【ライフストーリーVol.14】人との違いを悲しまず、喜びを持って受け入れる
女子バスケットボール日本代表の中心選手として活躍し、東京五輪の銀メダル獲得に大きく貢献した馬瓜エブリン選手。プレーだけでなく、明るくユーモラスなキャラクターが注目され、今やメディアから引っ張りだこの毎日です。最近ではベンチャー企業を立ち上げるなど、事業家としても活躍しています。そんなエブリンさんですが、幼少期から思春期にかけては、自身のルーツに起因する問題に悩んだといいます。それらをどのように克服し、生きるパワーに変えていったのでしょうか。
心無い言葉にはユーモアで対応
当然のことながら、トップアスリートの世界では出自ではなく実力がものを言う。さまざまなスポーツにおいて、外国にルーツを持つ選手が日本を代表して活躍する光景は今や珍しくない。スポーツに限った話ではないが、国を背負って立つ代表選手ともなれば、とりわけ注目の的になる。
一方、そうした選手たちのなかには、日本人との外見の違いなどを理由にした偏見に苦しんできた経験を持っている人もいる。エブリンさんもその1人だ。自分と周囲の子どもたちとの違いを意識しだしたのは小学校に通いだしてからだった。当時を振り返り本人はこう語る。
「子どもって悪気なく思ったことをポロっと言うじゃないですか。それまで仲良くしていた子から、見た目に関して傷つくようなことを言われて落ち込みましたし、自己嫌悪みたいな感情に陥ることもありました」
両親はガーナ出身だが、日本で生まれ育ったエブリンさんにとって、外見を理由に揶揄されるのは大きな苦痛だった。からかってきた友達に言い返して喧嘩になったり、悲しみと怒りを抑えきれず号泣したりもした。
「なんで自分は他の人と同じじゃないのか」――そんな思いをぶつけた母親から返ってきたのは、「人との違いに悲しみを持たず、喜びをもって自分を認めなさい」という言葉だった。慰めの言葉を期待していたエブリンさんは何を言われているのか分からず、最初は戸惑ったという。
「でも、それが自分を一番支えてくれる言葉になったんです。母からは『みんなと同じだとあなたの魅力が出せないけどそれでも良いの?』と繰り返されました」
エブリンさんが自分自身を認めるために取った行動は、心無い言葉を投げかける友達に怒りではなくユーモアを持って接すること。それによって、周囲の態度が変わってきたと話す。
「面白い子だねって認識してもらったのは大きな変化でした。もちろん、悪いのは嫌なことを言ってくる相手なんですが、子どもだから本当に悪気があるわけではないし、どう接して良いか分からないので心無い言葉を言ってしまうんですね。相手を許すのは難しかったですが、自分が態度を変えることで環境が改善されました」
バスケットボールとの出会い
ほどなく、小学4年生のころからエブリンさんは地域のバスケットボールチームに通いだす。当時、憧れていたのはNBAで活躍するドウェイン・ウェイド選手。プレーもさることながら、スラム街の劣悪な環境で育ちながらもバスケで成功した同選手は格好のロールモデルだった。周囲と上手く付き合えるようになったとはいえ、出自にまつわる葛藤などから、時に鬱屈を抱えてしまう自分と重ね合わせる部分があった。
バスケとの出会いによって、自己肯定感と反骨精神はさらに磨かれた。ここでも役立ったのは、他人との違いを前向きなエネルギーに変える姿勢だ。
「身長が高かったので、ゴール下でパスをもらうだけでシュートを決められたんですね。相手チームから『大きいからズルいよね』なんて言われましたが、もし身長をバスケで活かさなかったら逆に活かせよって言われるでしょうし、どちらにせよ何か言われるならやったほうがいい。だから、むしろそのヤジが嫌じゃなかったというか、嬉しくも感じました」
そして、競技での活躍以上に自己肯定感を高めたのは「人から見られること」だったという。他人と違うからこそ注目され、自分と一緒にプレーしたいという他の選手の声も耳にするようになった。それがさらにモチベーションの向上につながったと語る。
ちなみに、同じく現在バスケットボール選手として活躍する妹のステファニーさんは、エブリンさんほど他人の言動に悩まされた経験はないそうだ。姉が環境を作ってくれたお陰で、周囲も接し方を理解していたためだ。「姉に守られていた気がする」と、ステファニーさんは後に語っている。
会社を立ち上げ事業家としても活躍
バスケにハマり、トップアスリートを目指す一方で、エブリンさんには別の夢があった。それが「社長になること」だったという。
大きな理由は経済的な不遇だった。工場で働く両親の収入は恵まれているとはいえず、それで心が荒みかけたこともある。そんな気持ちを、「オリンピックに出場する」「社長になって経済的に成功する」といった将来像を描くことでパワーへと変えていった。
