【検証する】Changeは、ある署名を不当に終了に追い込んだのだろうか?
この夏最大の個人的関心を集めた事象は、「悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として『特別扱い』で入学されることは、象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します」という署名文だった。署名はある程度端的にわかりやすいものがよいという通説を勢いで覆す形で出た2万字に迫る、もはや「演説文」という方が適切に思う文章には、SNS上で歓喜の声が湧き、実名の研究職アカウントもちらほらコメントをするなど、その「広まり方」「受け取られ方」は、長いことまともな光の差し込まなかった空間に光が差し込むような種類の希望を覚えた。
しかし、その署名活動はあっけないほど尻切れとんぼに終わり、その「終わり方」は、これ以上ないほどの日本の言論の世界の危うさと不気味さを感じさせるものだった。
事の顛末を赤門ネットワーク(および、彼らと直接コミュニケーションをとっている支援者であるとしているエトセトラジャパンさんというブログ主)の声明を元に要約すると、以下のようになる。
経緯
8月10日開始された署名はわずか数日で1万筆を突破したが、「圧力」がかけられたことによって伸張が急激にゆるやかになり、さらにはガイドラインに反する文章を修正しないと署名を削除する可能性がある(ため修正してほしい)とChange.orgから通達を受け、発起人らは修正を試みたもののシステムが機能しなかったため、やむなく署名活動は「進行中」から「終了」ステータスへとなり、8月24日をもってわずか2週間で停止となった。また、署名終了のお知らせ」にて、発起人は「何らかの介入が行われていたと見るのが適切でしょう」という声明を残し、誰かが意図的に署名活動を妨害し、停止に追い込んだという考え方を表明していた。
はじめに私の立場を表明しておくと、私は8月中旬、本署名に署名をした。こちらの記事で、それは学者が書いたものなのか?という矛盾するように見える自我に懐疑を投げかけているが、それは、書き手のアイデンティティに対する疑問であり、後編記事の文末に「社会運動としての価値」と書いた通り、身元が架空のものであっても(つまりは、単にそう「演出」されているものであっても)、そのインパクトを翼にして社会に言いたいことをブチこむというのは、そうでもしなければ聞かれない状況下で、悪いことだろうか?(悪いことだろうか?という反語に、私はそれでも聞かせたい信念があれば、それは一つであると思っている)
ちなみに、発起人が仮名で署名を立ち上げることへの信頼性や、その是否については、2019年に14歳の「山本あすか」さんが「東京望月衣塑子記者など特定の記者の質問を制限する言論統制をしないで下さい」という署名運動を立ち上げたときにも、議論に上がっている。
弱者を語るステータスは見過ごし、強者を名乗るステータスはいただけないというのは、意味不明。少女がダメならこれもダメ、少女がいいならこれもいいのではないですか?線の引き方として。と、私はそう思っている。
署名発起人は、今回の件でChange.orgに落胆したと述べるが、中学生の時に
と話しているように、むしろ姿勢としては一貫しているかのように見え、そして仕様上、登録時にID確認がないというような設計も、「公安のつきまとい」を恐れる同発起人にとっては、選択の理由の一つだったのではないだろうか。
話を戻して、私が彼らの「妨害行動に遭っている」という言葉をすんなりと信じられなかったのは、その主張があまりに証拠に欠けていたからである。
もしもそれが本当に発生している事象なら、私ならそんな重大な局面でエラーが出たら、まずそれを動画で撮影し、もしくは最低限スクリーンショットで「エラー表記」を撮り、サポートに連絡するための説明材料とするが、彼らはネット上に、そういった動画やスクリーンショットを一枚もあげなかった。
署名発起人の支援者であり、署名の紹介ツイートは7000いいね、1500のRTと署名の初速に大きく貢献した支援者であるエトセトラ・ジャパン(皇室関連ブログ)によれば、「赤門ネットワーク」さんは、Xのアカウントを持っていないという。しかし、エトセトラ・ジャパンさんは、5951人のフォロワーを持つアクティブなソーシャルメディアユーザーである。フォロワーさんとのやりとりで、「赤門ネットワークさんにお伝えしますね」「(赤門ネットワークさんは)お顔が広いお方なので」と、連絡を取り合う関係であることを示唆する表現を鑑みるに、そのようなアドバイスをすることはできると想像するのが普通だろう。
また、Change.org JapanもまたX上に3.8万人のフォロワーを持つインフルエンサーであり、支援したいキャンペーンを、日々紹介しており(東大推薦反対に関する署名に関しては特に言及なし)、おまけにDMまで解放中。エトセトラジャパンさんが馴染みのツイッター上で、@でタグ付けをする形で、「できません」と表明すればよかったのではないか。(さすれば、オープンにそう言われれば、不動ということはできないだろう)。そんなことも思いつかないおばあちゃんとおじいちゃんなのでしょうか?毎日アクティブにSNSを使うけど使い方がわかりませんみたいな???
