クリントン、アウンサンスーチー、雅子さま...?Oxford名誉博士号の歴史とは
2024年6月、令和の皇后雅子さまは、英国訪問の最終日にオックスフォード大学から名誉博士号を授与された。
そのことは、本当に嬉しい。でも宮内庁がどう扱ったか、それがどうメディアに報道されたかは、狐につままれたような気持ち。晴れがましい事実を意図的に最小化したがっているかのように見えるレイヤーと無知な(もしくは無邪気な)媒介レイヤーが掛け合わさり、そのニュースを享受する立場にあるはずの国民はなんだか置いてけぼりな感じ、というか。
真価が正しく社会に伝わっていない
たとえば、この二つの報道には、誤報 あるいは少なく言ってもミスリーディングと言える要素(太字は筆者によるもの)がある。
まず、名誉博士号は「学位」ではない。名誉博士号にはまぎわらしくも博士という文字が入っているが、それは儀式的なアワード(賞・栄誉の類)の一種であり、学術的なqualification(資格認定・免許状の意味)としての“博士号”と混乱しないよう、名誉博士号は履歴書・経歴書の類の「学歴欄」(Educational Section)ではなく、表彰や栄誉(Honors and Awards)のセクションに記載するよう大学側のホームページに記載があることが多いのはそのためだ。
ただ、「栄誉」であるからそれは気まぐれに温情で授与される、という意味でもない。オックスフォード大学は、名誉博士号を「本学が与える最高の栄誉」(“the most prestigious awards”)と定義し、学術的あるいは社会に対して顕著な貢献がある国内外の人物に与える、と記す。
2005年に同栄誉を授与したインドのマンモハン・シン元首相は、授与スピーチで、「今日は非常に感情的な日である…(中略)…私はすでに色々な名誉学位を持っているが、自分の母校から与えられるものほど光栄なものはない。それもオックスフォードのように、学位取得に夜遅くまで必死に勉強しないといけないようなところから与えられるものは」と語り、インドの外務省は、そのスピーチ全文をホームページに掲載する。
高位王族もしくは大統領であれば自動的にもらえる賞でもない
また、「この博士号は、オックスフォード大学総長が各国の元首や大統領などに贈るもの」とTBSの表現にも、少し首を傾げたくなる。
その一行は、あたかもこれは雅子さまの皇后という立場に、儀礼的かつ慣例的にもらえたんです、と言ってるかのようだが、日本の皇后陛下であれば授与してもらえるというのでであれば、なぜ美智子さまには授与されなかったのだろうか。意地の悪いことを言うようであるが、平成の皇后として英国を国賓で訪問した1988年、美智子さまも最終日にオックスフォード大学をご訪問されている(と宮内庁のHPの公式記録に書いてある)。そもそも、91年の時点では令和の天皇陛下(徳仁天皇)も皇太子であったため、その授与も慣例的に贈られたというより、「本人の資質と存在に対して贈られた」と考えるのが自然である。
まあ、なんで各国の元首や大統領に、オックスフォードが自分の大学の最高の栄誉としているものをばらまかないけないのか、という話である。「大統領と国家元首に授与される」という説明と、“公的な生活での役割(public service=社会への奉仕)を通して、社会の変革や進化に貢献したと見なされる世界中の公人を対象とし、政治家や優れた活動家、法学者に授与される”(=結果として国家元首であることもある)”って、似ているようで違う。
名誉〇〇博士に入る言葉の意味は奥深い
「名誉博士号」って、何?徹底解説
ところで、名誉〇〇博士という概念を理解すると、現状の報道(と宮内庁からの発表)にまつわる不思議さがよく見えるので、30秒で説明する。英語では“honorary degree”と呼ばれるあまり聞き慣れないその言葉の後半には、Honorary degree in Civil Law(名誉法学博士号), Honorary degree in Chemistry(名誉化学博士号)というように領域が必ず記載され、イメージとしては、ノーベル賞に、ノーベル文学賞、ノーベル平和賞と各種あることに、似ている。
オックスフォード大学では、毎年5〜10名ほどの個人を名誉博士号の授与者として選出するのだが(「名誉法学博士号」はその一つである)、ではどんな人物が同大学から名誉博士を贈られているか、見てみよう。
フランシス・アーノルド博士 (ノーベル化学賞受賞者),2023
→名誉化学博士, アメリカ人
ヨーヨーマ(米大統領就任式で演奏をする世界的なチェリスト), 2019
→名誉芸術博士,アメリカ人
ヌゴジ・オコンジョ・イウェアラ氏(世界貿易機関の七代目事務局長を務める経済学者。WTO初のアフリカ人にして初の女性局長), 2024
→名誉文学博士,ナイジェリア人
さすがの多彩さ……。
