新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として 厚生労働省 首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
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藤原和博さんから、子どものための本気の寄稿文「コロナと学校教育」

 「9月入学」が本気で議論されている。新型コロナによって、遅れた学習を取り戻すために高校生から声があがり署名活動が始まった9月入学。取材実感だと今週1週間が山場だ。国民の世論で変わる可能性が高いと私は思う。
 エビデンスに基づいて、メリットデメリットを洗い出した上で検討することが必要だと考え、中室牧子さん、藤原和博さんと、下記のオンラインイベントを企画しました。教育経済学者の中室先生は自民党でのワーキンググループでご講演され、藤原先生は公明党のワーキンググループでご講演されました。より多くの方に参加していただくために参加費は無料とさせていただきました。

■イベントページ/参加登録
https://200527.peatix.com/

 そして、藤原和博さんから「コロナと学校教育」をテーマに、子どもたちのための本気の寄稿文をいただきました。およそ3万字……。アツ過ぎる!!!
    読み応えがありますし、議論の論点がわかりやすく書かれています。賛成の方も、反対の方も、迷われている方も、ぜひご一読下さい。
 
                          たかまつなな


※これ以降は、教育改革実践家の藤原和博さんの寄稿文です

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藤原和博(ふじはら かずひろ)
教育改革実践家
元リクルート社フェロー/和田中学校・一条高校元校長
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 コロナ災禍によって3月から学校が閉鎖され、通常の学校教育活動ができなくなった。動きが早い塾では3月からオンラインに切り替えたところもあるし、私立の学校でも4月からオンライン授業が始まった。

教員も在宅勤務で生徒のフォローができないことも

 一方、公立校には、3月初旬に児童生徒に1回だけ会ったあと休校になってしまい、4月初旬に1日だけ分散登校させ玄関前でプリントを配ったが、その後新しい学年の学級を招集していない先生もいる。教材研究の名目で自宅勤務しているのだが、個別に生徒のフォローをすることは全くできないと嘆く。
 オンライン以前の問題なのだ。

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オンライン学習ができる/できないで広がる格差

 受け持つ児童生徒が家庭でどう勉強しているのかを先生が全く知らないという状況は異常だが、個人情報保護条例をエキセントリックに解釈している学校では、子どもに直接アクセスしようとしても、連絡網を作っていないからできないのだ。
 ちなみに、私が和田中の校長時代(2003年~2008年)にもこの問題が議論になったが、緊急時のことを保護者に理解してもらい、連絡網は作っておいた。
 2016年から2018年まで勤務した奈良市立一条高校では、後に語るように全生徒の個人所有スマホをWiFiでつなぎ授業中も生かして使う「スーパースマートスクール」を目指したから、Cラーニングというシステムを介して生徒と先生はつながっている。コロナ騒ぎが始まってもオンライン授業への移行はスムースだったようだ。

 オンラインで自律的に学習している子とそれができない子の間に格差が広がっていることは間違いない。とくに中学生以上だと半分は塾通いをしているからすでにオンラインで学習のフォローが効いているし、学校の先生とは別に、リクルートのスタディサプリやDMMイングリッシュなどでネットの向こうに特定教科の気に入った「恩師」を見つけた児童生徒は自分で勉強を進めているだろう。
 先取りしてどんどん進めるから、学校の進み具合より早い可能性もある。

 一方、家庭にWiFi環境がなく、YouTubeをサクサク見られない、経済的に厳しい児童生徒(ひとり親世帯を中心に貧困家庭の子は全体の6~7人に1人と言われる)は、誰にもフォローされないで放って置かれている。勉強どころではなく、ネットゲーム三昧で生活習慣を乱しているかもしれない。
 この間、給食もないし子ども食堂もほぼ閉まっていた。虐待が熾烈化する可能性も含めて、コロナ以前には学校の先生が苦労してフォローしていた役割を誰が担うのか。地域社会の力も弱まっているから、改めて学校の再開が待たれるところだ。

 さて今回は、5月12日に放送されたNewsPicksの特別番組 TheUPDATE 「オンライン教育は日本を救うのか?」で行われた議論(ゲスト夏野 剛/高濱 正伸/松田 悠介/稲葉 可奈子/藤原 和博)の内容も踏まえながら、コロナと学校教育について、私の教育改革実践家としての論点を、改めて文章化してみようと思う。
 子どもが学校に行けないこの時期に、親子が共に「学校ってなんだろう?」という本質を考えるきっかけにしてもらえたら幸いだ。

 教育問題は多岐にわたるから、ここではテーマを絞ろうと思う。
 まず文部科学省にいちいち文句をつけることはしない。広く教育を論じる場合は文科省の領域である「スポーツと文化芸術」や「科学技術」も入ることになるが、ここでのテーマはあくまで学校教育と大学。それらとコロナ問題との接点だ。
 したがって主に論じるのは、コロナ災禍下での学校での「新しい生活様式」としての「オンライン教育」と「9月入学制への移行問題」。
 さらに、本質論としての「学校ってなんだろう?」「先生の役割は変わるの?」についても触れる。

 <オンライン教育について>

 オンライン教育を進めるには、ハード面の整備とソフト面の整備が歩調を合わせなければならない。ハード面については、コロナ以前から政府には「GIGAスクール」構想があり、補正予算にも大胆な予算が組み込まれた。
 だから、ここでは、運用面の問題に絞って語ろうと思う。

 まず、「オンラインか学校かではない」ということを最初に断っておきたい。

 日本の社会では手段が目的化しやすいので注意したいからだ。今更言うまでもないかもしれないが、レストランでワインを嗜むのは会話を楽しむためなのに、ワインのうんちくでお客の会話を台無しにしてしまうソムリエがいる。バレンタインデーは本来大事な人に打ち明けられない思いを伝える手段としてチョコを使ったにすぎないのに、あの子にもこの子にもと大量に買い求めたり、自作のチョコをキッチンで増産する仕事が娘たちの苦行になってしまった。コロナ騒ぎでも、マスクの使用が必須の手段のように崇められ、一時は医療用マスクまでが不足する事態に。

 私が言いたいのは、オンラインをやれば教育が豊かになるわけではないし、ましてや学校の教育力の地盤沈下が止められるわけではないという事実だ。
 さらに言えば、子どもたちにとっても、先生が学校でオンラインを使えば、自動的に前より授業に興味がわいたり、理解が早まるわけではない。

 ようは、運用次第なのだ。

 ここで、学校の教育力の低下は、コロナ以前から起こっていた事実について触れておく。それには大きく2つの理由がある。

 一つは、小中学校の教員60万人の年齢構成の問題だ。
 50代の教員が35%を超えるのだが、学習指導と生活指導のノウハウを蓄積したベテラン教員はあと10年で現場から消える。60代の教員/元教員も多かったから、30代、40代の教員の層は薄い。だから、東京や大阪のような都市部では慌てて20代の新規採用教員を増やしている。ところが、教員の人気が下がる中、採用数を増やすものだから、応募採用倍率が激減し急速に質が低下している。

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(参考)公立学校における本務教員の年齢構成

 東京は3000名を超える採用をしているが、応募採用倍率は3倍を切っていて(内定辞退もあり実質2倍とも言われる)、かつて10数倍あった時代から隔世の感がある。私企業での常識は、7倍を切ったら社員の質が下がるとも言われる。
 断っておくが、これは本人たちのせいではない。応募する学生はみな一所懸命努力している人物だと思う。
 でも、構造的な問題で、全体としての質の低下が起こっているのだ。

 私が常々「20代教員には武器を持たせなければいけない。それはWiFiにつなげた端末を含むICTという武器だ」と主張する根拠もここにある。50代、60代のベテラン教員が使わなかった武器を持たせなければ、全体の質は下がる一方だ。

 もう一つの理由は児童生徒の側にある。
 子どもが、大人の社会と同じように多様化し、家庭の事情が複雑化し(離婚も虐待も増えている)、変化が激しくなったために、学習の到達度にも格差が開いた。
 いわゆる「学力格差」の問題だ。

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昔は「できる子」「普通の子」「できない子」が標準偏差のグラフのように、真ん中に7割方が含まれる形で存在していたと思う。

 でも今は、この構成が「ふたこぶらくだ」化している。教室には、塾に通っていてもうその単元が分かっちゃってるお客さんがいる一方で、落ちこぼれて分からなくなっている子が大勢いる。

 たいていは小学校の3年生の「算数」でつまづく。
 それまで「2つのイチゴと3つのリンゴで合わせていくつ?」と具体的な生活に即してやっていたのが、急に分数と少数、おまけに図形まで出てくるからだ。5分の3なんて今の子どもの生活には存在しない。団塊の世代なら、5人の兄弟に3つリンゴしかなかったらどう分けるかは現実の問題だった。でも今の子は、兄弟がいても、それぞれに2つのイチゴと3つのリンゴがある豊かな社会の中で育っている。

