解いたもので、そこから立証したものです。
そして今後色々なケースの犯罪に基本的な道筋を与えるものと思っております。ある意味、FBIのプロファイリングの特殊編と思っていただければよいのではないでしょうか。」

「特殊編ということは、プロファイリングとは違うのですか。」

「そうですね、違います。」

「こちらから言っておきながら恐縮でございますが、本題に入って頂く前にその違いを教えていただけませんでしょうか。」

「分かりました。その違いは根本的な段階でのアプローチです。」

「アプローチですか。」

 それではここでその違いを説明しよう。
(まず、プロファイリングとは異常犯罪の犯人像の分析技法というもので、主に、現場に残された状況をもとにしています。つまり、その状況を統計的に整理し、それを培った経験や犯罪データを元に心理学の面から犯人像を推理し、人種・年齢・生活態度などを特定していくもので、統計的な側面が大きく関わってくるものです。しかし、深層心理学は、その統計的なものの中に潜む、無意識的な行動を意識的に判断しようとしていくことであります。)
 
 津野神さんはこれには頷(うなづ)きながらこう言った、
「なんとなく理解してきたような。チョットだけですけど。すると、その法則が今後の全ての犯罪捜査に役立つと言うことですね。」

「はい、私自身はそのように考えています。しかし、捜査関係者には最初中々受け入れてもらえなかったのが実情ですね。」

「最初というと、最後には受け入れて頂いたということですか。」

「いやあ。事件が解決したことを考えればそうかも知れません、ということぐらいですかね。警察には、未だに足で稼いでいくらと言う考えが根強いですから。」

「確かに、旧態依然とした体制が支配されているのが警察組織であり、新しいものが入りにくい世界ですから。その辺は取材などで感じております。良くも悪くも大きな組織は変革が難しいですから。」

「そうですね。ただ、常に使うことはないかもしれませんが、事件解決の一つの指針になったのではないでしょうか。というのも、今では私に意見を聞いて来られる方もおられるので。」

「お話しされていることが、少しだけ理解できたような気がします。では、その解決された具体的な事件のお話をお願いいたします。」

私は、秘密保持の観点から表に出ているものに関する内容になるのと、実名ではなく論文と同じように、AさんBさんで書いていただきたいとお願いした。

津野神さんは、少し訝(いぶか)しげな様子で、裁判になったのであれば実名であってもよいのではないでしょうかと話された。しかし、確かに、裁判は公開なので、法廷では実名ですが、何もかも公にすることはないと考えています。

 というのも、現在、罪を償っておられますので、今更、事を大きくすることもありませんし、何卒お願い致しますと話した。

「分かりました。一筆書いてお約束致します。」と快く承諾してくれた。

「伊藤さん。資料を持ってきてもらえるかな。」
 彼女は、奥の書棚に向かい扉の鍵を開け、上の段の左側からファイルを抜いて持ってきた。ファイルを開き、私は意気揚々と話し始めた。

「今から、約一年前の令和三年一月二十日のことです。午後のオンライン講義が終わったあとの午後三時半頃でした。葛飾中央署の佐々木優〈ササキ ユウ〉さんと言う刑事さんから連絡を頂き、ある方に関してご相談がありますとのことでした。」

「その刑事さんはご友人ですか。」

「いいえ、友人というほどではありません。ある犯罪者について被害者への殺意が不明なため、助言を頂きたいとの依頼を引き受けた時に、二度ほどお会いしただけです。久しぶりの連絡だったのでビックリしました。この時は、はっきりと顔が浮かばないぐらいの方でした。」

「どのようなご相談だったのですか。」

「大学の同じサークルだった人のご相談で、その人の亡くなった叔父さんに関する件でした。」

「殺人事件ですか。」

この方にとっては警察と聞けば殺人事件に絡めてしまうのだと思った。腰を曲げて上半身を前のめりにして、さあ話して下さいという体制であった。
「いいえ、その時は、遺言書に関する件でした。」

「遺・言・書、ですか。」

 なあんだという感じで前のめりの姿勢から背中をソフアにつけた。遺言書ということは、殺人というよりも民事事件の範疇じゃないかと。興味がいっぺんに失せたような顔をされていた。

 しかし、私の次の言葉でまた前のめりになった。
「その時はとお話ししたように、その後、複雑な殺人事件へと発展していきました。」

 彼女は目を白黒させながら、メモ用紙に目を向けてペンを走らせた。残念なことに速記体のため何を書いているのかはさっぱり分からなかった。

「どのような内容だったのですか。」と興味津々という感じだった。

 しかし、ふと思ったのだが、この人は私の取材なのに下準備として論文を読んでこなかったのかと。もしかすると、私のプロフィールも調べていないような気がした。

 帝央大の若き教授のインタビューだからそのタイトルだけで興味を持つ人がいるだろうし、レアな人かもしれないが、ある一定の人には受けるだろうということかなと思った。
  
 少しがっかりという感じだが、自分の分野の話だし、これから発展していく内容に自分の中でのわくわく感から、何も知らない人の方が話しやすいかもしれないと思った。
 
 まず、佐々木刑事から一度その友人とお会いしてほしいと言われたので、後日お会いする約束をしたことを話した。


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