そう、当たり前のようにそれらが行われない限り、そんな「更新できません。保存が……。ウッ。刺されて…いる…今背後から……」的なつぶやきを、誰が信じられるのだろうか。
と、みんな思うし。(と思っていたけど、案外思った人は少数派だったみたい)
改めて、以下が、8月23日以降、赤門ネットワークさんの残した発言である。(署名文後に差し込み追記される形で、お知らせ3、4、5→署名活動中止のお知らせと増えていく。8月23日のお知らせ(4)ではサイト元であるChange.orgから、呼びかけ文の特定の文言と表現についてポリシーに抵触する部分があるため、思想の根拠を明示するか、あるいは表現を改めるよう、3日以内に「更新」することを求められたことを開示。その後、更新しようとするも、「更新できずに、困っている」「署名のダウンロードができなくなってしまっている」ことを訴えはじめる)
これを受けて、エトセトラ・ジャパンさんは、以下のポストをした。
署名をした私は、最初はただただ違和感を感じながら、成り行きを見ていた。
でも、手こずっていても、まさか本当に更新しない(削除されることを選ぶ)なんてことはあり得ない。どこを削るか逡巡しているにせよ、絶対に対応するはずだ。そう、どこかで当然視していた私は、「そういうつもりがないのだろう」と感じた一本の声明(お知らせ5)を見て、愕然とした。正確な時間は8月23日のまだ夕方だったという記憶以外にタイムスタンプが出てこないためはっきり言えないが、「またどこかでお会いしましょう」という降参宣言ともとれるものを出したのは、16時か17時くらいだったからである。繰り返すが、「8月23日中に修正反映をしないと」という通告をもらっているという文脈で。(18時に退社する図書館司書みたいな感覚なのかな、私なら23時59分まで粘りますけど)
その時の私の失望は以下につぶやいている。
が、嘘だよね?と感じたそれが「それが意思なのだ」と感じた18時時点で、私の中に生まれたのは、静かな怒りだった。
あんたらの正義って、そんな程度のもんだったのかよ。と、泣きそうになったからである。人の大切にしたいもの──署名した人の「大切にしたいもの」はそれぞれに違うだろう──を手玉にとって、自分が賢いポーズをとって、内輪をガタガタ言わせて冥土の土産にできれば、それでいいのか。
(洒脱だ、怯懦だ 国辱物だ、という語り口はまあなかなかの高齢であることを予感させるが、年齢推定の根拠に関しては私の過去記事を参照)
絶対安泰な匿名のところから(あるいは、架空の人物像を名乗り?)、賢者の警鐘のような形を借りてでしか自分の思想を表現できない人間の、ちゃちな自己承認欲求ゲームであるという事?
結局は、信念を持って公平さをもたらすなんてことよりも、自分がつかの間「惜しまれ、消される『賢者』であること」の方が、大切なの?