ところで、皇族として名誉博士号を授与されたのは、令和の天皇陛下と皇后陛下が初めてというわけではない。その一例が、上皇陛下や秋篠宮殿下である。だが、その二つのケースと今回がどう違うかは、実はその名誉〇〇博士( ”honorary degree in 〇〇”)の〇〇に何が入るのかという点であり、それは非常に興味深い。なぜならその「領域」を見て、その栄誉が向けられるものが公人としてのその人物と切り離せない領域に対して贈られたのか、それとも公人が私的に行う活動に対して贈られたのか、判断できるからだ。
平成のマスコミが作り上げた世間的なイメージとしては、雅子さまと言えば「私」、上皇や秋篠宮家は「無私」というナラティブで語られていた気がするが、名誉博士号が何に対して授与されたのから言えば、雅子さまに対するもの(名誉法学博士号, “Honorary Degree in Civil Law”)は公人の公的な奉仕に贈られるものであり、全分野のなかでも公人としての授与色が最も高いものである。同大学から名誉法学博士を授与された人物の歴史を辿ると、エリザベス女王2世(近年崩御した在位70年の英国女王)、ヒラリークリントン、アウンサンスーチー……
一方、上皇・秋篠宮殿下に対して授与された名誉博士は、彼らが私人として行った魚類や生き物という研究活動に対して授与されている。
ところで、オックスフォード大学の名誉博士号の選出対象になる個人の基準の一つに、以下の文章がある。
“who have played a distinguished role in public life, for example in contributing to progress and change in society”
“distinguished”とは、〔人が能力や功績などで〕名高い、著名な/〔行動や功績などが〕際立った/〔人の容姿・態度などが〕威厳[気品]のある、という意味だ。
つまり、「公的な生活で際立った役割を担い、たとえば社会の進化や変化に貢献している人物」。
Public life, 公的な貢献とは何か?
愛子さまを出産された後、雅子さまは適応障害の病気療養に入られ、平成の間、宮中晩餐会などの公的な場面からは長く遠ざかってこられた。そのお姿は、皇室という新しい道で自分を役立てたいと述べられたご婚約会見当時に思い描いたものとはおそらくかけ離れたものだっただろうし、そのことは長くご本人を苦悩させたことだろう。
でも、元気で明るく社会を照らすことだけが、「社会の変革や進化に貢献する」ことではない。ときに人は、自分が当事者となり苦しむことで、社会の課題を浮き彫りにしたり、することがある。
オックスフォードから雅子さまに向けられた授与式典の言葉は、どのようなものだったのだろうか。
それは単に、重責ある立場のPublic Serviceに対して敬意を称するというものだったのか。あるいは、もっと踏み込んだ何かが、あったのか。
それを知ることは公共の利益だと思うのだが、宮内庁は式典から取材陣を締め出されてしまったようで、映像はどこからも出てこず、また授与の理由も宮内庁の説明を伝聞的に媒介する手法でしか、報道されていない。
「30年前の優秀さに対して」?
ほとんどのメディアが、授与日から一週間後までの間の報道で、「天皇陛下が91年に授与されていたものと同じものを授与された」の一行ですっ飛ばすなか、6月30日の毎日新聞は唯一、その授与理由を記載した。でも……
……マジ?
30年前の一学生の優秀さに対して、あげる名誉ではないんですよ。
Yahooニュースに、こんなコメントがあった。 (太字は筆者によるもの)
私も30年前の優秀さに対して与えられるのなら、違和感です……w
こんなコメントもあった。
T.T
そうやって、推察するしか、ないですよね。
一方で、ズルじゃん、一瞬で博士号もらえるなんて皇族はいいね、なんてコメントもあった。そう、秘すれば花ではなく、秘するから疑問・誤解を呼び、誤解や憶測が国民の対立を煽り、ひいては皇室や宮内庁への信頼が毀損される。
もとい、宮内庁は両陛下の最終日の日程は「私的にオックスフォード大学へご訪問される」と発表し、各種報道(特に朝日新聞)はその表現を無邪気に拡散器で朗読したが、
どこをどう考えたらこの式典への出席を含むオックスフォードへの訪問が、「私的な訪問」なのだろうかと、不思議でならない。
それは本当に、「私的な訪問」だったのか
いや、私もオックスフォードを私的に訪問されるというニュースを聞いたときは、引き連れカメラなしでお二人だけで過ごせるのかな。よかったなと思い、植樹したというニュースの文字を見て、ほっこりしてた人ですが。あとでFNNの映像見たら、植樹って、めちゃくちゃセレモニーだったじゃないですかwww
てっきり、軍手して、タケノコ掘りの時みたいに、二人で汗かきながら植樹したのかなって、思ったら。9割9分植えてある小さな桜の木に、用意されている土から、スコップで二、三度、両陛下が交互に土をかけただけ。スーツ姿で、カメラの前で。
そして、そのあとは日本人留学生と懇親会。大学総長との食事。もうそれって、オックスフォード大学と日本の親善活動のど真ん中……
パルテノン神殿を見に行くのは公務で、これは公務ではないのか???
