パン職人の修造53 江川と修造シリーズ Prepared for the rose
修造は鷲羽に言った「そんなお客さんの気持ちが分かっていてパンを作ってるかどうかでまた違ってくる。お前はどうなんだ。お前だってパン作りに携わっているだろう」
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一方その頃ホルツでは、大木が江川にマンツーマンの指導をしていた。
コンテストまであまり時間のない江川にとってラッキーな事だった。
大木は江川に飾りパンの『薔薇の花籠』を教えていた。
シロップ生地というきめ細かい生地を薔薇の形やカゴ用に編んでいく。
「江川、選考会ではどんな飾りパンを作るつもりだ」
「自然のものを取り入れようと思いますがまだ思いついて無くて」
「立体的造形って作ったことは?」
「花とかウェルカムボードなどの練習しかありません」
大木は工程の説明を始めた。
「飾りパンはパンデコレと言って、大会では全て食べられる物で作るんだ。工程の始めに自分の作りたいものの量、パーツの数と大きさについて考える。作る量に規定があればその重さを割って考えるんだ」
「綿密に必要なものの大きさ、長さを計算する。どこに何色を持ってくるかも重要だ。見た感じの色のバランスなどもな。自分の技術を立体にしてる様なものなんだ」
大木は、江川が作ったパーツの表面が乾燥したのを確かめてから窯に入れ、低温にセットしてタイマーをかけた。
「作ったものを焼成するとイメージと全然違ってくることもある。それも計算に入れなくちゃならない」
「はい」
「コンテストにはホルツで焼いたパーツを持ち込んで現場で組み立てることになる。ここなら安全に置いておけるからな。コンテストの現場では殆どのパンをそこで作り終わった後、最後にパンデコレ(飾りパン)の組み立てをするんだ。全ての工程を頭に入れとけよ」
「今日は計画通りに生地量を決める練習から」
大木は紙を広げた。「考えとけよ。タイマーが鳴ったら出しといて」と言って江川を一人にした。
江川は作業台の上に紙を広げてペンを右手で振りふり考えた。
何か好きなものから考えようかなあ。
修造さんは実家の周りに咲いてる花がテーマだったな。。
好きなもの
好きなもの
甘いものとか?
ハチミツかなぁ。
そういえば、僕の育った家は寒いところでニホンミツバチは育てられないんだ。だからセイヨウミツバチを冬も暖かい所を作ってそこで越冬させる。
夏になると菩提樹の花で蜜を集めてる養蜂家のおじさんがいたな。
森に巣箱を並べてたのを見た事があったっけ。
菩提樹は黄色い可愛い花で学名はtilia。翼って意味なんだ。
ハチミツ、菩提樹の花、翼、セイヨウミツバチか。
うーんと呻きながら江川は紙に絵を描いて、それを元に図面を作成した。
しばらくして戻ってきた大木は、江川の絵を見て言った。
「ふーん。あまり無いデザインだが面白い。江川、お前は個性的な奴だな」
「僕にこの部分の作り方を教えて頂けますか?」
江川は指で紙に描いたパーツを指差した。
「よし、ちょっと出かけるか」大木は江川に上着を持って来させて二人で出て行った。
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さて、パンロンドでは修造に問を投げかけられた鷲羽が固まっていた。
あー
俺またやっちゃったのかなあ
すぐ無神経な事言っちゃうんだ。
首を項垂れて鷲羽は考えていた。
鷲羽が固まっている間に修造はパイローラーでクロワッサンの生地を伸ばして持ってきてカットしながら言った。
「お前な、よく人から一線置かれないか?」
「それはしょっちゅうあります」
「あんまり気にして無いから直んないだろ?」
「はい、、いえ、こないだ修造さんに言われてから意識はしています。の、はずです」
「他人に対して敬意を払っていない」
「それは、俺、修造さんに凄く敬意を払ってます」
「なんでだ。外国で修行したからかよ」
「始めはよく知らなかったからそうでしたが、修造さんは仕事に対して凄くストイックです。俺はそれに憧れてます」
修造が三角にカットした生地を鷲羽は巻き続け、バットに並べていく。
その様子を時々見ながら修造は話し始めた。
「鷲羽。今の俺があるのは親方のおかげなんだ。
親方が俺が帰ってこれる様に大切なものを守ってくれたんだ。もし親方がいなかったら今頃俺の家族はバラバラになって俺は帰るところなんてなかった。エーベルトの所に残るか、ひょっとしたらもう糸の切れた凧の様になって他の国に行って帰ってこなかったかもしれない。そしたらみんなともお前とも出会わなかっただろう。今ここにいるのはみんな俺の大切な仲間なんだよ」
誰かのおかげとか仲間とか鷲羽の頭には無いワードが出て来た。
「修造さん、さっきの質問の答えですが。俺、わかってるも何もそもそも人の思惑通りに動くのなんて嫌だし、従う気もありません。だけど自分の為になる事ならいくらでも頑張れます」
それが俺って人間なんだ。
言葉に出して、鷲羽は改めて自分の腹の中を覗き見た気がした。
「俺、前向きな人でなしって言われた事があります」
「普通人ってそう言うダメな所を隠して生きるものだがお前って正直な奴だな」
ストイックな職人には少なからずそんな所があるのかも知れないな。他に目もくれず一心不乱に打ち込むその先に美味いものが生まれるのかもな。
修造はそう考えてからきっぱり言った。
「だからって失礼な事をズケズケ言っていい訳じゃ無い」
「はい、すみません」
「俺に謝るんじゃ無いだろ?」
鷲羽は少し潤んだ目で親方を見た。
おっ鷲羽が見てる。なんだよ。とりあえず笑っとくか?