 ここで抽象概念の扱いが頭に入らないと落ちこぼれてしまい、中学の数学でもつまずくことになる。

 学校での一斉授業は、どうしても真ん中へんの「普通の子」に向けてやっているから、「ふたこぶらくだ」化が進んだ現状では、(キツイ言い方になるが)いない層に向けて授業をやってると表現した方が正しいかもしれない。
 つまり、黒板があって教壇に教師が立ち、一方に机があって児童生徒が黒板に向かって座る教室配置で、教科書をもとに「一斉授業」をするのは、コロナ以前から無理があったのである。
 言葉を選ばず言えば、教室での一斉授業はもうすでに賞味期限切れか、10年以内になくなって良い学習スタイルだった。

 以上2つの理由から、学校の教育力はコロナ以前から地盤沈下していたのである。その前から、家庭では核家族化、少子化によって、家庭の教育力は低下していた。子どもが揉まれないからだ。また、近代社会は効率第一の産業主義を重んじたから地域社会を崩壊もしくは後退させ、地域社会の教育力も弱まってきていた。
 本来、子どもは「家庭」「地域社会」「学校」が三位一体で育てるものだが、先に「家庭」と「地域社会」の教育力が弱まり、ついに「学校」の教育力が弱まり始めたのだ。

 このことは、子どもたちに学力をつけるプロセスにおいて、学校の支配が弱まった、と捉えることもできる。
 学校の支配が弱まり、公文やベネッセ進研ゼミ、塾や予備校、そしてスタディサプリや東進ハイスクールやDMMイングリッシュなどの民間サービスが、学校教育を補完するものとしてではなく、メインのコンテンツにのし上がりつつあると言えるのかもしれない。


 さて、そうした背景を理解した上で、オンライン教育の議論を始めよう。
 まず、オンライン教育の運用を論じるにあたり、以下に述べる3つのポイントを無視して話を進めても意味がない。
 「オンライン!オンライン!」と叫んでいるだけでは格差は広がり続けるだろう。成熟社会では、学校にかかわらず、すべての現場は多様化し、複雑化し、変化が激しくなるのが常だから、一見、平等に見える一律「一斉」の政策は、やればやるほど格差を助長してしまうという矛盾が出る。地方自治の場でそれぞれの地域社会の実情を踏まえて市民の目を見ながら、学校であれば一人一人の児童生徒の反応を見ながら「バラバラ」に政策判断していく方が非効率に見えても実効が上がる。
 では、各論を述べていこう。

 一つは、成績上位者(例えて言えば偏差値65程度以上)とそれ以外の子とでは、自律的な学習をやらせた場合、大きくその効果に差が出る現実がある。
 学齢期から言っても、高校生には無理はないけれど、小学校低学年に自律的オンライン学習は厳しいだろう。

 二つ目は、学校にWiFi設備が打たれ、家庭でも学校から配信されるオンライン学習が日常化したとしても、その中身が旧来型の一斉授業だったら、最初は珍しくてもやがてはリアルな授業と同じように子どもが飽きてしまう現実。
 だとすれば学習効果も薄い。つまり、オンライン、オンラインと学校の教員に言うだけだと、予算がつけばやるだろうが、そこでAIロボット時代にふさわしい進んだ教育が行われるとは限らないということ。むしろ、旧態然とした教育がそのまま動画に乗ってサポートされるだけという姿になりがちだ。

 三つ目は、家庭でのオンライン学習では経済格差がそのまま出てしまう現実。

 これらの現実を踏まえて、私からのオンラインのプランは次のようになる。
 

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 TYPE1 放っておいても自分でできる子は勝手に進ませろ

 まず、自分でカリキュラムも時間割もマネジメントできる子(たぶん偏差値65以上の子)はなるべく学校に来ないでオンラインで学習すれば良い。つまり「積極的不登校」のすすめだ。主に義務教育を修了した高校生をイメージしている。
 その時の先生は、学校の先生に限らず、ネットの向こうの恩師を自分で捕まえればいい。自分の担任の英語の先生より、例えば、スタディサプリの関正生先生の方が教えるのが上手なら、勉強の効率も上がるだろう。もちろん、塾講師でもいい。

 ちなみに、今から50年近く前の話になるが、私自身は高校3年の夏に、バリバリの理系クラスにいたにもかかわらず物理と化学の授業がつまらなくて文転。2学期からの大半の授業が受験科目と関係のないものになってしまった。
 受験に有利だと判断し受験科目として選択した「生物」と「地学」は1、2年で終わっていたし、「地理」と「世界史」も3年生の科目ではなかった。週に5コマ以上あった数3も受験ではいらない教科に。なので、自分で勉強カリキュラムを編集し、個別に先生にお願いして授業中に別の受験科目の勉強をさせてもらう許しを請うことになった。「教室内不登校」というわけだ(笑)。

 進学校にいる生徒は、例えば東大や京大を目指すとか医学部を志望するとか、相互刺激しながら学び合っている側面もあり、その集団としての力が学校で生きている場合が多いのも事実だ。
 だから、進学校では、相変わらず先生の授業を受けながら、放課後の図書館などでオンライン学習する併用型になるだろうと思う。

 勉強で頑張るタイプの子は、次に述べる「運命の子」カテゴリーのうち「勉強」という競技におけるアスリートだとも言えるから「勉強アスリート」と呼ぼう。
 
 フィギュアスケート競技のオリンピアン・紀平梨花さんに代表されるような、早期に自分の前半の人生のテーマを決めている「運命の子」がいる。こういう「運命の子」にとっては、自分のテーマに沿った学びに集中する必要があり、あまり余計な授業は受けたくないのが本音だろう。だから、N校のように、できるだけオンラインで学んで高校卒業資格が得られるスタイルが普及するべきだろう。
 昨今では、ホリエモンなどの起業家がフリースクールを設立するケースも相次いでいるが、高校生にはもっと多様な選択肢が示されて良いように思う。

 高校は義務教育ではないのだから、普通高校以外で自分のテーマを追いかける子が300万人の高校生のうち、半分くらいはいても、いいのではないか。
 ましてや、AIロボット時代には「普通高校から普通の大学へ、そして普通の大企業へ」という道はやがて閉ざされていく。普通の綺麗なホワイトカラーの仕事がAIやAI武装したロボットに奪われていくからだ。
 中間管理職という存在自体に、賞味期限切れが近づいているのだ。
 だからN校には現状の1.5万人ではなく150万人の生徒獲得を目指せと言いたい。



 TYPE2 学校の教室ではオンラインで「最高の先生」の動画を活用せよ

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 一方で、学習への動機付けや、どう学ぶのがいいかのオリエンテーション、あるいは褒めたり叱ったりのフォローが必要な子が大半だろう。
 この層が7割方かもしれない。この中間層がオンライン学習で伸びれば、社会的な意義はとても大きい。だから、この層には学校での本格的なオンライン教育が施されて良い。やり方はこうだ。

 一言で言えば、教員と動画とのハイブリッド授業になる。
 コロナ直後は三密を避けるために普段より少人数で授業を行うことになるだろうが、できれば飛沫を飛ばさない工夫も必要だ。熱心な先生ほど唾を飛ばしながら喋っていることも多いから、ここは考えどころになる。教壇と児童生徒の机の間にビニールシートを天井から吊って授業を再開した学校もある。再開したこと自体には拍手を贈りたいが、なんとも不自然だ。

 そこで、画期的な工夫がある。
 先生も児童生徒と同じサイドに座り、黒板に向かって児童生徒と一緒にスクリーンを観る方法だ。
 スクリーンに映し出すのは、その教科のその単元を教える「最高の先生」の動画である。「最高の先生」の選択は、本来は児童、生徒の投票に任せられるべきだが、当初は担任の先生自らの動画でも認めることにする。

 YouTubeでこれだけ授業動画が豊富にアップされているのだから、例えば「数学」教科で「立体」を学ぶのに、全国で一番教え方が上手い先生はいるはずだ。
 もちろん、児童生徒にも好みがあって、合う、合わないはある。男女でも好みは違うかもしれないし、難しい概念でもドラえもんやポケモンのキャラクターが教えてくれるなら理解しやすいという子もいるだろう。
 
 担任の先生は、直接児童生徒に語りかける方法ではなく、横に寄り添って動画が教える知識をサポートし、わかりにくいところを止めたりリピートしたりしながら解説を加え、授業を進行していくのだ。もちろん、練習問題をやらせることも。
 ファシリテーターの役割である。