サプラーイズ!の訳はない
さて、話を戻し、では宮内庁はどのタイミングでこの情報(名誉学位の授与)を把握していたのかということであるが、この栄誉の性質からして、来校されました!じゃーん!!サプラーイズ!ということは、あり得えない。
一方的に授与できないのが勲章や栄誉の類で、事前に、"Would you be willing to accept an honorary degree?"(あなたに名誉博士号を授与したいのですが、快諾してもらえますか?)と打診があって、返答をした上に授与されるものであるからだ。
そうです。我が国の皇后陛下という公人の社会の奉仕に対して世界を代表する大学から最高の栄誉を授与されるというイベントを含まれたオックスフォード大学への訪問を、宮内庁はなぜ「私的に訪問」と発表したのでしょうか。
なぜと考えると、仮説は2つ。
仮説①:
雅子さまの側近は、事前に名誉博士号の話を公開すると、どうしても横やりが入ると考えた(LIVE中継なんて夢のまた夢)。しかし、雅子さまの30年を知る側近たちは、どうしてもこの瞬間を死守したい。この事実を歴史に残したい。そのためには、こうするしかなかった。
だって、宮内庁のインスタは、皇后陛下がこの名誉法学博士を授与された、という文言すら登場しないんですよ。お二人でオックスフォードを訪問しました、ってさらっとしたまとめ投稿の一部に、雅子さまの式典の写真が「お尻の方に」こっそりあるだけ。。。
って誇大妄想狂みたいに思われそうだから、「今、雅子さまが活躍すれば、それを快く思わないであろう人物がいること。面白くない人がいる」と報じた皇室記者大木さんの現在ビジネスの記事を置いておきますね。
もしくは、
仮説②:
宮内庁サイドに、「名誉博士号」が何かわかるスタッフがいない。その授与が持つ意味を記者に補足説明したり、その歴代授与者にはどんな人物がいたのかのリサーチさえできない。だから報道関係者が誤解しないようにする配慮もなければ、その公的な性格を理解できなかった
………。
かくして、次にいつそんな名誉が日本の公人に与えられるのだろうかという瞬間は、国民の手の向こう側の幻に終わったのだった。映像、なし。
(ちなみに、ここに、オックスフォード大が公開している、授与式の映像が入ったアウンサンスーチーのスピーチの様子が見れるので置いておく。雰囲気はこれで少しわかる。)
X(旧ツイッター)に、一人で立つ雅子さまの授与式の一枚の写真に感動したというコメントがあった。
わかる!!わかる!!!わかる!!!
たった一枚の写真ですら、そうなんですよ。宮内庁!聞いてんのか!
雅子さまが病まれたことは知られた事実で、そこからの回復は、国民の希望でもあると思う。病気になっても、そこからまた立ち上がれる。
雅子さまは、療養からのリハビリを兼ねて国連大学の聴講生として学ぶことを続けてこられたという。皇太子妃って、国際関係学の論文書けるわけじゃないし(政治に関する発言をしてはいけない)、皇室外交の立場に立たせてもらえなかったら、どれだけ学べどそれを活用できることを体感できる場面が本当に限られていて、孤独だと思うのですよね。でも、30年活躍する場と縁がなくても、腐らず自己研鑽を積み続ければ、人生の後半にこんな報われ方をするかもしれない。見ている人は、いる。
そんなメッセージでもあるし、女性活躍の意味でも、こんなインパクトをもたらせるニュース、そうはない。
最後のYahoo!ニュースのコメント紹介は、こちら。
Totally.
(完全同意、みたいな)
<了>
追記
(※ここまでの予定だったが、7月6日の朝日新聞を見て以下を追記)
訪英から一週間後、朝日新聞(2024/07/06 11:49)は、6月30日の毎日新聞をわずかに上回る報道を、以下のようにした。(太字は新情報を示す)
しかし、国民がまだ知りたいのは、「貢献したこと──。」と以下略のように丸められている、“ダッシュの中にある部分”である。
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