ラテン語の本など

いつかの読書記録 「教養としてのラテン語の授業」 ハンドンイル著 ダイヤモンド社 2022年

気づけば4月も終盤。カントを読み終わっていないのに司馬氏の本ばかり読んでいた。読書記録もなかなか続かない。

できない理由ばかり探しても仕方がない。(´;ω;`)

今月の頭くらいに、「世界はラテン語でできている」(ラテン語さん)という本を読んだ。ラテン語の説明のみならずラテン語にまつわる古今東西の話があり、面白かったのでラテン語関係の本を読んでいる。

 人の思考の土台は言語だと思う。逆に言葉を知ることによって思考が形作られることもある。世界の古典を学びたいと思ったりした。

「世界はラテン語でできている」で印象的だった言葉は

「賽は投げられた」 運命を受け入れる姿勢がわかる

「私はキンキンナートゥスのように畑に戻る」 人はいかに無欲的であるべきか

「私が完全に死ぬことはないだろう」 後世でも自分の作品が人々と共にあることに満足して死ぬ

どの言葉も潔い。

また自由の女神像が如何なる意味を持っているのか、ということが分かった。当時のアメリカの本質がわかって興味深い。

「教養としてのラテン語の授業」

ラテン語がいまいちどういう言語かはわからないけれど、この本はラテン語の謙虚で人生に寄り添った言葉が多かった。

私が前の本から得たラテン語像とは少し違う。

この本を読んで、とにかく自分が価値観の奴隷になってはいけない、他人が作った価値観でも、自分が作った価値観でもそれにとらわれないようにしなければ、と思った。数字が人の作った仮想概念である以上、それで自分の人生を測らなくていい。昨日の自分より成長して、学ぶときは謙虚になって弱点を受け入れる。
川を渡り終えたら、舟は川に置いていかなければならない  (p62)

という言葉でこれからも迷い続ける人生であったとしても時には思い切って何かを捨てなければいけないかもしれない、と思う。

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