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パン職人の修造 150 江川と修造シリーズ 赤い髪のストーカー


赤い髪のストーカー


葛城麻弥(かつらぎまや)の生家は古風な家柄だが、だからと言って特別裕福でもなく、父親はモラハラ気質の人間だった。

父親は大抵において外面は良く、他人に気を使う分、家に帰ると不満を溜めて愚痴を言い続ける。食事の時は母親の作った物の一つ一つにケチを付けていくが本人はそれが家族の為と本気で思ってる様だった。麻弥の一挙手一投足にも細かく注意をし続けるのが日課で寝ても起きても監視されているので父親が居ない時が麻弥の休息の時だった。

自分の子供の事を他人に自慢するのを恥ずかしい事だと思い込んでいて、その為客人の前で麻弥に厳しい態度を取り、叱責することも多かった。

母親は厳格で口うるさい父親の機嫌を損ねるのを嫌い、麻弥に「お父さんの嫌がる事はしない様に」とよく言い含めていた。

唯一ましな点は父親が直接麻弥に手をかける所が無かった所だろうか。その代り毎日毎日つまらない愚痴が日常に纏わりついて麻弥の心を蝕んでいった。

ある日麻弥が幼稚園から帰るとそれはそれは素敵なワンピースと、外国製だと一目でわかる可愛らしい木の人形と家具のセットが机の目につく所に置いてあった。麻弥はワンピースをそっと手に取り身体に当てて鏡に映してみた。ニコッと笑ってみる。おそらくどんな子供が着ても上品でお金持ちの家の子の様に見えるだろう。その後綺麗な箱の中の木のおもちゃを覗いてみた。触ったら叱られるのか分からないが可愛いお人形が2個、小さなピアノ、ベッド、スタンド、クローゼット、テーブル、椅子が2つ、キッチンセットが一つ等間隔に並べられていて動かない様に箱から出ている黒いゴムで一つ一つ留められていた。

箱を覗きながら、麻弥はお人形にあやかちゃんとまきちゃんという幼稚園のクラスで人気者の子供の名前を付けた。地味で大人しい麻弥にとって生まれた時から明るくて派手な立ち居振る舞いができるあやかとまきは羨ましい存在だった。

麻弥がお人形のあやかちゃんに手を伸ばそうとした時「帰ったのか?」と父親の声がした。麻弥はビクッとして手が痙攣したかの様になり、急いで手を後ろに隠した。

父親は母親に向かって、この人形と服は出張でドイツに行った上司が土産にくれたものだと言う。

麻弥はドイツという言葉を初めて聞いたが、何となく国の名前なのかと言う事はわかった、なのでこの言葉にはそれ以降も憧れを抱く事になる。

父親は慎重にワンピースを袋から取り出し、丁寧にタグを外してタンスの上に置いた。母親に「着せてみろ」と言ってそっとワンピースを渡した。

母親は丁寧に麻弥に洋服を着せると「可愛いわね」と言った。

ドイツ製のワンピースは白と青のチェックで半袖はパフスリーブになっており、胸にはレースと青いリボンが付いていた。スカート部分はウエストから膝までの長さで中にクリノリン(針金)が施されていてお姫様のようにふんわりと広がっている。


地味な顔立ちで自分があまり可愛いと思っていなかった麻弥だったが、この時は絵本の中に出てくるお姫様のような気持ちを味わえた。

だが何故か父親はその服をすぐに着替えさせるように母親に言った。

「汚れるといけないから着替えましょうね」と母親に言われ、麻弥は人形のように大人しくワンピースから普段着に着せ替えられた。

次に儀式のようにお人形に触っても良いと言われたが父親はまた箱に傷が付かない様にそっと開け、人形が留めてある黒いゴムを慎重に外した。

遊んでも良いと言ったものの、汚さないように麻耶の横で見張っていた。

幼稚園では麻弥はあの洋服と人形セットが気になり、帰ってすぐに手に取って遊んだが、母親も人形が汚れないように慎重に遊ばせていた。麻弥はワンピースを手に取り着ても良いかと母親にアイコンタクトを送ったが「またお出かけの時にね」と言われる。人形は汚さずに気をつけて遊ぶ高級品だとか、ワンピースもまた然りだと子供ながらに自分を納得させて次の機会が来るのを待った。

しかしその機会は無かった。

10日程経った月曜日、麻弥が幼稚園から戻り、部屋に入るといつもの所に人形も洋服も無くなっていた。

麻弥は部屋から、家の端々へと順に探したが見つからず、母親に潤んだ瞳で訴えた。母親は麻弥に「あれはね、お父さんの会社の偉い人が返してって言って来たの」とだけ伝えた。麻弥が部屋で泣いているといつものように帰宅した父親の愚痴が始まる「あいつの娘が色が嫌だと俺に渡してきたくせに、娘の気が変わったから返せと言ってきやがった」こう言うと嫌そうに聞こえるが実際には平身低頭。急いで元の状態に戻して渡したのだ。いつでも自分が気に入られたい誰かの為に「お嬢さんに」と言って渡せるようにしていたくせに。

一旦麻弥の物だった、しかし今は他人のものだ。麻耶にはどうすることも出来ない。

他の家の子供なら父親に文句を言って泣き喚いたり、母親が父親を叱責したりしたのだろうが、麻弥の家にはそんな出来事は無かった。

このことは麻弥の心にシミのように小さな黒い色を付けた。

麻弥は成長するにつれ、徐々に自分というものを見失いつつあり、父親の言いなり人形の様になっていた。しかしまだ自分を大切に思う気持ちも無いわけでは無かった。

麻弥がある日小学校の子供達が読む雑誌のお菓子特集の中のクッキーのレシピを見て家にあった材料でお菓子を焼いた時、母親がとても褒めて美味しいと言ってくれた時の事が後を引いて記憶に残った。

それは幼少期の麻弥にとって数少ない成功体験で、後々唯一自信の持てる特技になっていった。


つづく




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