私の中に起こった嫌悪感は、「私が署名に賛同したから」生まれたものだと思う。一円も払っていなくても、それは心を分けるということである。そこにある正義を、少なからず信じたからである。
と、署名した者として率直に心証を語らせてもらったが、物事の一側面を見て(迫害自演なの……?!嘘やん)と意見を決めるのは大変危険でもある。繰り返される、ダウンロードができないだとか、保存ができない(=誰かに「妨害されている」)という主張が解せず、正直に言って真夏に冷や水をかけられていく気持ちを持ちながらも、それはまだ私の「推論」であるため、であれば直接聞いてみようと思い、翌日私は、サイト運営元に問い合わせをした。そう、これが問題なのは、「わたし」(署名賛同者)と「あなた」(署名活動者)の約束上に、独立した世の中の機関という第三者が介在している話だからである。Change.orgは、当然自社の信頼に関わる部分へ回答をする責務および、自社の行動についての説明責任を持つ。
その結果、以下のことがわかった。
(ちなみに私は学生時代のインターンを含めて日本テレビの報道部と企業の広報サイドを両方経験したことがあり、こういう場合、組織の広報がどう動くべきか、メディアへの問い合わせとはどんなものかについての基礎知識を持っています)
私からの質問事項と会社の公式な回答
私からの質問事項は、以下に公表されている同署名運動にかかわる事実関係の調査と公表をお願いしたい、というものだ。
発起人「赤門ネットワーク」さまは、貴法人より修正要請を受け反映をしようとしたが、貴法人のシステムエラーにより更新が不可能であり、要請を満たすことができないため削除されるであろう、とのを発言されています。修正要請への通告を行なった日(8月20日でしょうか)から期日とされていた8月23日までの間、貴法人のシステム上に、そういったシステムエラーは検知はされていらっしゃいますか。また、当初の文章より短くなるにも関わらず、「長すぎて不可」というエラーが出ることは考えられるのでしょうか。
同期間中、発起人さまから、システムエラーについての不具合の報告、あるいはご相談などが貴法人に寄せられた記録はございますでしょうか。
修正要請を通告したコミュニケーションの文面には、お問い合わせの電話番号、あるいは返信可能なメールアドレスなどの記載はございましたか。(あるいは、特段そういうものがなくとも、キャンペーン発起人は、システム経由以外の方法で、直接問い合わせられる直通のご連絡先を開示されていらっしゃいますか)
発起人さまは、「お知らせ(5)」上で、8月23日の午後に、その時点ですでに署名名簿のダウンロードができない状況になっていると発言されています。これは、貴法人側に意図があり、行った措置でしょうか。また、そうではない場合、「進行中」のキャンペーンの署名者名簿のダウンロードが不可になることは考えられますでしょうか。
期間内に文面への修正がなされなかったことから、本署名は8月24日付で、「終了ステータス」へと貴法人の意向により移管がされたものと理解しております。このvictoryステータスとなっている署名文は、今後、過去キャンペーンとしてこのまま閲覧可能な状態で保持を続けるお考えでしょうか。あるいは、さらなる通告を経て、キャンペーン自体の削除(非表示化)などへの予定がございますか。
本状況を踏まえ、もし貴法人のWebページ上にステートメントなどを公開される意図がございましたら、そちらを参照引用させていただく形にさせていただきますのでご教示ください。
それに対し、以下のように前置きする形で、こう回答があった。
得られた回答の要旨
そもそも2万字という文章は、規格的に、不可能なものであった
→これに対し、8月20日に「も」通達があったことは発起人側の記載から明らかであるが、「何度か」という表現に対し、それが8月10日に署名が立ち上がって以降すぐのことであったのか、20日がファーストコンタクトであったのかについて重ねて質問をしたが、それはプライバシーの観点から答えることができない、という答えであった。
→ラリーのやりとりもあったということがわかり、サポートは機能していたと考えられる。
また、何らかの妨害により、署名簿がダウンロード不可になってしまったという発言に対しては、以下の回答が得られた。
また、“「署名成功宣言」を出されたこと、および今後の対応について”として以下の回答があった。
また、お知らせ投稿で発起人が修正ができないと訴えていることを把握した上で、字数制限についてお伝えする連絡を再度していると明らかにした。
→つまり、8月24日に本署名を「終了ステータス」へ移行したのは、発起人であり、8月23日の「急に文字数に関するエラー表示が出て、更新も保存もなぜかできないから困っている」という吐露とは、だいぶ異なる見解が浮かび上がる。
しかし1万2千人を説得したアクティビスト・通称赤門ネットワーク殿は、彼らにとってスターであるため、100%その主張を信ずる人たちによって、ネットには悲しみと怒りの渦が広がっていった。
・姑息な方法で握りつぶしたのは、多くの人の心を踏みにじったのと同じ
・道徳とは?学問とは?コンプライアンスとは?
