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畠山和也 代表取締役、若者が未来に希望を持てる社会を創るため、企業の教習所を創る

「会社員としては生き残れない」から起業しただけ。結果論、その判断が当たった。

CEO PROFILE
畠山和也(はたけやま かずや)氏
1981年生まれ、神奈川県出身。2014年11月本気ファクトリー株式会社を創業。

経歴
2005年 早稲田大学商学部 卒業
卒業後は、ソフトバンク・リクルートという大企業及びスターティアラボ、ラクスルというベンチャーで約10年新規事業に携わり、2014年に独立。「若者が未来に希望を持てる社会を作る」という個人ミッション実現のため、博報堂や三井不動産などの大企業内での新規事業開発を支援する傍ら、自ら複数のスタートアップの役員・株主として働く連続起業家として新規事業創出に携わる。
2014年 本気ファクトリー株式会社 創業

ー 起業家になろうと思ったきっかけ

少し過程を省略した回答になりますが、大学の進路について考えていた高校生の頃「次の世代まで受け継がれるような大きな価値を創り残していくためには何をするべきか」ということを、考えていました。その中でたどり着いたのが「教育」です。その「教育」で最善を尽くそうと考えた時、最終的には「制度設計」をしっかり作らなければならないと考え、制度設計をやっているのはどこかと考えた時、辿り着いたのが当時でいう文部省でした。そして、文部省で力を持つには、東大に行って事務次官にならねばと考えました。

ということで、東大を目指し死力を尽くして勉強に取り組みましたが、結論、東大への入学は叶いませんでした。東大の二次試験の結果が判明した後に入学金を入れることができるという理由だけで早稲田大学の商学部を選びました。一般に早稲田大学への入学というのは受験生として成功と見なされることだと思いますが、私にとっては高校生活を賭けて取り組んだ目標を諦めることが確定した出来事でした。その後、独立に失敗したり、13億円ほどの詐欺被害にあったりしていますが、自分の肌感としては未だに人生で一番大きな挫折です。

その挫折の影響から、うつになり学校へ行けなくなる時期が続きました。ですが、たまたま入ったのが商学部であったのは今考えると良いことでもありまして、当時はweb1.0の時代、ベンチャーブームでした。サイバーエージェントの藤田さんや、ライブドアの堀江さん、ソフトバンクの孫さんが世の中で大きな存在感を放ち、ITで世の中を変えて行こうというムーブメントが起きていた頃でした。その時、こういう方向で世の中に価値を提供する方法もあるのだなと思い、いつか必ずこの道で独立しようと決めました。
そのために、まず特化したスキルを身につけようと考え公認会計士を志しますが、同時期に父のリストラがあり、資金的な理由から断念し、就活をしたのが私のキャリアの始まりです。
独立のイメージはありながらも、ソフトバンクBB社への入社からリクルート社への転職など、会社員としての経歴は続きました。リーマンショック時にリクルート社で早期退職の募集があり、その時に、これはもう社会に「独立しろ」と言われているのだと思い、独立しました。ただ、初めての起業はうまくいかず、再度会社員をすることになりました。その後、色んな事業や企業に携わりながら、ラクスル社で新規事業を担当していた時に、改めて「独立しよう」と思い、再度起業したという感じです。

ー 2度目の起業に関して、独立しようと思ったキッカケはなんだったのでしょうか?

会社員としての限界を感じた、というところでしょうか。当時30代前半くらいだったんですけど、自分の納得感が無い仕事だと仕事のパフォーマンスが驚くほど落ちます。仕事をする上では不便極まりないので変えようと苦心しましたが、叶わず。残り40年ほど働くと考えた時に、続けるのは無理だなと思いました。独立しようという思いが強かったというよりかは、ダメならダメで仕方がないので、やれるだけやってみようくらいの気持ちで始めました。一方で、一応起業の準備はしていまして、副業としてですが、月に数万円くらいは稼いでいました。貯金も全然なかったんですけど、最悪アルバイトでもすればいいかと思い、とりあえず起こしたという経緯です。

ー 起業において、何か刺激を受けたことや人物はおられますか?

ラクスル社に勤めていた頃の上司が、新規事業家の守屋 実さんなのですが、彼の影響はとても強く受けていますね。新規事業開発のノウハウもそうですし、考え方などあらゆる面において影響を受けています。今展開しているサービスの内容は、もちろん私オリジナルのものもありますが、守屋さんのスパイスも間違いなく入っています。

ー 社員の共通点はありますか?

社員のことを表現するなら、「自分のために成長し続ける、自分の頭で考え自分でトライして、成長していくということを一番大事にしている人たち」でしょうか。
社会に出てからがむしゃらにやっていれば、20,30代で一通り一人前になるかと思います。ただ、そこから70歳まで働くとなると、30歳からでもあと40年もあります。今のスキルのまま行けるか?となると、難しいですよね。日々成長をし続けないと世の中が変わっていってしまうので、そこに対して危機感を持って成長し続けないと、自分の人生の後半がひどくなるということがわかると思います。
30歳を超えてくると、家族ができたり、親の介護が始まったり、仕事だけを一生懸命できる環境ではなくなったりもしますが、できるうちに将来を見据え、自分のために成果を出し続ける、ということにエネルギーをさけるかは大事なことだと考えています。
なので、社内では「やるべきと思うことがあればチャレンジしなよ」というスタンスです。うまく行かなかったら別のやり方を試せば良いだけです。
チャレンジしたい人にとっては、すごくいい環境だと自負しています。ただ、チャレンジしたくない人にとっては苦しい部分もあるかなと考えています。自分で自分を成長させる、変化させるという空気感があるので、同じ段階に踏みとどまろうとすると、居心地が悪いと思います。

ー 今後の目標はどうでしょうか。

短期的な目標は「起業の教習所」の研究が必要なので、そのための余力を作るということです。どうしても研究が必要な分野ですが、その費用を他の事業で創出するしかないので、まずはそこをしっかりやっていくことが一番重要ですね。
そして、中期的な目標は「起業の教習所」を作り、運用していくことになります。
長期的には、少し話の軸が変わりますが、赤ちゃんポストのNPOを作りたいと思っています。やろうと思ったのは、世の中の役に立ちたいと考えた時に、日本も世界も人口減少の課題がとても大きく、その課題解決に向き合うことが、社会にとって役立つことなのではないかと考えたからです。


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