やさしい手のつかいかた
一番下の娘が幼稚園のお友達を叩いてしまったと先生からお話があった。 (夏休み中は、幼稚園の預かり保育を利用しています。)
娘が最近少し荒れていて、手が出てしまうことがある、気候がよくなくて外遊びができていないのもあってストレスが溜まっているのかもしれません、 というお話だった。
帰り道は、相手の子どもや親御さんに申し訳ない気持ち、親として不甲斐ない気持ち、どうして、なんでなの、色んな感情がごちゃまぜになる。
このごちゃごちゃの感情のまま、子どもに伝えても 、その場で子どもを屈服させるだけの叱り方になってしまうことは、今までの経験 反省からとてもよく分かっている。
暴力は絶対だめ!ちゃんと言葉で伝える!
叩かれたら痛い、悲しい!
お友だちには優しくしないといけない!
そんな言葉は、もう数え切れないくらい言った。
理由を説明したり、強く厳しく言ったり。
暴力してしまうことが許せなくて、きつく言って泣かせてしまうことだってあった。
引っ込み思案で、言い返すこともできなかった幼少期の私と違って、娘は何でもはっきり言うタイプ。
小さな身体に収まりきらない程のエネルギーを持っていて、6つ上の兄とも対等にケンカしようとする。
娘に限らず 自分の子どもたちが、自分のいないところ、コントロールできないところで、誰かに何か害を与えてしまうのは怖い。どうにか変わってほしい、ちゃんと伝わってほしい、そういう思いから強く叱ることがある。
ただ4歳の娘はもう、叩いてはいけないことくらい分かっている。
叩かれた時の痛くて悲しい気持ちだって知っている。
でもわかっているからできる、知っているから我慢できる、怒られるからしない、理性のきく大人と違って子どもはそうはいかないようだ。
家に帰ってから私の中の感情が落ち着いてきたタイミングで、娘が抱っこをせがんできた。娘を抱き上げ腰に抱いて、
「娘ちゃん 、ママにお手々見せて?」
そう言って手を差し出すと、娘は私の手のひら半分ほどの大きさの手を 私の手の上に重ねて置いてくれる。
「娘ちゃんの手はどんな手かな? お友達叩いちゃう手かな? それとも小さな可愛い手かな? それとも優しい手?娘ちゃんの手は、どんな手だと思う?」
少しの沈黙の後、
「…優しい手。」
娘が自分の手を見つめながら そう呟いた時、私はほっとした。 ちゃんと素直に優しい手だと思える心があるとわかって ほっとした。
「そっか、そうだね。娘ちゃんの手は優しい手。 ママが疲れてる時 マッサージしてくれたり よしよししてくれたり お人形さんや動物のお世話をしてくれる優しい手。この手は優しい手。誰かを嬉しい気持ちにできる優しい手だよ。 忘れないでね。」
この言葉がけがこの子にどれだけ伝わっているかはわからない。だけど、今日から日々伝え続けることで娘の中にいい思い込みがつくられるんじゃないかなという期待はある。
「うん、わかった。」
手をぐっぱぐっぱして見ている娘をぎゅっとして
離れた後、
(じゃぁ私の手はどんな手だろう?)
そう思って、考えてみた。
生まれてから ずっと一緒なこの手。
「ビンタされたら痛そう(笑)」
友人や同僚に何度かそう言われたように、
女性としては大きな手。
可愛らしい手ではない。
でも私の手だって、優しい手だ。
誰かに愛を伝えられる手だ。
慌ただしい日々を思い返す。
自分や誰かのために、美味しくなれと願いを込めてお弁当や料理をつくることができる優しい手、
自己満足だと言い聞かせながら、それでも誰かのためにと余分に仕事を頑張る優しい手、
もうどのくらい一緒にいられるかわからない 年老いた愛犬の身体に、ありがとうを込めてそっと撫でられる優しい手、
あの時泣きそうだった友人の肩を抱きしめ、さすることができる優しい手、
子どもたちの頭を撫で、抱きついてきた子どもたちを受け止めることができる優しい手、
毎日こなす当たり前の中に、たくさんの優しさを込めていた自分に気付く。
そっか、私のこの手は、ちゃんと優しい手。
人生で、
こんなに自分の手を愛しく思ったことはなかった。
手入れだってしてない。
仕事柄、爪だってギリギリまで短くしている。
指だってすらっと長いわけじゃないし、
ネイル映えするようなきれいな形の爪を持っているわけでもない。
ふと目に入った見知らぬ女の人の手が羨ましくなるような、どちらかというと不格好な手。
それでもそうやって、生まれてからずっと誰かのために頑張ってきたこの手が誇らしい。
それに今日、気付くことができた。
だけど、この優しい手をいつも優しく使えているかと聞かれたら、答えはNOだ。
『優しい手に相応しい使い方をしよう。』
そう思った。
その夜。
いつもは子どもたちを早く寝かせることに必死で、汚れが落ちればいいとざざっと洗っていた子どもの髪の洗い方が自然と丁寧になった。
自分の髪を乾かすその手の使い方は、
がしがし じゃなくて さらさら。
ふとした時に、自分の手を見て湧き上がる
この手は優しい手なんだ、って
誇らしくてじんわり嬉しい気持ち。
ただありのままの 手を 愛でよう。
あなたの手は どんな手かな?
ビジュアルがどうであれ、
きっとみんな 優しい手。
愛ある手。
気付いてないとしても、
必ず誰かのために、何かをしている。
優しくて、すてきな 手。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんの毎日が、幸せでありますように。
Ao(あお)
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