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高校生プログラム「熟議①」尾中友哉さんの世界を通じ見えてきた "コミュニケーション"

こんにちは、トニーです!🍎

高校生が社会課題への提案を行い、また自分自身の人生を深めていくプログラムの第1歩目として行う「熟議・ワークショップ」。2021年、1人目の伴走者としてお越しいただいたのはSilent Voice 尾中友哉さんです。

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熟議第1号モデレーターを務めてくれたのは、大学院で教育工学を専攻しているインターン生の「よっぴー」こと高津くん
少し緊張しながらも、尾中さんから本当に沢山のお話を引き出してくれました。それでは、当日の様子をどうぞ!

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△肥後さんのグラフィック🎨


10代から20代、葛藤の中で探した自分の「あり方」

尾中さんは耳の聞こえない両親を持つ子ども(CODA)として、手話を第一言語としていて、今はSilent Voice という会社とNPOを立ち上げて活動されています。そんな尾中さんも実は、葛藤しながら自分の「あり方」を探していた時期がありました。

お爺様の薦めと期待を受けて地元の有名進学校に通っていた高校時代。一時は、浴びるような勉強に耐えられず、学校に行けなくなった時期もあったそうです。そんな中、所属していたラグビー部で、朝練もして勉強もしている他の部員に、ぶつかり合う練習で、力まけして倒されたとき『…僕なにやってるんやろ…?』と、ふと、我に返ったそうです。

…そして20代。気がついたら徹夜するくらい夢中になっていた大学の映像制作の授業をきっかけに、広告の仕事につくことを決めます。しかし働いてみると仕事のため毎日毎日飲まなくてはならない日々。ふと、空を見上げて『…何で働いてるんやろ…?』と自問。更に『何で生きているんだろう…?』という苦しい問いまでもが心に浮かんできたそうです。

そんな状況下で尾中さんは、「自分自身と向き合おう!過去の経験を掘り下げるしかない!」と思い立ち、まずは家族や友人に「自分がどんな人間なのか?」と尋ねることにしました。

「僕ってどんな人?」

・「あなたは、9か月で泣くのやめたのよ。(両親が、耳が聞こえないって分かって)お腹が減ったことを、舌を出して指さして伝えたのが、あなたの“最初の言葉”だったんじゃない?」(by尾中さんのお婆様)

・3歳のとき手話で話す姿を見た周りの子に「魔法使い!」って言われて…、喜ぶでも、傷つくでもなく、『魔法使い』が分からず、家の食卓でも「魚」という言葉が分からず、何と、日本語学校に入学!
(結果、家ではポルトガル語を話すようになりました(笑))

・電話が来たら、電話の相手に口で話し、両親に手話で話し、“通訳”をしていました。

などなど、これまで当たり前にしてきた事を見つめ直すことで自分のあり方を掘り下げていたという尾中さん。

「翻訳者」として動いた日

そんなある日、尾中さんはそれまでの人生を変える選択をするきっかけに出会います。
美味しそうな「レモン団子🍋」を買おうと並んだお店の長い列で、真ん中あたりまで進んだところで、待っても待っても行列が前に動かなくなりました…。どうしたことかと思うと、どうやら先頭の人は耳が聞こえない方らしく、店員さんのやり取りが上手くいかず商品が受け取れない様子。

そこで、「翻訳者」として尾中さんは列を抜け、店員さんが必死に叫ぶ「レモン団子は!みたらし団子と!混ざらないように!包みますか!??(゚Д゚;)」というメッセージをお客さんに手話で伝え、お客さんは無事にお団子を買うことができました。

一度列を抜けた尾中さんの順番は飛ばされてしまい、『また並ばなくちゃ~…』と思っていたところに、さっきの先頭のお客さんが現れて、御礼の言葉と一緒に、尾中さんにお団子を分けてくれました。

実はそのお団子は「レモン団子」じゃなくて、みたらし団子だったんですけどね(笑)(by尾中さん)

この瞬間に自分のあり方はコレだ!と思い、広告の仕事を辞めることを決心したそうです。

「相互支援」がしっくりくる。

当時も、そして今も、聴覚障害についての世間のイメージはいまだに「弱い立場」。また、「支援」というと「元々の状態がマイナス」であるという文脈で切り取られがちです。しかし自分の家族は、両親が耳が聞こえないのと同じく、自分や兄弟にだって出来ないことが当たり前にある。だから家族とは「助けるし、助けられる」という感覚で暮らしてきた尾中さんにとって「支援する」という感覚が受け入れられません。そこで、「『助けるし、助けられる(相互支援)』の中で生まれる価値を作りたい!」と考え、SilentVoiceの起業に至りました。