 よく、学校現場を知らない評論家が「これからは教える必要はない。コーチングが大事だ」と主張したりするが、私が言うのはそういうことではない。
 教えていいのだ。教員は遠慮なく教えていい。
 ただし、自分の不得意な分野もあるだろう。小学校の教員だったら、社会と国語は得意だが、算数と理科は苦手というように。苦手な教科なら「最高の先生」をYouTubeから探してきて、それを見ながら児童と一緒に自分も学べばいい。

 中学の教科の先生でも同じだ。英語を教えるのに、自分は必ずしも発音が良くないと自覚している先生は多い。だったら、ネイティブのわかりやすい授業動画を見ながら、自分は進行役に徹し、どうも理解が進まない生徒を見つけて横から助けてやればいい。文法上のことなどは、繰り返し暗唱が必要な箇所もある。対話(ダイアローグ)で覚えるものは、コロナ禍の教室では前を向いたまま隣の生徒とやらざるを得ないから、それを仕切るリーダーシップも必要だ。
 「最高の先生」とコラボしながら、遠慮なく教えていい。

 ただし、これで授業がダメな先生や「最高の先生」の動画を選んでファシリテートする能力に欠ける先生は、全国学力調査ではっきり結果が出ちゃうから、淘汰されていくだろう。

 放っておくと、たとえオンライン授業のための設備投資が行われハード上の課題解決が進んでも、ソフトがまるで進化しないことは十分考えられる。
 学校のカルチャーが「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」だということはたびたび指摘しているが、このままではオンライン授業を始めた公立校のサイトは、黒板を背にひたすら解説する「教室での一斉授業そのまま型」と、決して美しいとは言えないパワポを表示してひたすら教科書を読み上げる「パワポ読み上げ型」の2つのタイプに埋め尽くされるだろう。

 グーグル登場以前にネットスケープを利用した世代は覚えていると思うが、インターネット上にwebというものが一気に溢れかえった時期、加工度が低いゴミのようなwebが溢れかえっていた。その再現だ。
 そうならないためにはグーグルのような評価機能が必要だし、ダメな動画は外されていくべきなのだ。そのためには、「最高の先生」システムにダメ動画を淘汰させる機能を実装しなければならない。

 だから、生徒固有のスマホにその評価機能を持たせるのが次の手だ。

 高校では、全校でWiFiを導入し、生徒固有のスマホを常時接続して授業を立体化する。一条高校で試みた方法である。

 何がいいかというと、先生がわからない言葉を発した瞬間、生徒はいちいち手を挙げることなくググってその言葉の意味を解明できる。
 また、Cラーニングのようなソフトを入れれば、生徒からの意見の聴取や質問が取りやすくなる。「意見のある人、手を上げて!」とか「質問がある人、手を上げて!」と言っても、40人の教室で手が挙がるのはいつも8人程度だ。小学校から手を挙げ慣れている成績優秀児5人と、目立ちたがり屋の3人くらいじゃあないか。あとの32人はその時点で脳が止まっている。
 そうではなくて、「はい、全員スマホから意見を述べてください」「スマホから質問してください」とやれば、一条高校でやった実践では、軽度発達障害の子を含めて全員の意見や質問が前方のスクリーンに表示される。
 だから、みんながどう考えているか、どんなことを質問しているか、どこまで理解しているのかをクラス全体で共有しながら授業を進めることができる。

 アンケートと同じように気軽にLINEに自分の今の気持ちを打つ手軽さで意見や質問が発信できるから、参加性が格段に高まる。両手フリック入力に慣れた子などは喋るより早く2分間で200字くらい打ってくる。パワポで6行分くらいの文章をだ。
 記名式にも出来るが、一条高校では無記名で通した。その方が遠慮なく自己開示ができるからだ。場合によっては、一旦打ち始めたけれど「これじゃあ意見になってないな」と送信ボタンを押さない子もいる。無記名だから、極端な意見や突飛な質問も遠慮なくつぶやける。これが最大のメリットだ。

 文科省でもよく、これからの時代には「思考力・判断力・表現力」が重要だというけれど、予定調和ではない想定外の事象に対する「思考力・判断力・表現力」は学校の先生でも心もとない。
 いや、多分、学校でこれを教えることは不可能だろう。
 でも、生徒が学び取ることはできる。もちろん、不断の練習を通じてである。
 これを促すには、スマホから頻繁に意見や質問を言わせる工夫が大事になる。つまり、「思考力・判断力・表現力」は知識を詰め込めば自然にできるようになるものではなく、意見を言う練習量が圧倒的に必要なのだということ。
 このためには、Cラーニングのようなツールを通じて、しょっちゅう自分の意見を言わせることを学校で習慣化したほうがいい。

 おまけに、スマホ併用授業の意外なメリットは、授業を生徒が評価できること。
 今終わった英語の授業に対して「1、よくわかった」「2、まあまあわかった」「3、あまりよくわからなかった」「4、まったくわからなかった」の4段階評価で、生徒のスマホからフィードバックを取るのだ。2秒でできる。
 即時に円グラフで表示することも可能だ。
 一条高校の若手教員の中には、毎時間つなぎっぱなしにして授業に対する評価を聞き、フリーコメントを書かせている猛者もいた。フリーコメントの中には「眠い、眠い、眠い、寝ミー~~~~~!」ってな者も混じっていたが、なかなかおおらかでいいんじゃあないかと感じた。

 本当は、合わせて、次のような相対評価もしてもらいたいところだ。
 みなさんは、公立の学校の授業にどれくらいの費用がかかっているか、知っているだろうか。

 小中学校でだいたい1年に100万円、高校だと150万円は税金から投入されている。7割以上は教員の人件費だ。公立の授業はタダだと勘違いしている生徒も多いが、何より校舎には10億円以上かかっているし、黒板も白墨も私企業の製品だ。教科書だってタダではない。民間企業である教科書会社が出版したものを国と自治体が買っている。さらには電話代、水道代、ガス代や電気代などの光熱費。エアコンをブン回せば夏も冬も電気代がかさむしプール一杯を満たす水も数十万円はする。

 さて、ここで問題。

 では、それらをひっくるめて考えた時、児童生徒が受けている「授業1コマ」のコストは一体いくらだろう?
 答えは、小中学校ではだいたい年間で1000コマの授業が行われるから、100万円÷1000コマ=1人1コマ1000円かかっていることになる。高校では通常夏休みに補習が行われるからそれも合わせて1500コマ程度の授業となる。同じように割れば150万円÷1500コマで、同様に1人1コマ1000円だ。
 つまり、授業の値段は1コマ1000円。高校生が映画を観るときの値段と一緒だ。

 このことから、私は校長時代、常々教員に「今終わった英語の授業に生徒のすべてから1000円のおひねりが飛んでくる価値があったか?」・・・自ら振り返って欲しいと要望していた。
 実は、生徒に5時間授業がある日の朝1人5000円もたせて、それを1コマの授業が終わるごとに先生に渡すか渡さないかを考えさせるようなチャレンジも一度はしてみたかったのだが、さすがにそれはやりすぎだろうと諦めた経緯もある(笑)。

 教育改革の議論でよく「バウチャー制」という議論が出てくるが、これは、税金を教育委員会に委ねるのではなく直接保護者もしくは児童生徒本人に渡して選択を任せ、公立校、私立校、塾、予備校、スポーツ芸術のスクールなど、どこの教育機関で学んでもいいようにする制度のことを言う。
 小中学生には1コマ1000円のチケットを1000枚(100万円分)、高校生なら1500枚(150万円分)をもぎりやすいバウチャーチケットの束にして渡し、どこで授業を受けても1コマ1枚を渡せばいいようにするわけだ。

 授業がオンラインになると、このシビアさが益々要求されることになるだろう。
 リアルな先生とネット上に動画を公開する先生の違いが曖昧になって、授業の質に関する競争が起こるからだ。
 私の経験から言って、子どもたちは目の前で起こる授業というイベントが、リアルかバーチャルかは、それほど気にしない。ゲームをやり慣れているからということもあるし、生まれた時からリビングにあるTVは家族の一員だった。
 オンライン授業を普及させることは、だから、授業の品質を上げることにつなげなければいけない。

 オンライン授業というのは、本来、従来型の学校の先生による一斉授業をただオンラインで再現したものではない。この認識が重要だ。
 児童生徒の側から、いかにしてフィードバックを取り、子どもたちが生み出す情報を先生の側に逆流させるか。この逆流の流れがなければ、いかなるICT教育も意味がないのである。
 オンライン授業というのは、双方向授業のことを言うと認識してほしい。

