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これからはきっと価値観の近い人と一緒にいる機会が多くなる。

ちょっとご無沙汰していました。在宅ワークwith子どもは終わりましたが、ここのところハードワークで朝晩仕事するような状態が続いており、余裕が無かったのです。でも書きたいことに出会って、久々に戻ってまいりました、笑。


さて、今朝思ったこと。それはこれからは「価値観の近い人と一緒にいる機会がめちゃくちゃ多くなるんだろうな」と言うこと。

なぜそう思ったかと言うと、コロナの件があって私たちは必要最低限しか出かけなくなったから。必要と言うのにはもちろん仕事や学校も含まれるけれど、それ以外で必要と言ったら「個人がそれぞれ価値を感じるもの」のはず。


今までは出かけることにハードルが低かったから「なんとなく」行く先で出会った人もいた。でも、今後はもうそういう人とは出会わない気がする。ちなみに、この出かけるというのは、リアル・オンラインどちらも含めての意味。リアルだろうとオンラインだろうと、とにかく価値を感じるものにしか時間を使わないのだから、ますますこの傾向は強まっていくと感じる。


●価値観の近い人とばかり一緒にいるのは、ハッピー?


で、それってハッピーなのか?と考えてみると、まず価値観の近い人といるのは心地良くて基本的にハッピーな気がする。気になる話題や考え方が近いと、話も弾む。議論もしやすければ、共感もしてもらいやすいかもしれない。また類は友を呼ぶという通り、誰か仲間を見つけたい時にも友達の友達から見つけられそう。

仮に物理的距離的に近い周囲の人々が私を理解してくれないとしても、そこでは誰か理解してくれる人に出会えるんじゃないか、とも思う。


だから日常的にはハッピーな気がするし、その関係性自体は大切にしたい。けれど、逆に、ふとした瞬間に違う価値観を持つ人に出会った時にお互いを理解したり受け入れたりするハードルは高くなりそうでもある。


日ごろ価値観が近い人とばかりいると、自然と「常識」とか「当たり前」みたいなものが醸成されてくる。コミュニティが濃密になればなるほど、そうなるもの。また積極的に他のコミュニティを覗いてみようという気持ちも薄れがち。


だから、もし「ぜんぜん話が通じない!」と思うような人と出会ったときには、「わ、この時が来た」と瞬間的に自覚し、襟を正したいなとあらかじめ思う。「は?何言ってんの?これが当然でしょ?」をお互いに振りかざすのではなく、「なるほど、そういう考え方もあるのか」「へー」と素直に耳を傾ける姿勢を持っていたいなと思うのです。


●さらなるハッピーのためには

自分がハッピーで暮らす・生きるためには、自分が何を好きかを自覚して、いわゆるタグのようなものを明確化し、さらに「タグを広げる」ことが鍵じゃないかと思う。自分の好きや興味関心を広げれば、それだけいろんな人に出会うチャンスが多くなる。


ただ、もう少し考えると、さらなるハッピーのためには「自分のタグに全く関係ない世界に、敢えて意識的に飛び込む」という行動も必要じゃないか、と思えてくる。なぜなら、最近はちょっと危機感すら感じるくらいに私たちは好きな人・共通項のある人としか日常的に会わなくなってきているから。

違いがあるから考える、というのもある。「なんでこうなの?」「一体どうしたら?」とグルグルと思考を始めるのには「分からない」という刺激(トリガー)が必要なんじゃないか。壁を乗り越えようとしたときに生まれる知恵や工夫があると感じる。


価値観の近い人とばかり出会い、時間を過ごすようになっている(今後ますますそうなっていく)という現実を踏まえて、どう行動していくのが本当に幸せなのか?本当に自分の人生やこの世界を楽しむとはどういうことなのか?を考えていきたい。そんなことをイメージした朝でした。


とはいえ、まだ生まれたばかりのアイディアなので、ぜひ皆さんの感想、ご意見も聞きたいなと。もっと深めていきたいので、コメントいただけたら嬉しいです ^ ^