・言論の自由が保障されるはずの日本の現実
・宮内庁は国民心理を理解していない
・私たちの思い どこにいけばいいの
ところで、私がその文章に署名すると決めたは──傍観者でいることを含めて、この文章の批判に立つことに比べ、この文章が人により読まれる可能性に賭けて1票を投じた主たる理由は──、秋篠宮家の両親と周囲の大人たちの良心と責任を問う文章であった。
私は、この親の責任を問う姿勢に一票を投じた。本人が、もしかして「降りられないかもしれないけど、公開裸の王様を歩かされる宿命を背負わせている罪」にである。15歳、17歳、誰でも消したい黒歴史の一つはあるだろう。ただ、立場上、すべてを見られ、批評される宿命に生まれてきた人へ、親と周囲の大人の責任は、批判されても護れるように、人に説明のできる芯のある選択をさせ続けることである。自分なりの信念を持ち、意見の違う人と対話する姿勢を持ちつつも。でも、秋篠宮家の両親が子供にしてきたことはその逆ではないのだろうか。悪いこととはいえ、15歳の時の剽窃をずっと言われ続けるのは気の毒だ。ちゃんとした親がついていたら、その意味を理解し、子供与えられるダメージを最小限にできる方法で処理することを選んだはずである。それは賞を保持することではない。剽窃時代が問題というよりも、それ以上に問題だったのは、その事後対応であることは明らかだ。だけど大人であっても同様した時に正しい行動ができるかは難しいように、15歳の少年が当事者としてそれを冷静に処理できるかと考えると、それは、最終的には保護者の判断・選択である。
この親王は、また「感想文」を自由に書けるだろうか。
私ならきっと、もう書けない。
人生で初めての論文を公表されている編纂レベルですでに書いてしまい(もしくは書いたことになり)、この少年は、大学の研究室で、素直に論文の書き方、問いの立て方を先生に聞けるのだろうか?ずっと、御用学者が代わりに書き続け、自分の手で実現する喜びを奪われ、やがて大人になる少年は、いつしか「それを享受してきた立場」として憎悪や軽蔑に晒される事になるわけだが、それを「セットした」親は、皇嗣・皇嗣妃という立場に守られて、誰からもまともな批判を受けないのですか??
なぜ心理学者・教育者らは、この少年が取り上げ続けられている権利について論じないのかずっと不思議だった。良い環境とは、「レベルの高い環境」ではない。それは紀子さんが教育の残酷な競争を知らず、その表層(雅子さま=ハーバード、的な)の栄光だけを見て思う羨望の転嫁で、生きたことのないものの上澄みだけがほしいと夢想する浅はかさだ。鶏口牛後というけれど──成功と失敗を繰り返しながら、地に足のついた形で自信をつけていける心理的安全性の高い学校生活を取り上げられ(それはつまり、「え?なんでだろうね?よく分かんない、ハハハ」と笑いあえる友人がいて、背伸びや知ったかぶりをしなくても、物事に出会っていくことを純粋に喜べる環境という大切なものだと思う)、「あなたは親王なんだから」という特権意識のナラティブで自己否定感と疎外感だけを感じさせる環境に子供を起き続けるとしたら、それって教育虐待ですよ。「としたら」の但し書き付きだけど。
人は信じていたものに裏切られたと感じる時、怒りを覚える。たかが1週間くらいの気持ちでもこんななのだから、長い間皇室を心の拠り所、信じるものとしてみていた人達の怒り、あるいは、国立大学、東京大学という社会のある種の正義を長い間信じていた人達にとってそれが忿怒の情を誘うものであることは、想像に難い。この文章が接続するのはそういう「信じるものと、それが冒涜される構図」であり、この署名呼びかけ文が短期間で飛躍したのには、その怒りを煽るところにこそ理由があるのだと思う。
だが、その「言論抑圧されてますパフォーマンス」をしているように見える姿に、この署名の発起人に嫌気がさし、Change.orgのヘルプデスクに連絡し、署名を撤回させて欲しいと伝えた。8月23日の18時のことだ。
(FAQ上は、自分で撤回ボタンを過去メールから押せる仕様になっているとのことだったが、メールが見つけられずやり方がうまくわからなかったため、手っ取り早くヘルプデスクに連絡をして依頼をした)