耐えられない。変えたい。変えられる。

平成の初めに生まれて平成時代の変化の中を生きてきた尾中さん自身、「電話では会話できない」という時代から「いつでもテレビ電話で会話できる」など、この30年に時代が明らかな変化を感じてきました。しかし一方で、今の時代に生きる聞こえない子供たちが、自分の親世代と同じネガティブな差別を経験しているという事実を突き付けられることも。このことに「耐えられない」という強い想いを言葉にしておられました。

持っていた夢を諦めなくてはいけなかったけれど、それでも真っすぐに生きている、『一生懸命に生きなきゃ』と思わせてくれる尊敬するお父さん。そんなお父さんが働きやすい世の中にしたい。
そして、耳が聞こえないことを不幸と思わず、聞こえないからこそ今の人生の幸せを感じているお母さんのようになりたい。

尾中さんが、社会を変えるために起こしたSilent Voiceが目指すのは「聴覚障害者の強みを生かす社会の実現」です。その源泉にあるのは、「コミュニケーションを諦めない」姿勢。そして諦めないコミュニケーションの先に、伝わる喜びを心から分かち合える自分の生き方、感じ方、あり方を育んでくれたご両親への想いがあるのでした🍓👪

(今の尾中さんの原点となった『キイチゴ』を見つけたストーリーや、ご両親への想いは、ぜひ尾中さんの言葉で聴いてほしいので、ぜひTEDxでのトークをご覧ください。)

仲間と進めば、より遠くまで行ける。

自分にしかない「違い」を味方につけた尾中さんは、大きなインパクトを起こすため、今、会社やNPOの仲間と一緒に様々な取り組みをされています。

聞こえないの方の、聞こえないからこそ身についた伝える力を活かした研修プログラム「DENSHIN」や、総合学習塾「デフアカデミー

聞こえない人が当たり前のように社会で活躍している世界に”いっちょかみ”(「一丁噛み」大阪弁で口を挟む、首を突っ込むの意)したい!と、ユーモア交じりのストーリーで伝えてくれる尾中さんのあり方には、周りの人をひきつけて遠くまで行ける!(世界を大きく変えられる!)と感じられる説得力がありました。企業などの組織が社会に与える影響力を「ソーシャルインパクト」と言いますが、色々な人が集まる組織で、一人一人の違いを味方にしたチームはきっとものすごいインパクトを生み、世界を変えるはずです。

「違いを味方につける!」尾中さんから学んだ3つのお話

そんな尾中さんが教えてくれた目から鱗の「違い」が生んだ新たな発明のお話!

1.戦後は、片腕を失った人が沢山いた(傷痍軍人さん)が、片腕だとタバコを吸いたくてもマッチが擦れない…🥺
→だからこそ、簡単に火が起こせるライター🔥が普及した!

2.首がマヒしている人はペットボトルで飲み物を飲むことができない😖
→おかげで、医療機関でストローが広がった!🥤

3.メジャーリーグでは昔、「アウト!」「セーフ!」等のジャッジは声だけで行っていたが、ある時「アウト」の声が聞こえない選手が「ボール(フォアボール)」と勘違いして一塁に歩いて行った。それを見て多くの観客は笑った🙄
→けれど、それを見た人が、審判に「動きを付けてほしい!」と掛け合ったことで、今、世界中でつかわれている「アウト」「セーフ」等の形が生まれ⚾更にバスケットボール界にまで広がった🏀

自分と違うから、閃きがあり、発見することができる。
その可能性を信じてコミュニケーションしてほしい。

世界の当たり前を変えてきた素敵なエピソードとともに、そんなメッセージをいただきました。

💛

メンバーと一緒に大切にして行きたいコト。

最後に、私トニーが尾中さんの話を聞いた高校生の皆にこれからの人生に持って行ってほしいなぁと思った3つのことがあります。

尾中さんの「あり方」に触れて、自分自身の「あり方」を見つけるヒントを得てほしいということ。
尾中さんの言葉で語られる「コミュニケーション」というキーワードに、これからの世界を生きていくうえで必要な「新しい“一般教養”」として伝えたいエッセンスが詰まっているので、それを吸収してほしいということ。
③そして、自分自身の「他者との違い」を味方につけてこれから活動をする、ということ。

一人ひとり違うから、お互いに力になれる。
人間同士、伝わらないこともあるけれど、諦めずに伝えてみる。
シンプルだけど、一人一人のあり方を力強くしてくれるこの考え方を私自身も胸ポケットに入れてこれからの活動を進めて行きたいと思います。

...次は、山田崇さんのお話しです📝

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