 また、教員の中には「スマホを授業中に自由に使わせるなんてとんでもない」「授業を受けてるふりをしてLINEで彼女と駄弁ったりゲーム三昧したらどうする」と危惧する人は多い。ましてや休み時間や放課後にWiFiを解放するなんてと反対する人もいる。だから、スマホは持ってきても電源を切って鞄の中に入れておくことをルールにしている学校は多い。生徒指導上、スマホは忌み嫌われているからだ。
 しかし、もうそんな時代ではないということをコロナ災禍は我々に提示しているんじゃあないかと私は思う。
 「一斉」にという教育システムが時代遅れになり、みんな「一斉」にを支援する産業が衰退すると同時に、ネットを通じて「バラバラ」な個性をつないだり、「バラバラ」にできる機能をサポートする産業が勃興する。ここから10年で「一斉」族が負け、「バラバラ」族が勝つ構図がはっきりするだろう。

 ルールが心配なら、生徒と協議して、生徒自身にルールを作らせればいい。
 例をあげれば、一条高校でも、スマホの使用は教室か図書館に限っていた。しかも、立って使用することを禁じ、必ず座って使用することとしていた。教室以外で立って利用ができるなら、廊下を歩きながらとか、階段を下りながら、我々が駅でいつも目にしている「ながらスマホ」が可能になる。
 私はそういう姿を学校では見たくなかったし、先生も生徒もそうだった。
 マナーを守って気持ち良くスマホ併用授業ができるようにするには、各校とも試行錯誤が必要だろう。一条高校でも一度だけ、生徒が不用意に教室で撮った友人のスマホ写真をインスタにあげたことがあった。生徒はもちろん注意されたが、その後、私の在任する2年間に一度も事件というほどのことは起こらなかった。
 生徒を信じて、ルールを託そう。・・・ということは腹の据わった校長しかやらないから、ここは、教育長が命じちゃったほうが普及が進むだろう。
 高校は都道府県教委の配下だから、知事が「やれ!」と言えばいいのだ。

 ちなみに、生徒がスマホをWiFiにつなげた時点で一条高校ではポータルが立ち上がり、グーグルとCラーニング、スタディサプリなどが立ち上がるシステムになっていた。この時、教員のタブレットに「誰がWiFiにつないでいないか(誰が公衆回線でLINEやゲームをイタズラしている可能性があるか)」アラームを上げることも実装可能だった。しかし、先生たちが協議した結果、生徒を信用してアラームは実装しないことに。一条高校の先生方は、生徒と先生の信頼関係を信じたのだ。

 さらに言えば、位置情報を把握することも可能になる。現在は、たいていの職員室で教頭がいちいち教員の出席管理を出席簿でしているが、膨大な時間と手間がかかっていて時代遅れだ。
 スマホの位置情報で職員室/学校敷地内に入った段階で「出席」とすれば良い。
 このように、スマホとCラーニングのようなシステムを噛み合わせる事で、教員がやっていた無駄な事務仕事が減る。一条高校の例で言えば、毎年1000名分の数十項目の「学校評価」アンケート(「数学の授業はわかりますいですか?」とか「先生はあなたの相談に乗ってくれますか?」とか)をまずスマホ入力にし、自動集計した。今でも、たいていの学校では、紙で書かせたアンケートを若手の教員が学校パソコンに打ち込んでいるはずだ。さらに、いじめ調査や保護者への同じ項目のアンケートもスマホから打ち込んでもらい自動集計から作表までをすることで、教員の事務作業の手間が省かれることになった。
 スマホ×WiFi×Cラーニングのようなマネジメントシステムの導入で、教員の事務の手間を省き、圧倒的に児童生徒に向き合う時間を確保することが「スーパー・スマート・スクール」化の狙いでもある。

 高校全校への導入が進み、あらゆる課題の解決が試行錯誤で進んだら、次に中学校でも、同じようにスマホ併用オンライン授業を進めて良いと思う。小学校については議論が分かれると思うので、その後にじっくり検討してからでいい。

 もう一度言う。学校の教室ではオンラインで「最高の先生」の動画を活用せよ。
 
 障害になるのは、先生たちのプライドだ。
 本来、教えたがりが教員になるのだから、自分じゃなくて「最高の先生」の動画を使えと言われても、はい、そうですかとはならないだろう。
 でも、若手の先生はかえって、ありがたいと思うかもしれない。不得意教科を教えるのは苦痛だからだ。また、学校の仕事の事務量が増え、なかなか授業研究を進める余裕がなくなっている現場の事情もある。
 50代のベテラン教員が現場から去る絶好の好機でもある。スマホネイティブの若手にこのムーブメントを託したい。

 それでも、一対一対応が必要な(特に小学校3年の算数で落ちこぼれた)低学力児や個別フォローが必要な軽度発達障害児、外国籍の子など先生による手厚いフォローは小中高校のすべてで必須である。
 ビデオとの両刀で教えれば、先生がよりフォローの必要な子に寄り添える事も、実践が進むうちに理解されていくだろう。
 さらに、体育祭や文化祭のような行事やイベント、校外学習、「よのなか科」のような思考力、判断力、表現力を育てるワークショプ型総合学習にも先生のリーダーシップが相変わらず必要だ。
 だから、この変革は、教師になろうとする人々の動機付けを削ぐことにはならない。


TYPE3 経済的に厳しい子の家庭にはWiFiと端末を無償で貸しだせ


 経済的に不利な子。とくに自宅にWiFi設備がない子やギガ数が少ないプランにしか加入していない子はYouTubeでサクサク学べない。これについては、奈良市がいち早く始めたのだが、小学生で経済的に厳しい家庭にWiFiルーターとタブレットを貸す施策が有効だろう。高校生であれば、スマホの所有率は97~99%を越すが、一部生徒を救うために、一条高校ではiPad miniを貸し出していた。
 もちろん、5Gの世界になったら、スマホ各社が18歳以下の子に対して、教育目的であればダウンロードし放題のプランを作って欲しいと思う。
 あるいは、政権が、NHKの蓄積したコンテンツの教育目的での無償提供も含めて、スマホ各社に行政指導する手もあるかもしれない。
 GIGAスクール構想と合わせて、注目していきたい。

 小学校3年生問題について、ここで改めて強調しておこう。
 小学3年生の「算数」は鬼門だ。なぜなら、ここで初めて児童は「抽象的な概念」と接することになるからだ。3分の2という分数や、0.3という少数は子どもの生活の中にはまず存在しないから、理解が難しいのだ。また、日本の指導要領では、同じ時期に図形の認識まで登場する。頭の中に図形をイメージすることができない子は、ここでも苦労する。図形も形を抽象化したものだからだ。
 この「抽象概念」の学習が上手くいかないと多くの生徒が落ちこぼれてしまうことになる。

 ここで、重大な事実がある。保護者がたぶん知らない事実だ。
 小学校では、この「算数」での抽象概念の教育が始まる時期に、もっとも弱い先生がことに当たっていること。
 例えば、あなたが小学校の校長で20人の教員の翌年の人事、すなわち学年配置を決める立場だとしよう。あなたは、まず一番できるベテラン教員を1、2年生の担任に配するだろう。入り口が一番大事だからだ。ここで学習指導だけでなく、生活指導をミスると取り返しのつかないことになる。教室崩壊を起こしたら、後々まで引きずるだろう。次に頼りになる教員をどの学年に配するだろうか。5、6年生の出口だろう。終わり良ければすべて良し。言われてみれば、素人にだって分かることだ。

 というわけで、新規採用(現場では「新採」と呼んでいる)や課題があって遊軍に加わっていた教員、他校からの転任で実力が未知数の教員が3、4年生を担当することになるのが普通の学校の姿なのだ。
 全員聖職ではないし、全員がベテランなわけはない。「できない教員」というのは自治体の教員採用試験はけっこう難しいのであまり見ないが、「普通の教員」と「できる教員」がいるのは、私企業だって役所の公務員だって同じことだ。
 一番大事な「抽象概念」が頭の中にできるかできないかの瀬戸際の子どもに、一番弱い教員が当たっているという事実。もちろん、そういう張り方をしない校長もいるから例外はあると断っておく。
 私は、この問題を解決すれば、小学校の「算数」で落ちこぼれる子が減り、中学の「数学」での落ちこぼれが半減するはずだと、政府の委員会でも主張したことがある。しかし、この問題は相変わらずタブーとなっていて、解決されないまま蓋をされている。
 もし、「学校の教室ではオンラインで『最高の先生』の動画を活用せよ」が強制的にでも実行することが可能になったら、落ちこぼれが減ると期待が持てる。
 