ファーストコンタクトからすぐに自動返信のメール→担当者からのレスに変わり、数回のラリーを経て、半日も経たないうちに、反映が終わりましたと連絡が来た。
これは全て、私が、「連絡すればいいのに」と唖然としている傍で同時に起こっていた出来事である。したがって私は、サポートが機能しなかったという同じ世界で起こっているはずのパラレルな主張を尚更信じることができず、それを確かめるため、8月24日の夜の問い合わせへと至ったと補足する。
拝啓 「赤門ネットワーク」様
おじいさま、おばあさまと書き始めるべきでしょうか。あなた方がはじめてくれたことに、私は敬意を持っています。ネット上には、後半は不要だった、もっと簡潔にすべきだった、事実に基づく箇所に絞るべきだった、と私の解釈を含めて様々な意見がありますが、一度出されたものを、「あれがこうならよかった、ここがこうなら」というのは簡単です。あらゆる批評・解釈は、ファンダメンタルな「創造」というワンステップを除いて、存在しません。仮に、それがすでに「聞いたことがあるものを書いただけ」であってもまとめるということには価値があり、おじいさま・おばあさま方が、もし「他人が汗して調べ、汗して書いたものを盗んではならない」と感じているならば、それはその創造にかかる困難さを知っているからではないでしょうか。
SNSで、誰かの思考を引用し「そうだそうだ」とつぶやく人は多くいますが、その共鳴にかかる「手間」とイニシエーションの労力とは別次元であり、あの熱量の思想を文章にまとめ、署名サイトに投稿したという行動力には敬服します。その文章が、私を含め1万2千人以上の人の「考えるきっかけ」となったことは間違いありません。
また、50代なのか60代なのか70代なのかもしくは80代より上なのかは存じあげませんが、ネットやITシステムに関して、30代の常識を押し付けることは、間違っているの「かも」しれません。(私はアクティブなSNSユーザーとは言えず、フォロワーの桁数もご協力されているエトセトラジャパンさんの1/10程度の情弱ユーザーですけど。)
なので、ここで公開書簡という形で書かせていただきます。Change.orgは、今なお発起人に編集権があり(管理権が移ったようなイメージを抱いていましたが、それは誤りであるとわかりました)、文字数を8000字以内に短縮し、ガイドラインに違反しない形で更新すれば(※)、「今からでもこの署名は再開できる」と表明しているという事実を改めてお伝えいたします。技術上の問題であるという場合は、ヘルプデスクに問い合わせをすれば、必ずサポートをしてくださるそうです。
※ガイドラインに違反しない形で、という意味には、通達の通り誹謗中傷に該当すると思われる部分、根拠が不足している部分の削除が含まれているかと思いますが、どのような表現なら可能でどこからが不可なのかも、メールにて聞いてみれば、良いのではないでしょうか。もしご連絡先がわからなくなってしまったという場合、本noteの下記の連絡先から私にご連絡をいただければ、メールにCCを入れる形でお伝えさせていただきます。
署名賛同者の皆さまへ
この署名を、「大枠の文意を損ねない形で残したい」と思うのは、1万2千人が思っていることだと思います。そしてその1万2千人が知るべきことは、すべては──つまり署名が消されるも、消されないも──赤門ネットワークさん自身の判断であると署名サイトは公式に回答を出したということです。彼らによれば、発起人のアカウントに触れることができる唯一の存在が放棄しなければ、当初に予定されていた10月23日まで、この署名を続けることが可能であるということです。1万2千筆の想いを、ムダにしないでいられるということです。
拝啓 大手メディアの皆さま
私は、この件が全く報道されないことにも大変な不思議さを感じています。個人の誹謗中傷を含むから、触れられないのですか?両論併記をする形で、概要を紹介し、その賛否を批判することは、ジャーナリズムの仕事ではないのですか?