親方は大きな木のスコップで焼けたパンを窯から出す手を休めずに、余裕の微笑みを称えた。
「あの、さっきはすみませんでした。無神経な事言ってしまって」
「わかりゃいいんだよ、鷲羽。いつかお前も俺と修造みたいに大木シェフと気心が知れる様になったら良いな」
「そんな日来ない気がします」
「なんでだ。自信ないのか?」
ーーーーー
一方その頃
大木の車で江川は留基板金に着いた。
平屋建ての古い建物で壁はトタンで囲われている。
中からはカチャンカチャンと機械の音がしていた。
「ここは板金屋さん?」
「そうだ。さっきの設計図を出して」
「はい」
「どうもこんにちは。大木さん」
機械の音が止まり、古びた留基板金の横開きのドアが開いて一人のお爺さんが出てきた。
「こんにちは留基さん、ご無沙汰しています。ちょっと頼みたい事があってね」
留基丈治(とめきじょうじ)はおでこの上に付けていた老眼鏡をかけ直して江川の書いた紙を見た。
「これ、パンの抜き型なんだけどできるかな?」
「ふん」
留基はうなづいて工場の中に入って行った。
しばらくゴソゴソする音がして、大木と江川はその中をじっと見ていた。
「これこれ、これを曲げたら丁度良いですよ」
と言って手頃な大きさのステンレスの板を持ってきた。
「これによると色んな大きさで六角形なんですね」
「高さは5センチぐらいでお願いします」
「了解です」
留基は歯の抜けた口角を上げて笑ってみせた。
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パンロンドでは
親方が鷲羽に優しく話しかけていた。
「太々しい様に見えてお前本当は自信ないのか?さっきの態度も江川の件もあるし。だからいつも必死なんだろう」性格の悪さを技術でカバーか。と親方は鷲羽を見て感じとった。
「それ、本当はわかってるんじゃないのか?自分で認めなきゃお前は前に進めないぞ」
そんな会話を工場の奥で見ていた藤岡は「性格矯正」と呟いた。
「鷲羽、俺はこれからもここにいてパンを作り続けるよ。
ここに来たいお客さんの為にな。だからお前もいつでもここにきて良い。
俺とお前の心が通い合うまでな」
鷲羽はパンロンドについての誤解が解けた気がした。
ここはホルツともベークウェルとも違う。
ここにあるのはほのぼのとした温かい空気だ。
そしてそれの大元になるのはこの親方なんだ。
「おれ、親方みたいな人に初めて会いました」
もう一人尊敬できる人ができた。
鷲羽の心にこれまでにない何か、少しだけ温かい小さな塊ができた。
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ホルツに戻って出かける前に焼成した花籠の飾りパンの部品を、水飴でボンドの様にして付ける練習を始めた江川は、大木に細かいコツを教わっていた。
その時大木がコンテストの日程についての話を始めた。
「パン職人選抜選考会は業界最大の展示会場で行われる。3日間あって、一日目が修造達4組の職人の選考会だ。そこで選ばれると世界大会に挑戦できる。3日目がお前と鷲羽の出る若手コンテストだ。修造の助手には園部に出てもらうつもりだよ」
「えっ?園部君?大木シェフ、僕が修造さんの助手をやります」
「お前な、最終日にコンテストが控えてるんだからできっこないだろう?自分の事で精一杯で修造にも迷惑がかかるからダメだ。園部もこれまで特訓していたんだし、これから修造と息を合わせていかなきゃ」
「絶対ダメです。僕やれます!僕しか修造さんの助手はいません」
「無茶言うなよ、修造と練習して自分の分も最高の出来栄えにしなきゃいけないんだぞ!」
江川は懇願する様な真剣な目で大木を見た。
「僕その為にこれまで練習してきました」
江川の潤んだ目を見て大木は困った
「お前にはあきれるよ」
江川の奴こんな事言い出すとは思ってもいなかったな。
うーん、修造の勝利に重点を置いて、鷲羽と江川、どちらが勝っても助手になるんだからまあ良いか。代表選考会が先で良かったよ。
「どちらも出来るって言うんだな!お前が勝てなかった時は他の選手が世界大会に行く事になるんだぞ!」
「はい!僕やれます!みんなに迷惑をかけません。絶対やってみせます」
「頑固な奴だな。勝手にしろ!」
大木は強めの言葉を残して事務所に行き、選考会の提出書類を出してきて修造の助手の欄の園部の名前を江川に書き換えた。
事務所から出て別室と工場の間に立ち「江川も鷲羽も同じぐらい個性がキツいな」
大木は花籠の仕上げをしている江川をドアのガラス越しに見ながらそう思っていた。
おわり
Prepared for the rose(薔薇の覚悟)
江川は修造との勝利の為に薔薇の飾りパンに誓いを立てました。
必ずやり遂げると。
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