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 さて、ここで、さらに大事で耳障りなことを述べておきたい。
 保護者には初耳だと思うし、今から私が述べる事を聞けばギョッとするかもしれない。これも教員の間では、タブーに属することだからだ。
 たいていの人は、学校というのは、知識をわかるために通っていると考えているはずだ。学校の先生は、児童生徒が「わかる」ための仕事をしているのだ、と。
 残念ながら、それは違う。
 学校に行けば、「わかるようになる」ことはない。「わかったつもりになる」ことは可能だ。つまり、学校というのは、児童生徒を「わかったつもり」にさせるところなのである。決して「わかる」まで責任を負う場所ではない。
 私が尊敬する井出隆安・杉並区元教育長(前任は東京都で6万人を従える教育庁の指導部長だった)がある会議で看破した言葉だったが、目からウロコだった。
 驚いたけれど、そりゃあ、そうだとすぐに納得した。

 1回教室で解説をされただけで、ある特定の知識が身につくと思ったら大間違いだ。それができたら天才だろう。普通は予習してきたり、塾ですでにやったことがあったり、復習して練習問題を解いたりして、ようやく「わかる」状態になる。
 一条高校での最後の終業式でも、私はこの事実を生徒に真摯に伝えた。
 『生徒の皆さんは、初めて聞くことかもしれないけれど、学校って君たちが「わかる」ところまで教えるところじゃないんですね。「わかったつもり」にするところなんです。だから、上手く生徒を「わかったつもり」にしてくれる先生が良い先生ってことになりますね(笑)。で、本当に「わかる」ためにはどうしたらいいんでしょうか?・・・二つのことができないと「わかった」ことにはならないんだけど、なんだかわかりますか?
 一つは、友達に教えられるということ。その知識を他人に教えられるのなら、君はもうその知識をわかっているはずだからね。だから、学校での生徒同士の学び合い、教え合いは大事だよね。
 二つ目は、自分で問題が作れるということ。その教科のその単元に関わる問題をつくれる人は、もうその知識がわかってる人だから。
 考えてみれば、「他人に教えられて」「問題を作成できる」って、先生のことだよね。つまり、君たちがその知識について、自分で練習した上でミニ先生になれたら、わかったと言えるってこと』
 先生にはサプライズでの爆弾発言だったのだが、概ね好評だった。

 学校は「分かるようになる」場所ではなく、「分かったつもりになる」場所だという現実。これを聞いてショックだっただろうか?
 「エーッ、学校って最後まで面倒見てくれるんじゃあなかったの?」「学力の保証は先生の責任なんじゃないか!」・・・という声が聞こえきそうだ。

 では、聞こう。みなさんは、児童生徒が学校でどれくらいの時間勉強しているのか、把握しているだろうか?

 前に授業には1コマ1人1000円のコストがかかっているんだという話をした時、小中学校で年間1000コマ、高校で年間1500コマの授業が行なわれていると言った。小学校を例にとれば、単位時間が45分だから1000コマあっても750時間だ。
 実際には国民の祝日でつぶれたり(月曜日が多い)、行事があったり、テスト期間があったり、その返却があったり・・・コロナに関わらず様々な事情で全てのコマ数が消化できるわけではないから、授業時間は実質700時間程度(中学で800時間程度)になる。その中で、学力に直接関わる国語・算数・理科・社会(中学の英数国理社)主要教科の時間は約半分の400時間程度だ。

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 結論から言うと、年間400時間で学力を保障せよという方が無理である。
 親の通勤にかかる時間を往復2時間とすれば、年間だと2時間×200日として400時間になる。つまり、子どもたちが学校で学力をつけるための学習時間は、親の通勤時間くらいしかないのだ。
 これで「分かったつもり」にしてくれるんだったら上等ではないか。大事な知識についての導入と最初の動機付け、その後自分で練習して本当に「分かる」ための基礎的な勉強方法の伝授。実際には、これがやっとなのである。

 しかも、通常の家庭だと1日2時間はTVやゲームでディスプレイ視聴をするだろうから、365日なら700時間を超える。TV漬け、ゲーム漬けで育てている子の場合、1日3時間も稀ではないから、これが1000時間を超えていく。
 ちなみに、学校で教える国語の時間はだいたい年間100時間だから、子どもは正しい日本語を学ぶ100時間に対して、TVやゲームでその7倍から10倍もの時間をTVゲーム語を学んで育つのだ。これで、学校の先生よりTVに出てくる芸人の言うことを聞くようになるのがなぜか、わかるだろう。
 うかうかしていると、あまり家で見かけないお父さんは、先生どころか、もっと触れ合いが少ないから、言うことを聞くはずがない。子どもは日常的に馴染みのある人に懐くからだ。コロナの休校は家族を取り戻すチャンスだったかもしれない。
 だから、子どもたちの総ディスプレイ視聴時間の中で「スマホで学ぶ時間」をいかに増やすか、これが課題だ。
 オンラインで、学ぶのが楽しくなるような仕掛けが望まれているのだ。

 さて、こうした政策が、わが町の自分の息子、娘が通う学校で実行されるためには、誰がどういう判断をすればいいのか。
 政策決定者は誰なのかを、オンラインに関わる議論の最後に触れておく。

 まず、公立の小学校と中学校については、設置者は市区町村だから市長、区長、町長、村長が決断すればできるようになっている。ちょっと前までは教育長が首長から独立した権限を持っていたのだが、改正されて教育長も首長の配下になった。
 だから、開明派の首長が率いる自治体では、教育に関することでも新しい政策が実行可能だ。3月に安倍首相が全国一律に学校の閉鎖を要望した時も、すぐさま千葉市の熊谷俊人市長がそれに対して「共働きやひとり親の家庭の子もいるから、事情があれば、諸条件を整えてから学校で預かる」と宣言を出していた。
 立派な心がけだと思う。自衛隊や警察では無理だが、学校という組織は、多くの人の見た目とは裏腹に、法的には非常に民主的な構造になっているのだ。

 また、公立高校については、設置者は都道府県なので知事が決定できる。
 東京都ではコロナ以前から、一条高校の動きも受けて、2018年から2年間モデル校での試行が重ねられ、2020年からは順次都立高でのWiFi設備の充実を図って生徒のスマホをつなげる施策がスタートした。学校でのスマホの利用ルールは各校に委ねられていると思うが、授業前や放課後に「スタディサプリ」や「クラッシー」でオンライン授業を受けることが可能になる。

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 ただし、現場での温度感には差が出ることは必至だ。
 学校現場でオンライン授業の質を左右するのは、遠慮なく言えば、その自治体の教育長と各校の校長の腹の据わり方次第なのだ。
 開明派の教育長が首長とタッグを組んでいる自治体では、私が関わった杉並区も橋下知事下の大阪府も奈良市も武雄市もそうだったが、政策実現のスピードは速かった。さらに言えば、校長がリスクをとって自分の責任で「やる!」と言えば、学校現場でのオンラインの導入スピードも速くなる。

 今から20年も前に、それ以前は「職員会議に決裁権があり、校長にはない」と主張していた教職員組合を尻目に、校長に決裁権があることを明示する政策がとられた。それ以来、実は、校長にはカリキュラムと学事日程を決定する権限が与えられているのである。形としては、自治体の教育委員会はそれを承認するにすぎない。
 だから、校長が決済すれば、法律に抵触するものでない限り、どんな政策も実行可能だ。
 私が和田中の校長の時には、入学式や卒業式も区内の他の学校に揃えず、教育委員会の都合を受け入れず、保護者が参加しやすい日程を採用した。夏休みも独自に決定した。今だって、学校を開けて、あらゆるコロナ対策をした上で授業を再開しようとすれば、校長の判断でできるのである。

 ところが、一般的には、校長は教育長がもつ人事権が怖いから、定年間近になるほど言うことを聞く。定年後も再雇用してもらいたいし、図書館長や教育センター所長などの役職や処遇が欲しいからだ。
 だからこそ、教育長がどんな人物なのかが、子どもたちの未来に作用する。
 ちゃっぷい教育長や校長がはびこる「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」の自治体からは、子どもがいる世帯は住民移動を起こすべきだと思う。
 もともと政治家は「教育は票にならない」とうそぶいていたのだが、そうではないことを住民が見せてやらねばならない。そうでなければ、コロナ禍での学校教育の革新は、たとえ形だけオンライン設備が整ったとしても、止まってしまうだろう。

<9月入学制への移行問題>


 まず、最初にはっきり申し上げなければいけないのは、3ヶ月の学校の閉校で生じた遅れを取り戻すことと、9月入学問題は一緒に議論すべきではないということ。
 3ヶ月遅れたから、9月入学にスライドすれば遅れが取り戻せると考えるのはあまりにも短絡的で、深い思考によって生み出された考えとは思えない。
 