ここに書いたことは、私が目の前で経験したことに疑問を持ち、真実を知り、根拠に基づく皇室報道と言論の自由のある世界を願っていますとサイト運営元に連絡をした、メディアの記者でもない人間の問い合わせにより明らかになったことです。
Change.orgは、市民の意思表示のインフラ的な存在として認知を得ているサイトです。弁護士の宇都宮健児氏は、同サイトを用いて東京五輪の開催中止を求め、45万筆の署名を集めました。防衛省に対して、性被害の再調査を求め戦った元自衛官・五ノ井里奈さんの署名も本サイトを用いたものでした。2015年に、36年ぶりのひとり親家庭への児童扶養手当の増額の実現に繋がった署名(「子供を月五千円で育てられますか?貧困で苦しむひとり親の低すぎる給付を増額してください!」、3万8981筆)も同サイトを活用して集められたもので、発起人有志一同が首相官邸にて菅官房長官と面会をしています。そういう公的な機関が耳を傾ける署名サイトに、日本最大級の実績を持つ署名サイトに「何者かが圧力をかけ、不当に活動を停止させた」との疑いがかかっています。
ここには、国民的な関心事と言えるステークホルダーが2つ存在しています。「赤門ネットワーク」ではありません。皇室という国の象徴と、オンライン署名サイトの信頼性です。重要なのは、「手の届かないところにある権力」が庶民の議論を閉鎖に追い込んだという解釈が日本で最大規模のオンライン署名サイトにかけられ、それを当事者として感じた人間が1万2千人もいるという事実です。これは、(圧力をかけたと見られている)宮内庁の、ひいては皇室と国民の間の信頼を揺らがせ、メディアは機能していないという陰謀論を煽り、社会の不安を高める、無視するにはあまりに影響の大きな事件なのではないですか。
私は、驚きと怒りで問い合わせをしました。それは、私側にメディアとパブリックリレーションズの動きを知っている素養があったからそうなりました。でも、そういう知識は、知らない人の方が多いのです。疑問を解消する方法を持たない人はどうしますか。怒りと悲しみをSNSで表現します。そして、怒りが怒りを増幅させます。
圧力でシステム妨害がなされ、署名が停止に追い込まれたのだと信じている人がいます。メディアは、調査をしなくてよいのでしょうか。
「知らんぷり」「見ないふり」の生み出す罪深さを、自覚してください。最初の文章に「皇族に対する批判」が含まれていたら、大手メディアは言及を自粛しなければならないのですか?
「未成年皇族への誹謗中傷にあたる箇所」が含まれていたら、その存在自体を生まれなかった子のように黙殺し、ふりつもっていく付随されるアクションのすべてに「黙殺を通す」というのは、世の中に「ジャーナリズム」の光が当たらない、「言ったもん勝ち」の世界を生み出すことにつながります。
「知らんぷり」「見ないふり」の生み出す罪深さ
連日のように、皇族の洋服に関するウェブ記事を見かけます。
でも、私たちが知りたいのは、服の色ではありません。
ジャニーズ問題で、東洋経済に寄稿する形で日本語で最良の報道をした『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員レジスアルノーは、日本の報道状況を以下のように記しています。
さらには「バックのない弱いものばかり過剰に報道する」と、こう続けます。
私たちの国は、BBCとフィガロに言論の輸入をしないと、統治できないのですか?東洋経済は、自社で記事を書く代わりに、寄稿者に難しい主張を任せ、それを掲載することで「ジャーナリズム」を担っているとお考えですか?
価値観の番人は、この国にはいないのですか?レジス・アルノー記者が言ってることは間違っていると、見せてください。日本のメディアの矜持を見せてください。
これは、上記が起こっていた日(過去数日)の主要メディアの報道です。
8月23日からの署名運動に関する経緯の一切は報道されていません。上皇ご夫妻が軽井沢で思い出のテニスコートを歩かれたこと、悠仁親王がNice to meet youと京都でご挨拶をしたこと以上に、「公共性のあるもの」「報道に値するもの」とは、なんなのでしょうか。
読んでくださった皆様へ:
通常、ネットの声を紹介するときは、スクリーンショットを撮ってアカウント名とアカウント写真を隠す形で引用させていただくか(例1)、テキストで打ち、ハイパーリンクを発言者のアカウントにかける形(例2)にさせていただいておりますが(リンクをかけられた箇所には下線が引かれる)、今回は事実性が重要と考え、その処理をせずに紹介させていただきました。またタイムリーなことが重要で、なるべく早く出すべきだと考えていることも理由ですが、もし抵抗がある、自分のつぶやきを使わないで欲しいとお考えの場合、ご連絡いただければ順次以下の形に加工し、差し替えさせていただきます。
最後に:
メディアの方向けに書いておきます。本件に関して、「ネット上の声」として私を取材したい場合、取材に応じます。撮影や名前の公開にも(作家活動上のペンネームにはなりますが)応じます。一般人であるためそういうことをいうのは大変な勇気が要りますが、顔と名前がなければ報道されないのであればご協力しますので、意図と身元を明記の上、rina.hasumi at gmail.com までご連絡をください。
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