9月入学を考える(2) 〜 子供たちの損失を考える
教育機会の不平等や地域間の格差を生じさせないことはとても大切なことである。しかし、何より9月入学と2−3ヶ月の遅れを取り戻すことを同時に議論すべきではないと私は考える。手段と目的を取り違えているからだ。まず2−3ヶ月の遅れをどうやって取り戻せるか?この目的を達成できる方法について整理すべきである。
<遅れを取り戻す方法>
1:9月入学にしてズラすことでカバー
2:補講でカバー(夏休み、土曜日、夕方授業)
3:試験を行なって点数が足りない学生は留年としてもう1年やり直す
1は置いておいて、2の補講についてまず語ろう。
私が高校3年生の年、台風が頻繁に日本列島に訪れた。私の地域では9月と10月はほとんど休校となり1ヶ月と少しの期間授業を受けることができなかった。状況で言えば今よりも絶体絶命的な状況だった。数日、あるいは1−2週間程度の休校はあっても1ヶ月単位で休校した期間は前例がなく、県の教育委員会も補講をとにかく卒業式まで徹底的に行うことでその損失を補った。受験生だった私からすれば補講は迷惑極まりなく大学受験に直接関係もない授業を強制的に受けされられつつ、ろくすっぽ話を聞かずに受験勉強に専念をしていた記憶がある。もちろん私のような不真面目な人間は世の中にはあまりおらず学校の教師の教えをコツコツ学んで知識を育んでいる人が日本では一般的ではあろう。補講で十分まかなえるのだ。しかもまだ始まったばかりでやり直しはいかようにでもなる。
次に3の試験を行なって点数が足りない学生は留年としてもう1年やり直す方法だ。教育を平等に受けたいと思う学生もいるだろう。または今は思わなくとも将来的に教育を受けていた方が良かったと後悔する結果になる学生もいるだろう。それは可能な限り国は支援すべきだ。だが日本以外の国で(特に日本はコロナの影響が少なかった成功した数少ない国とのことだが)教育の開始時期をズラす国はあるのだろうか?世界的な動きであれば世界に対して4月入学を勧めてみてはいかがなものか?
ズラすことは多大な損失が発生するのだ。その損失は各学生/生徒が被ることになるし日本社会全体にも及ぶのだ。仮に半年今の学生/生徒の教育期間が半年伸びたとするならば、彼らの生涯賃金も半年分失うことになる。幼稚園年長から大学4年生までの人口でそのようなマイナスが発生するのは日本の経済にとって大きなマイナスだ。しかも労働人口が足りなくなる最中にそんなインパクトのあることをやってもいいのだろうか?20年後の未来を見据えた政策かどうかを慎重に考えてもらいたい。
さらには優秀な学生こそコロナとは無関係に勉強に励み自律的に知識を身につけていることだろう。そのような彼らが社会で活躍する期間を短くすることは最も避けなければいけない。飛び級が例外的な日本にとって、早く上位の教育を受けることを望み、早く社会に出てチャレンジをすることを望む学生はたくさんいる。私は教育機会の不平等や地域間の格差を生じさせないことは大切だが、優秀な人間の足を引っ張ることがどれだけの国家の損失になるかを考えた方が良いと言いたい。
だからこそ教育の平等を貫き通すのであれば、年度末にテストをやって満ち足りない学生は留年させる。その費用は国が全て負担すべきだ。そもそも9月入学についても国は家計が負担することになる費用を負担することを考えているのか疑問だ。財政を知っていれば軽々しく9月入学と言えないはずだ。
まとめると実際は2で検討した方が常識的と私は考える。そして繰り返すが9月入学と2−3ヶ月の遅れを取り戻すことを同時に議論すべきではない。最後にたかまつななさんが藤原さんのインタビューを掲載していてとても参考になるので読んでください。