現在、エブリンさんは事業を2つ立ち上げ、経営者としても活躍している。これで満足というわけでは決してないだろうが、ともあれオリンピック出場と社長になる夢を両方叶えたわけだ。
最初に会社を作ったのは2020年。その後すぐに2社目も立ち上げ、現在はさまざまなスポーツに関して1分動画で一流アスリートからコーチングを受けられる「Quick Coach」というサービスに力を入れている。新型コロナ禍の自粛期間を使って起業したとはいえ、競技との両立は並大抵のエネルギーではできないはずだ。
「“Why not?”を自分のモットーに掲げていて、やりたいと思ったことはどんどんチャレンジしていこう、何でもやってみようよという精神です。まだ収益化はしていませんが、ユーザーはかなり増えています」
事業を通じて、スポーツに取り組む子どもたちが適切なコーチングを受けられるようにする、そしてセカンドキャリアに悩むアスリートにも選択肢を与えられるようにしたいと語る。自身がアスリートとして競技に打ち込んできたからこそ、発想できたビジネスと言える。
「たとえば、経営や投資やプログラミングの知識などは、積み重ねれば重ねるほどお金の形で返ってきたり、経験値が上がって価値あるものになっていったりします。スポーツの世界でも、トップの選手が積み重ねてきた知識を欲しいと思っている人はたくさんいるので、それを活かせる場所をつくっていけたらいいなと思います」
周囲の人間への発信がエネルギーに
留学生と違い自分の意思で来日したわけではないため、日本語の習得に苦労したり、将来に対して前向きになれなかったりする外国ルーツの子どもたちもいる。また、日本生まれでも、狭いエスニックコミュニティの中で生活を続けるケースもある。そうした子どもたちは、親や親戚と同じような仕事以外の選択肢を知らなかったり、経済的な問題で将来の選択肢を狭めてしまったりしがちだ。日本生まれのエブリンさんの場合は日本語の問題こそなかったが、出自に関する精神的な葛藤や経済的な苦境という点では同じだった。思春期に差し掛かるころには、教師に反抗したり、学校が嫌になって行けなくなったりした時もあった。
それでも大きく道を外すことなく、苦境をポジティブなエネルギーに変えられたのはなぜだろうか。
「自分の状況をどうしていいか分からないという気持ちを溜め込まずに、両親や学校の先生や近所の人など、周りの大人に話していたと思います。恥ずかしいと思いつつも、助けてほしい、こうなりたい、ああなりたいと発信していたからこそエネルギーが保てていたのかもしれません」
外国ルーツだったからこそ頑張れた部分も否定しない。悲しみや怒りといった負の感情を味わってきたからこそ、今の爆発力に繋がっている。
「子どもの頃に苦難や苦悩が相当あったので、その部分に関しては他の人が得られない経験をしたと自負しています。そうした経験を通じて、目標を掲げて取り組むことが全く苦ではなくなったからこそ、いろんなことにチャレンジできているのかなと思います」
個性を磨くことがキャリア形成につながる
仕事選びについての外国ルーツの子どもたちへのアドバイスも、エブリンさんらしいものだ。
「自分が貧乏だった経験もあり、あまり綺麗ごとは言いたくないので、お金は稼がないといけないと考えています。仕事選びの方法は、自分の好きな領域から探すことのほかにも、たとえば言語など日本人が不得意な領域から選ぶというのもポイントではないでしょうか。まずは何かで日本人より抜きん出て、セールスポイントにできる状況にするのが大事だと思いますね」
人との違いを悲しまず、喜びを持って受け入れる――母親の言葉が仕事に対する考え方にも活かされているのが分かる。他人と同じことに安堵するのではなく、違いを喜んで磨き上げる姿勢に転換すれば、キャリア形成においても強力な武器にできる。
「誰かと仲間でいたい気持ちはあると思いますが、その前に自分自身を認めてあげなければ周りの人たちに対して優しさも持てないと思うし、他人がどう考えているか想像する力も働かないと思うんです。自分の魅力を今感じられないとしても、必ずどこかにあるので、ひとつひとつ自分と向き合って探してほしいです。今はスマホもあるし、自分にとってのロールモデルが沢山見つけられると思うので、たとえ簡単に会えない人であっても、その人に近づいていく気持ちが大切ではないでしょうか」
エブリンさん自身もまだまだ目標に向けて道半ばだ。これからは世界を相手に、バスケットボールや事業を通じて得た経験を伝えていける人間になりたいと語る。夢を追い続ける彼女をロールモデルとする子どもたちが、今後増えていくことだろう。
吉田浩 取材・執筆
▶今回のインタビューを動画にもしています。ぜひ併せてご覧ください。