 もし、この3ヶ月の遅れを半年も進級、進学や卒業を遅らせることでカバーしようとすれば、旧態然とした授業が半年増量されることになる。ひいきめに見て半分の先生はオンライン授業にも対応「できる先生」かもしれない。あとの半分はどうだろう。そうした先生方が、ダラダラと同じような黒板授業や、とてもオンライン授業とは言えないパワポの電子紙芝居を増量しても、学力の支えにはならない。
 これは児童生徒にとって、とても不幸なことだと思う。

 遅れた分は、冷静に考えると、もともと休日が多い3、4月だから26日程度、連休を挟んで5月末まで休講するとプラス17日だから全部で43日ほどになる。ただし、3学期末と1学期初頭は行事が多く授業が潰れがちな期間だ。
 たとえば、卒業式の予行とか、授業では盛込みにくい「薬物教育」「性教育」などが3学期の消化試合の時間で行われることが多い。4月も新入生には学校を案内して図書室でオリエンテーションが行われたり、校外学習(遠足)でクラスの親睦を深めたり。秋には学芸会/文化祭や歌唱祭が催されるから、春に運動会を持ってくる学校も多い。すると、運動会の予行や練習で授業が潰れる。
 というわけで実際は、授業日数にして20日間程度の補習でカバーできるだろう。さらに、実技教科以外の小学校の国算理社、中学校・高校の英数国理社の5教科だけのカバーでよければ、およそ半分の10日間で可能なはずだ。
 さらに言えば、塾に通っている子はとっくにカバーできている可能性がある。受験生が心配だという声がよく聞かれるが、受験生はもともと自分で過去問を分析しながら受験対策をやっているので、学校の先生がそこまでしてくれるところはそうはない。一部の私立の進学校だけだろう。だから、塾や予備校のサポートがある子やオンラインでの学習習慣がついている子には補習の必要さえもない。
 かえって学校がなくて、嫌いな教科の先生のまだるっこしい授業を受けずに済んだから、せいせいしている子も一部にはいるはずだ。

 さて、それでも補習が必要な児童生徒は、経済的に厳しい世帯の子を中心に相当数はいる。このキャッチアップをどうするか。
 9月に入学や新学期をスライドさせてこれを消化するのではなく、各校が独自に知恵を絞り、ついていけていない子のキャッチアップを真摯に図るべきだろう。
 まさに教員の腕の見せ所だし、学校長は県教委や市教委の言うことを聞かないでもいいから、自分たちの地域社会の力も借りて「バラバラ」に手を打ったらいい。

 夏休みは平日が26日間あって、お盆の1週間を休んでも22日ある。これを潰して補習に当てればカバー可能だ。あるいは、この時期はもう朝の5時から明るいのだから、擬似サマータイム制を導入して朝7時から8時半までを補習の時間とすることもできるかもしれない。その場合はセキュリティをしっかりする必要があるから、地域のお年寄りに朝、道路の角角に立ってもらって体操やジョギングなどをしてもらえたら登校時の見守りができる。

 ただし全員強制は無理だと思う。夏休みのスケジュールとして、塾の合宿やサマースクール、家族旅行を予定済みの世帯もいるだろうから、必要な子を任意に参加させればいい。
 本当は、全国の公立小中学校3万校のうち1万校の学区にすでに設置され予算も付いている「地域学校協働本部」主催にして、先生が協力するスタイルが理想的だ。
 「地域学校協働本部」は、和田中の校長時代(2004年)に「地域本部」として生み出され、文科省が「学校支援地域本部」と銘打って予算化し、のちに「地域学校協働本部」と改名され現在に至っている組織だ。
 地域のボランティアを組織して、土曜日学校の運営や部活のサポート、学校のイベントと地域住民のコラボを受け持っている。PTAとは違って、必ずしも息子や娘が当該学校に通っていないサポーターが中心の組織だ。だから、お年寄りばかりではなく、教員になりたい大学生やバリバリに国際経験豊かな退役団塊世代もいる。塾の講師が協力しているケースもある。
 和田中では、設立から16年が経っているが、未だに「土曜寺子屋(ドテラ)」での補習(例えば、算数が不得意な中学生のための算数のサポート)や、英語をもっと学びたい子に英語を積み増すコースなどを運営している。

 マスコミで評判になった「夜スペ」は、当初サピックスが学校内に教室を持って高校受験をサポートするシステムだった。地域社会が主催すれば、貸しビルのレンタル料も受付の事務も募集費もかからないから、街中の私塾と比べて圧倒的に安いコストで運営できた。いわば、地域主催の寺子屋だ。
 隣接する養護施設には数名の生徒が暮らしていたから施設長と相談して料金も決めた。その程度であれば措置費から出せるというので実施に踏み切ったのだ。準要保護世帯のお母さんには本当に喜ばれた。
 バトンタッチした同じリクルート出身の民間校長・代田昭久氏の代からは運営側をコンペで選ぶことになり、早稲田アカデミーやトライにも協力してもらった。その後、当初の役割を終えて「夜スペ」のサポートは終了している。
 そんな風に、コロナ災禍によって生じた学習の遅れには、地域社会の資源を総動員して臨むのが肝要だ。なぜなら、コロナとの戦いは、誰かが比喩したように戦時中に近い緊張感で臨んでいい緊急事態だからだ。塾と学校が喧嘩している場合ではない。夏休みの補習の場には、塾の講師も地域資源の一つとして総動員したい。

 “コロナ世代の受験生が不利にならないような工夫を”とよく言われるが、私はそのためには、なるべく学校が手を出さないようにするのがいいと考える。
 受験生は放って置かれるほど自分で対策を考え、カリキュラムと時間割を自己編集する力を育むから、コロナ世代の受験生はより成長できるチャンスがあるのだ。
 一方、試験範囲をどうするかという課題については、工夫が必要かもしれない。
 もともと受験期の3学期にはほとんど授業はない。もし、大学受験について範囲を狭めることで公平感が出ると判断するならば、高校3年生の9月までに終わる学習指導要領での範囲を試験範囲とするよう文科省が指示を出すことは可能だと思う。

 ここまで、遅れた授業については「9月入学/新学期」という飛び道具を使うのではなく、真摯に教員が補習してキャッチアップせよ、と提案してきた。
 この後、「9月入学制」については別問題なので、別に論じることにしよう。

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 結論から示す。
  9月入学は、まず、東京大学のみで実施。高校以下の追随は不要と考える。
  賛成派はグローバル基準に揃えよと主張するが、世界のトップスクールは「9月入学」ではなく「通年入学」にシフトしているし、グローバル企業はとっくに「通年採用」だ。

 東京大学はもともと明治期には9月入学だった。明治政府はイギリス、フランス、ドイツから産業を興す技術や社会制度を管理する法律や経済の全てを学ぼうとしたから高い給料を払って雇った外国人教授に合わせて母国と同じ9月入学になった。
 寺子屋の流れを受けた小学校と、藩校の流れを受けた師範学校は4月入学だったようだ。
 これを文部省主導で大正期までに大学も、それに付随して高校、中学も4月に揃えることに。なぜなら日本は行政の予算期が当年4月から翌年3月だからだ。これだと予算と人事を一元管理できる。来春から例えばコンピュータサイエンスの教授陣を充実させようとした場合、その予算取りと採用を秋頃から行って来春には実行できるというわけだ。ちなみに米国は9月入学だが、予算期も9月から翌年8月だ。

 しかし、大学は教授陣の交流も含めてグローバルスタンダードに準じるべきではないかという議論は何度となく土俵に登った。
 中曽根内閣の臨時教育審議会では、9月入学について沖原広島大学長を座長する検討会を設けて議論を重ねたが、導入を見送った経緯がある。
 2011年から12年には東京大学が9月入学に全面移行すると発表して話題に。その後、主要大学を巻き込んだ議論を重ねたが、やはり引っ込めた。概ね、留学生を増やす目的が最優先だったようだが、今日では、60以上の国公私立大学が9月募集をやっていて、立命館APU(出口治明学長)などは、学部生の半分が留学生で占められるまでになっている。
 9月入学に全面移行しなければ留学生が増えないというのは嘘だと思う。

 ただし、大学が9月入学になり、高校以下をそのまま4月入学/3月卒業のままにした場合、面白い現象が起こるかもしれない。
 こちらにはよっぽど日本社会変革の期待がかかる。
 何かというと、ギャップターム(ギャップイヤー)と呼ばれる半年間の「すき間」ができることだ。

 高校を卒業して、大学に入学するまでに、3月から8月まで半年間の「すき間」ができることになるからだ。海外では当たり前に行われていることで、オックスフォードやハーバードに受かった高校生が、わざと1年休学して一人旅に出たり、途上国にボランティアに行ったりする。人生の方向性を探る旅をするためだ。大学で本当は何を学ぶべきなのかも、この期間に本人の中で熟成するのかもしれない。
 日本でも、このギャップタームが始まれば、被災地でボランティアをしたり、やってみたかった職人技を持つマスターににわか入門したり、YouTube大学で生涯の「恩師」を探したり、短期で海外留学したり・・・様々な選択肢が広がる。
 それまで大学受験一本に的を絞ってきた学生も、初めて「人生を考える」時間が得られるかもしれない。そうして、じっくり考えてみたら、自分がやりたいことを追うためには、それが囲碁であれダンスであれ宇宙開発の夢であれ、大学なんていく必要はないのだと悟るケースもあるだろう。

 もしかしたら、これが、日本社会に良い意味での揺らぎと潤いを与えるきっかけになる可能性がある。なぜなら、そうでないと、日本の学校教育システムで育った若者はどうしても「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」の学校文化に毒されてしまい、ジグソーパズルの1ピースが合わないと気になってしょうがないという「正解至上主義」の人生をスタートさせてしまう恐れがあるからだ。
 私たちの世代では、大学の1~2年の時期に相当な余裕があって遊びが許された。だから、ヨーロッパに自転車を担いで無銭旅行に出かけた友人もいたし、アルバイト三昧の生活の中でITに活路を見出して起業したやつもいた。70代以上の団塊の世代は学生運動で暴れ、検挙されるなどして人生を哲学した。
 しかし、今の大学生にその余裕はないようだ。理系はもちろん文系でも課題、課題で忙しい。だから20歳までにちゃんと人生に悩む時間は必要なのかもしれない。

 そこで、まず東京大学を9月入学にシフトする。
 時期は18歳が成人になる2022年からがいいだろう。18歳はもう成人なのだから、半年間、人生について深く悩んでも問題はない。
 企業の採用時期とずれると心配する輩もいるが、新卒、中途含めて通年採用になるのは時間の問題だろう。ましてやユニクロでも楽天でも、グローバル企業は全世界から優秀な人材を集めるから、とっくに通年採用だ。
 次に、そうして東大にアジアからの留学生(インバウンド)がもっと集まるのか、あるいは日本人の学生がもっと海外に長期留学(アウトバウンド)するのかを実証的に確かめる。

 アジアからの留学生にとって日本が今でも十分に留学に値する社会かどうかは怪しい。今後、AIロボットの普及でコンビニやサービス業でのバイト口も減少する。
 しかしながら、コロナ騒動で、日本の医療体制は皆保険制度とともにかえって見直されたかもしれない。少なくともアメリカや中国やイタリアに行くよりは日本は安全だと評価されたはずだ。
 逆に日本の若者(特に大学生)が、9月入学にすることによってより長期留学を目指すのかについても正直言って不明だ。もともと日本が豊かになる過程で、パリやニューヨークへの憧れはそれほどでもなくなっていた。フレンチやイタリアンの名店は日本にいっぱいあるし、和食も美味しい。ディズニーランドもユニバーサルも日本にある。海外の若者が憧れるアニメやゲームやアイドルやオタクの殿堂も。
 だから、体験旅行の延長の短期留学は増えているが、グローバルに活躍することを前提とした本格的な長期留学への志は残念なことに減少傾向だった。
 それが、果たして蘇るのかどうか。コロナの状況を鑑み、スポンサーとなる親の立場からすれば、当分アメリカやヨーロッパへの長期留学は勧めないのではないかとも思える。

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 さてさて、どうなるか。やってみなければわからないことは、ナンバーワンがリスクをとって、やってみるべきだろう。言い出しっぺでもあるのだから。
 その上で、留学生が増え、教授のグローバルな交流も活発になり、OKマークが出るのならば、他の大学も9月主導に揃えるようにしたらいいのだ。
 この検討期間の間に入試についても一考したほうがいいだろう。例えば4月には3月の一発試験での合格者を入学させ、9月にはAO入試で高校までにどんな取り組みをしたのかをプレゼンさせて評価する方式での合格者を入学させるなどだ。
 少子化からAOや推薦入試の比率は全体として上がっていくだろうが、このように1年に二度、三度と種類の違うチャンスがあったほうが高校生も奮起できる。
 
 2025年までかかってこの検証(エビデンス)が済んだら、高校以下(幼稚園から小中学校含む)をさらに9月入学に揃えるかどうかを検討するといい。
 私個人は、いくら考えてもメリットが浮かばない。したがって反対だ。
 でも、エビデンスが出てきて、幼稚園から高校までを大学の入学時期に揃えることにメリットがあると判断されたら、校長や地方自治体の教育長の熟議の元に制度を変えたらいいと思う。

 なお、9月になったら新型コロナウイルス感染症は収束しているという見込みがないなか、第二波も来るかもという現状では、とても幼稚園から高校までの9月入学/新学期説は受け入れられないだろう。
 繰り返すが、遅れた分は9月までに取り戻すのが先決で、9月入学制による単なる先送りは許されない暴挙である。
 地道に子どもの学びや生活を支える努力を重ねるのが先決だ。
 これも繰り返しになるが、「一斉」ではなく、各学校の学校長の判断で「バラバラ」に個性を出すのが良い。

 「教育は伝染、いや感染である!」

 良い実践が、たちどころに真似られるのが理想なのだ。そうすれば、コロナの感染力を、教育の感染力が上回る結果を出すことも可能ではないだろうか。

<学校ってなんだろう?>


 さてさて、学校に行けない今だからこそ、「学校ってなんだろう?」を臨象哲学する余裕が出てくる。臨象哲学(臨床ではない)とは、私の造語だが、「現象に臨んで、なんでだろう?・・・といちいちその存在について考え抜くこと」である。
 普段、学校や先生については文句しか言わない息子や娘も、そろそろ行きたくてたまらなくなってきたんではないだろうか?
 先日はTikTokで高校生を中心に「学校っていらないんじゃね?」と元校長が問いかけたら君はどう答えるかをテーマに生番組を配信したら大評判だった(笑)。


 私は校長先生達の校長として、つくば教員研修センターでも8年間にわたって「管理からマネジメントへ」を全国の校長、副校長、教頭、事務長に教えてきた。その数は2000名を超える。
 講義の場で、たまにこういう質問を投げかけることがある。
 「学校って、なんでしょう?」・・・短い言葉で表現してください、と。
 さらに「先生ってなんでしょう?」・・・どういう仕事をする人のことを言うのか、同じく短い言葉で定義してください、と。

 すべての先生方は、この質問の前に面白いように立ちすくむ。なぜなら、そんなこと、教員養成課程の学生だった頃から校長になるまで30年から40年間、問いかけられたことがなかったからだ。でも、私は会場内で3人から5人でのブレストやディベートでのアクティブラーニング方式で、自分の言葉で語り合ってくださいと促す。すると、会場がものすごく盛り上がる。
 校長の9割がたは自分の言葉でしゃべれない人たちだ。かわいそうだと思うのだが、教頭時代に「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」の呪縛を縦横無尽に受け、自らの言葉を破壊されていくのだ。ごく稀にだが教頭を経ずに校長になった人や、現場の先生はちゃんと自分の言葉でしゃべる。
 さて、あなたなら、「学校とは何か?」「先生とは何か?」を、自分の言葉でどう再定義するだろう。

 私の答えはこうだ。断っておくが、これが唯一の正解ではない。最初は真似してくれてもいいが、最終的には修正して自分の言葉に加工して使ってもらいたい。

 「学校」とは、良い習慣をつける装置である。
 もう少し詳しく言うなら、「学校」とは、良い「生活習慣」と良い「学習習慣」をつけるための装置である。

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 小学校低学年では、生活習慣をつける役割がかなりの比重を占めるが、それが高学年、中学、高校になればなるほど、学習習慣をつける役割の方に重みがシフトしていく。だから、小学校低学年では、靴のかかとを踏んじゃダメとか給食はできるだけきれいに食べましょうとか、雑巾はこういう風に絞るのよ、というところまでやる。知らない人が多いかもしれないが、日本の小学校の生活指導についてはアジア各国から評判が良く、真似されている現実がある。指導要領が細かく定められていることを批判する評論家がいるが、中国も日本を真似たし、アメリカでも州によっては指導要領を日本流に作るようにしたところがあると聞いている。
 ある程度の底上げや知識、技術の標準化にはJIS規格ではないが基準が必要で、アジアの途上国にはこれがないから苦労している。

 また、習慣をつけるという場合、集団でやるからできるという側面が強い。集団の力で押されてできてしまうという効果である。
 もともと、近代的な学校の成立は「ヨーロッパの貴族が個別に我が子に家庭教師をつけて学習させていたところ、どうもうまく育たない。それで、貴族の子弟を集めて共同で教師を雇うようにした」というのが起源のようだ。
 集団で学ぶことに意義があるわけである。
 考えてみれば、例えば小学校のプールでの水泳の授業で「飛び込み」の指導があったとする。男子の僕は、女子の目があるから、怖くても無理やり飛び込んだ記憶がある。逆上がりでもそうだったし、算数や国語でもそうかもしれない。
 「あの子が見てるからカッコつけなきゃ」は十分な動機付けなのだ(笑)。
 さらに、集団の中での学び合いには、様々な学習効果がある。教室でわからない子に「ここ、教えて」とお願いされて教える子は、自分の知識を確認することができる。試験前にどこが期末試験の問題に出るかを予想し合えば、推理能力が鍛えられる。実技教科では、釘を打つのも運針するのも、誰かが隣でうまくやっていれば、見よう見まねで自分もできるようになる。一人ではなかなかできないことは集団でやるのが良さそうだ。
 これが、単純だが、学校の本質的な機能だ。
 
 ここまで考えれば、情報を伝達して一方的に教え込む「知識」については、やがて全面的にオンラインに移行して良いのではないか、と思えてくる。
 オンライン学習がコロナ禍での「新しい生活様式」になり、学校でも「最高の先生」で児童生徒とともに学ぶ新しい先生の姿がニューノーマルになるということ。
 このことは、「良い学習習慣をつける」という学校本来の使命に何ら反しない。

 もちろん、それでも教員の仕事は残る。
 では、教員って、何をする人のことを言うのだろう。この定義がぶれているから、何もかも押し付けられて、現代の教員はサービス残業で疲弊し、就職先としても不人気職種になってしまった。本来なら、児童生徒の教育というのは、崇高な仕事であるにも関わらずである。

 「先生とは何か?」・・・この定義について、教育基本法に戻って「児童生徒の総合的な人格の形成に寄与し・・・」と祝詞をあげ始める校長もいる。
 でも、保護者は学校の先生に、本当に息子や娘の「全人格」を鍛えてもらいたいと思っているのか?
 普通の親はそんなことは思っていないだろう。それどころか(言葉を選ばずいえば)教師に自分の子の全人格形成を委ねようとは考えない。もちろん、一部には凄まじい人格者の教師がいる。白血病から蘇った方だったり、昔だったら、戦争の死地から生還されたような経験を語れる猛者もいた。
 そういう人生経験が豊かな先生はもう化石化しているのだ。前述したように、3分の1を占める50代の教員が現場を去ったら、大半が20代の若手に学校の運営を委ねざるをえなくなる。

 だから、「全人格を・・・」なんていうのを止めよう。
 学校の先生の役割を激しく限定するのだ。

 私の定義はこうだ。
 先生とは、「目の前の児童生徒のわからないことをわかるように、できないことをできるようにする仕事をしている人のこと」である。
 これは非常に簡単な定義ではあるが、前述したように、学校というのは「分からせる」場所ではなく、「分かったようなつもりにならせる」場所であるので、この定義はもっと精査する必要がある。
 先生とは、現実的には「目の前の児童生徒のわからないことをわかったつもりにさせ、できないことをできたつもりにさせる仕事をしている人のこと」である。
 本当に「わかる」ためには、児童生徒自らが練習して、他人に教えられるか、問題が作れるようになるまで復習しなければならない。学校の先生がやるのは、その前段階まででたくさんなのである。一方、お金を払って通う塾の先生には、そのまま「目の前の児童生徒のわからないことをわかるようにする仕事をしている人のこと」と定義してもいいのかもしれない。

 教員がこの役割を全うするためには、やはり、オンラインの「最高の先生」とのコラボで、ネットとリアルのハイブリッド授業をすることが推奨されるはずだ。
 真ん中辺の「普通の子」に対して一斉授業をしていればいい時代は終わった。
 「できる子(吹きこぼれ)」には役割を振り、「できない子(落ちこぼれ)」には以前よりもっとフォローをすることが肝要だ。みんなに平等では格差が開く。
 だから、「最高の先生」のオンライン授業を正面のスクリーンに映し出しながら、「できる子(吹きこぼれ)」にはミニ先生の立場で周囲にいる「普通の子」に補助的にわからないことを教えて欲しいと遠慮なくお願いするべきだ。
 そうすれば、先生自身はもっと多くの時間を「できない子(落ちこぼれ)」の指導に割くことができる。

 ここまで述べてきた「最高の先生」ネットワークについては、思いつきで私が語っていると誤解される向きもあるだろう。
 しかし、私はこの構想を2013年頃から温めてきた。決して一部の「9月入学」論者のようにポッと出ではない。嘘だと思ったら、この年に発売された『負ける力』というポプラ社から出版された新書を覗いて貰えばいい。185ページからの第5章で「最高の授業.net」構想について語り、今日の状況を予言しているから。
 もっとも当時の言葉遣いでは、オンラインではなくビデオオンデマンドだった。


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 さあ、そろそろ「コロナと学校教育」についての話を締めよう。
 失われた3ヶ月の学力を保証するためのキャッチアップの取り組みが学校ごとの特色を持って行われ、そのうち効果を発揮したものがたちどころに全国に真似される。これが公立校の強みだと思う。私立だとその一校で実践が止まってしまう。

 つながりの中で、教育手法を伝染、感染させよう。

 コロナの黒船が到来したことを教育界はチャンスと捉えて、オンラインとリアルのハイブリッド授業に舵を切るべきだ。
 そうして「最高の先生」を学外からも調達する勇気を、大人たちが子どもに見せつけなければいけない。外に向かって開いていった明治維新の志士たちが見せた勇気である。今まで閉じていた教室を開き「屋根のない教室」とするのは一見、無謀かもしれない。
 しかし今こそ、そのちょっとした「狂気」の発動が試されているのだと思う。

 この、学校を世の中に開く、ちょっとした「狂気」を伝染、感染させよう。
 各校が「一斉」にではなく、それぞれ「バラバラ」に取り組むことで試行錯誤の層を厚くし、そのチャレンジの中から出現する効果のある成功例をあっという間に全国に波及させるのだ。

 教育の伝染、感染力が、コロナの感染力を超えられた時、私たちの学校教育は次の世代に渡せるものになるだろう。
 子どもたちは、そんな大人の一挙手一投足を見守っている。

 教育とは伝染、いや感染なのである。

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ーーーーーー寄稿終わりーーーーーー
藤原和博先生、中室牧子先生と「9月中学」を議論するイベントを開催します!

生激論!9月入学の是非を問う 

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■日時
5月27日(水)19:30-21:30


■参加登録※必須
Peatixページより登録お願いいたします
https://200527.peatix.com/view

■参加方法
Youtubeライブ(たかまつななチャンネル)

■概要
 新型コロナウイルス禍で3月2日に全国休校要請が出てから3ヶ月弱が経過。ネット環境や端末の整備が追いつかずオンライン授業などできていない学校もあるなか、今国会で話題となっている「9月入学」。

 休校期間分を補うためにも9月に改めて再スタートしたほうが、学力低下や学力格差の増大を防げるうえ、国際標準に合わせられるなどのメリットを主張する賛成派。一方、この状況下で制度変更することでのばたつきや、待機児童の増加、入社時期までのギャップタームが生まれること、受験生への負担増などを懸念する反対派。

 現在、自民党や公明党でも「9月入学」について議論されている。SNS上や国会でも意見が別れ対立が見られるなか、それぞれのメリットデメリットを専門家の視点から詳しくお話いただきます。


【たかまつななより】
 今9月入学が真剣に導入されようとしています。新型コロナで広がる恐れのある教育格差。しかし、それは9月入学ですべて解決されるのでしょうか。今やるべきことは、この危機に対して、「オンライン教育や分散登校などを駆使して、学びの機会を作る」ということだと私は思います。9月入学にしたからといって、国際化やオンライン教育が一気に普及するとは限りません。「なんとなく」議論されて決まるのが怖い。高校生が声をあげ、9月入学が実施され、それが美談になり、私たちが期待していた効果が何もない。それで、あれは何だったのかと後悔することをしたくない。エビデンスに基づいて、メリットデメリットを洗い出した上で検討することが必要だと考え、このイベントを企画しました。

■チケット(peatixにて登録制)
・無料
・寄付チケット(運営費)

お問い合わせ infotaka7@gmail.com 株式会社 笑下村塾


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